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想像力で、夢を描けたら

最近、映画クレヨンしんちゃん『爆睡!ユメミーワールド大突撃』を観た。

仮に、楽しい夢の世界と
恐ろしい悪夢の世界があったとして

私だったら自分の想像力で、どこまで夢を楽しみ、どこまで悪夢に立ち向かえるだろうか。

もしも“悪夢”が毎日のように続いたら
たとえ大人だって、眠るのが怖くなるだろうし
心身への影響はとても大きなものなのだろうと、改めて感じた。


楽しい夢を描けたら


自分で「これは夢だ」と自覚して、なんでも思い通りにできる夢は、やっぱり楽しいものなのだろうか。

私は、いわゆる“明晰夢”のような夢はあまり見たことがない。

夢の中で「楽しい」という感情はあっても、そこが「現実」だと思い込んでいるか、ただただ夢に身を預けているような感じだ。


自分の思い通りになる夢を最大限楽しむためには、ある程度の「想像力」が大切なのだと思う。
そう考えると、“子供”の想像力は際限なく、最高に楽しい夢の世界を作り出せるような気がする。

例えば
自分の体よりも大きなケーキに潜って食べる、とか
将来の夢を叶えた自分になりきる、とか。


…今の私だったら、どんな夢を描こう。
どんな夢が、今の自分にとっての“楽しい夢”なのだろう。


考え始めると、どうしても
現実的に“実現の可能性が高いもの”を無意識に描いてしまう。

夢なのだから、非現実的なことを自由に想像すればいいのに。
今は「ワクワク」するような刺激よりも、「この時間が続けばいいな」と思うような平穏な時間が一番幸せに感じるのかもしれない。

「手に入れたい」というものよりも
「ずっとこの時間の中にいたい」というような。

以前と比べて、“欲”の向く方向がちょっと変わったような気がする。


大切な人たちと
美味しいご飯を食べたり、出かけたりして
会話をしながら楽しく過ごす夢。

いざ考えてみるとやっぱり、そういう平和な日常が一番楽しくて、幸せだ。

想像力は乏しいような気もする。
でもきっと、その平和な日常が叶うことの難しさや尊さを、前よりも少しだけわかっているから。


悪夢の世界を救うには


夢の中で、「想像力」が鍵を握っているのだとしたら
それって結構、自分で生み出しているものだったりするのかもしれない。
しんちゃんの映画に出てきた夢の世界は、私にとってはなかなか過酷な世界だった。


“楽しいもの”を生み出すのも自分
“怖いもの”を生み出すのも自分。


自分の辛い過去や悲しい思い出、苦手なものなどが肥大して出てきてしまうとしたら、それは自分にとって紛れもなく「一番怖いもの」だ。

それを生み出すのも自分で
逃げるのも、戦うのも自分の想像次第。なんて世界で夢を見ていたら…なんだか、心を試されているような気がする。


想像の世界は、自由で、解放的で…でも逆手に取られやすくて、自分で自分の首を絞めることにつながることもあるのだろうか。


悪夢の世界にするのも
その世界を救い、平和をもたらすのも自分。

…だとしたら、夢の中では、“一番の敵”は自分だ。

そして、“唯一の味方”も自分だ。

何か自分にとっての「怖いもの」と戦っている人にとって
夢か現実のどちらかで、少しでも希望の光が見えれば、
両方の世界に平和が訪れるのかもしれない。


気休め


悪い夢を続けてみてしまう時は

一時期ドリームキャッチャーや、枕カバーにアロマミストをかけるなど、
夢の世界で自分が少しでも安らげるように、現実の世界で色々と試したことがある。

気休めかもしれないけれど、「怖い」という気持ちがある時はどんな時でも
小さな気休め一つでも、頼もしく思えたりするものだ。


夢を食べると言われる動物「バク」。
もしも“バクのぬいぐるみ”でも持っている誰かがいたなら、すぐにでも話を聞いてあげられるような、そんな大人になりたい。

相手の気持ちを考える。
そこの想像力だけは、しっかりと持っていたい。


誰かの寝顔を見て

「何の夢を見てるんだろう」

と思いながら、見守る。


そんな場面がもしも日常にあったなら
微笑ましくて、とても優しい瞬間だな、と思った。


そういう穏やかな時間こそ、
私が一番見たい、楽しくて幸せな「夢」なんだろうな。



2024.5.23

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