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最近の発達トーク

2022年7月にADHDうつ病という診断が下り、「自閉傾向が強い」と言われたままでASD検査などもされないまま時が経ち、そのまま2023年を迎えた。

何かこのまま萎んでいても仕方がないので、新年に先立ち、今年の自分をあらゆる観点から占うことをした。

元々の「わたし」自身は不安が強いものの、運試しは信じない方。だからこそ、「せっかくだから」という気持ちで今年の指針を占いで決めるのも一興だと思い、チャレンジしてみたのだ。

占いについて

神の予定調和を覆すためにも様々なモノに「わたし」の聞いたところ、四柱推命では「類まれなる強運を持っている」らしく、「時が経てば経つほどにその運というものは増していく」とのこと。芸事に優れた運命にあるそうなので、それもまた喜ばしいことではあった。
次にタロット占い、これもまた「これからどんどん良き出会いがある」とのことなので、ハッピーな気持ちになった。別な方にも「直近の小説は色々なものに阻まれて全力を出し切ることができないものの完成することはできる」や「身に降りかかる困難を御することができれば、これからはもっと良い作品を生み出すことができる」の言葉通り、卒業制作での小説は自分の意図が担当教員に伝わったので非常に良い結果になった。

僕が心の中で課題に思っていることは、他者から「感受性が豊かである」と評価されているものの「人の心の機微が分からない」というものだったので、データを蓄積していくことにとって乗り越えていこうと思っている。

ちなみにおみくじでも2回連続で大吉、今年は飛躍の年になることを祈らずにはいられない。

病院探しの旅

話は変わり、1月末日。
結論から言うと、ついに病院を変えることにした。
今まで通院していた病院では自律神経失調症パニック障害が新たに追加されていたものの、鬱の傾向が緩やかになっただけで、このまま継続するか、別の病院変えるべきかで悩んでいた。

薬の量は非常に多く、飲んでいない薬もあり、ベンゾジアゼピン系薬剤との相性が悪くほとんど飲んでいなかったり、デエビゴが10mgも処方されているのに寝付きの悪さが改善されなかったりと悩みの種が多かった。

決め手となったのは、障害者手帳を申請するにあたって医師にお願いした診断書で「もともと不注意が多く自信が持てなかった。徐々に抑うつ気分が見られるようになり、2022年に初診。不注意型のADHDがあり、それにより自己評価が低くうつ病となったと診断した」というひどく短いものであったからだ。

自分で言うのもなんだが、その程度の困りごとだったら「わたし」の元のポテンシャルだったらどうにかしているし、どうにかなるようにちゃんとしているように動くので、なんだこれは……と絶句。

5000円の診断書を抱えて、その週のうちに次の病院へ向かった。

新しい病院では「うつ病ではなくて、双極性障害の可能性がある」と診断された。
もちろんADHD診断はそのままではあったが、治療薬は飲まなくても良いとのことで処方なし。
ただ「発達」専門の先生ではなかったので、別の病院に通うことを勧められた。
その時、初めて飲んだのは統合失調症や双極性障害におけるうつ症状の改善に用いられるラツーダという薬と、小型(運動)発作、精神運動発作、自律神経発作の治療に用いられるランセドンという薬だった。
今までの処方薬からガラッと変わり、その週はずっと体調がすぐれなかった。
昼過ぎにようやく起きることができて、朝から晩までずっと眠気が止まらない状態で、逆に鬱が加速した。
その間も「やらなければいけないこと」はあり、タスクが予定通りこなせない事への不安と焦燥感に駆られていた。

僕の持ち味は寝起きの良さにあると確信していたところでの、大きな躓きだった。

別な意味で、全く「何もしたくない」という世の中への絶望が高まった。


発達の専門医に出会う

時の流れは2月に突入し、ついに高田馬場にある発達の専門医に出会うことになる。
「このままでいたくない」という感情と「自分は本当はなんなのか」を確かめたくなった為、社労士さんに紹介された病院に、重い腰を上げて通うことにしたのだ。

病院の受付で渡された1枚目の紙には20個くらいのチェックリストがあった。
室内にはなんだかんだで、自分と似たり寄ったりの格好をしている人がいた。
その紙を書き終わって30分が経った頃、僕の名前が呼ばれて先生からまた新しいテスト用紙を渡される。
また移り変わる人を眺めながら、自分の思う限りに答える。
50個のリストに書いてあることは、僕の心を読んだかのような内容だった。かなりびっくりしたが、顔には半分くらいの驚きしか反映されていないだろう。
終わった後に先生に呼ばれて病室に入ると「基準値を満たしています。ASDですね」と簡単に言われた。

小栗先生という発達のスペシャリストが言うことには、僕の頭はコンピューターのようになっていて、色々な記憶がフォルダ上に管理されているらしい。ASDの人の頭の構造と乖離性障害の人の頭の構造は非常に類似しているとのこと。
僕が失敗をしてしまって本当に申し訳ないと感じているのに「申し訳ないと思っているの?」と言われてしまうのも、人よりも感情の移り変わりが早いから__などなど、非常にタメになることを教えてもらった。

医師は僕が半年ほど飲み続けた薬の量を整理して、トラゾドンというセロトニンの再取り込み阻害作用を示し、抗不安・鎮静作用により、ゆううつな気持ちや落ち込んでいる気分をやわらげる、通常、うつ病・うつ状態の治療に使用される薬を新しく処方してくれている。

久々に熟睡することができたと実感が芽生えたのは、嬉しくて仕方がないことであった。

ASDと言われ、解離性障害の診断が降りて、腹落ちしたところが多く最初の頃よりは悲観しなくなっていた。

最近のまとめ

実感したこととしては、僕のような人間に「話をしたような気」になって「伝えたような気」になって、逆上したり嫌な気持ちになったりして「酷い目にあった」と被害者ぶる人がいるとしよう。
でも僕の視点に立ってみたら、その人もまた加害者であり、僕もまた加害者である。
どうしようもなく、そう感じてしまうのだ。
だから、相手が困ってそうな顔をしていたら、大体が僕が悪いことにして話を終わらせるようにしている。もし、嫌な連鎖が止まらなくても、「貴方に世界で一番最低な気持ちを芽生えさせてしまったのもわたし」だから、それはそれとして僕の視界に入らないところで、僕を非難して気持ちを晴らして欲しいと、人情味がない返答をしてしまうこともある。

僕は昨日のことは昨日のことで、今日はまた今日のことがあると結構早い段階で切り替えてしまうが、そう簡単に受け流せない人もいて、粘着質になったり、執着してしまう人もいる。

僕だけが特別だとは思わないけれど、もしもこういう人と出会った時には「前後の行間を含めて」お話をしてほしいとも、感じてしまう。人の心を察することができなくて、見たままでしか話せないからこそ僕は「人の心がわからない」と言わざるを得ないのだ。

僕は僕で今日もパニック障害や、突然の解離に戸惑って生きている。
大体のことはASDのコンピューターパワーで乗り切っているものの、発達特有の行動や言動が人を戸惑わせることもある。


そんな世界で、僕らは生きているのだ。


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