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幸せって何だろう。

幸せになりたい。
幸せに過ごしたい。
幸せで終わりたい。


なのに、なかなか「幸せ」が来ない。


…まあ、たまに幸せになれるけれど。


ところで、「幸せ」って何だろう?


なんで、あんなに不幸な人は、生きてられるのだろう?


私は、幸せでいられないなら生きたくないです。


……あれ?
何か、逆転してる気がする。

生きてた。 ➡️ もっと生きて体験したい出来事に出会った。 ➡️ 幸せだ。

うん。それならわかる。

生きてた。 ➡️ 欲求が沸いてきた。➡️欲求が満たされた。 ➡️幸せだ。

うん。それもわかる。


「幸せ」の形が、「これだ」と思ってた。
➡️「その形」をした幸せに、出会えない。
➡️生きててても「幸せ」じゃない。


………ちょっと、違う気がする。


確かに、世の中では、「ザ・幸せ」が、隣の庭に綺羅びやかに飾ってあるように見えるかもしれない。

でも、その「ザ・幸せ」は、きっと、私の感じることができる「幸せ」を知る人がつくったものじゃない。

その「ザ・幸せ」は、その「ザ・幸せ」を表現した人にとっての「幸せ」でしかない。

確かに、同じ「人間」の感覚で表現されたものだから、自分にとっての「幸せ」に近い物な気はするだろう。

でも、きっと、私がこれから出会うであろう「幸せ」は、本当は、もっと未知に溢れたものなのではないのだろうか?


だって、今まで人から「それは幸せだ」と言われても「幸せ」でなかったことは沢山あったけど、


ひょんな出来事に、自分で勝手に「幸せ」を感じたことは沢山あるはずだから。

「幸せ」は、概念ではない。
「幸せ」は、「私」の感覚の一部だ。
「私」が、「生きた」結果の「出会い」に心が反応したときに、感じる「こともある」感覚だ。

そんな気がする。

だから、「幸せ」は、本当に人それぞれなのだろう。

だからこそ、「幸せを共有できた」と感じられる体験は、本当に私にとって貴重なのだろう。

あの人にとっての「幸せ」、それは、そのままでいい。

私にとっての「幸せ」、これも、このままがいい。

「幸せ」になりたいけどなれない?

それは、多分とても辛いと思う。

でも、もう少し生きてたらきっと出会えるときもあるよ。

あなたの「幸せ」に。

だって、あなたが「生き残る」ための道しるべが、あなたにとっての「幸せ」なのだから。

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