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目的のない旅路に、余暇を。

今日は、軽く掃除をした。
サラサラと汗が流れ出る。…なんて暑いのだろう。
これではまるで、家事がスポーツになってしまう。

「暑い」というだけで、身体が疲れる夏。
その疲れにもバテ方があって…と、そこから思考が派生して、好きな言葉を思い出した今日の話。


夏の家事ルーティン


夏の家事。
掃除、料理、食器洗い、買い物の行きと帰り道。

これらは、特に汗をかく。

“体を動かすもの”と、““火”や“お湯”を使うもの”だ。

洗濯は洗濯機がやってくれるし、
洗濯物を干すときも畳むときも、大抵エアコンの効いた室内のため、快適にできる。

…でも、何にしても
終わった後は気持ちがいい。


ひと汗かいて
(時間があれば)シャワーを浴びて
着替えて
扇風機や水分補給でクールダウンして
(時間があれば)少し眠って
そのあとは自由時間。

メイクをして、すっきりした気持ちで出かけたり
綺麗になった部屋で、映画を見たり、勉強したり
夕飯の時間までまったりしたり。

この流れが、私は好きだ。


“目的”と“余暇”


こういった「家のことで、たくさん汗をかく時」よりも

例えば「目的もなく、なんとなく出かけてダラダラと人混みを歩く時」を比べると、後者の方が、最近は疲れるような気がした。


運動量だけを見れば、ぼーっとゆっくり歩いている方が全然楽そうなのに、なぜ家事よりも疲れるのだろう…なんて考えた今日。


おそらく、“目的がないから”なんだろうな、と思った。


例えば“掃除”のように
「やるべきことが決まっている」ということは
それを達成するために考えて、動いて、終わらせる。
だからこそ、頑張った先の「終わり」が見えるし、達成感もある。

“ぷらぷら散歩”のように
目的がなければ、その逆だ。
「終わりがないから、楽しい」という一方で
「やめるタイミングを見失ってしまう」ことがある。


夏は、自分の想像以上に“体力”のエネルギーが減るのが早く、“疲れ”が現れるのがとても早い。
“休憩”を挟まなければ、“家路”が果てしなく遠く感じることがある。

夏は特に。
目的もなく出かける時は
“水分”と“休憩”、“自分のバテ具合”だけは気にしてあげよう、と思った。


…そこで、以前見たアニメの、こんな会話をふと思い出した。
“旅人”が偶然出会った、“虹を探している人”との会話だ。

「目的がなくて、旅を続ける気になるものか?」

「そりゃ、たまに休みたくもなる。そういう時、こうやって“目的”を作る。そうすればこうやって“余暇”も生まれるだろ。
“ただ生きる”ため生きてる分には、余暇ってもんがないからな」

アニメ『蟲師』より


…掃除をしただけでここまで思考が進むのは、やはり疲れているのかもしれない。


けれど
このアニメとこのセリフは私の心に深く刻まれ、残っているため、映画や本の好きな言葉をまとめた小さなリングノートに書き留めてある。

…不思議なことに、書いた言葉は、心に刻まれやすい。

だから今日も、思い出したのかもしれない。


“休む”のだって、生きるためにゃ切実な問題だ。

アニメ『蟲師』より


「目的もなく、ただただ生きる」のは、「休みがないこと」と同じだ。

それはつまり、「ずっと働いている」とまでは言わないけれど、
「ずっと頑張っている状態」に近いものだと思う。

「余暇」をつくることは大事だ。

そのためには、「目的」を作るといいのかもしれない。

それは、目の前に小さな目的を構えるように
「虹を探す」でも
「掃除をする」でも
「アニメを見る」でも

ちょっと離れた場所から人生を見つめて
「資格を取る」でも
「車を買う」でも
「家族を守る」でも…なんでもいい。

何か目的ができれば、大なり小なり、余暇も生まれるだろう。


今日は「掃除」という“目的”を作り、達成した。
おかげで午後から良い“余暇”が生まれた。


久しぶりに、『蟲師』見たくなったな。


ただただ生きている私の人生は、目的のない旅路に似ている。
だから時々、余暇を作ろう。
そうすれば、「休む」ということがどういうことか、わかるような気がした。



2024.7.7

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