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【適応障害休職中】~幸福と闇をかかえて生きる~

1 「幸福の4要素」を日常に取り入れる


「ビッグ・フォー」の概念を知ってから、毎朝のジャーナリングの時間に、

①幸福感(楽しむ) ②存在意義(役に立つ) ③育成(伝える) ④達成感(達成する)                     (括弧内は行動内容)

という4つの要素のうち、昨日はどのようなバランスで達成が出来たか、またそれを踏まえて、今日1日で優先度の高い要素は何かを考えて書き出して行動してみる、というのを新たな習慣にしている。

(ビッグ・フォーについては、下記を参考下さい↓)


仕事を休んでいると、「育成」や「達成感」という要素は、なかなか具体的な行動を設定すること自体が難しいのではないかと思ったけれど、ささいなことにも目を向けて気づくことが出来たり、日々の中に新たな視点を招き入れたりしたことで、この2つの要素に関しても案外と気を目も配れているし、バランスが取れているのではないかと感じている。

具体的には、

幸福感   =  朝の散歩やヨガ、自然探索、読書、美味しいものを食べる、家族で休日を楽しむ、アートセラピーのオンラインセミナーに参加、など

存在意義= 家事をする、育児、友人知人の相談に乗る、町内会の事務的なやりとり、など。

育成      =  育児、絵本タイム、友人知人との対話、noteでの発信、ライターの仕事、前の職場の同僚と会って話をきく、など

達成感 =  転職活動でのやりとり、ライターの仕事でのやりとり(記事を書く、ラフを書く、校正、取材先・編集者・デザイナーの方々とのやりとり)、noteでのアウトプットとそれに対して反応をもらった時、メルカリでの取引成立、など

が、現在の個人的なビッグ・フォーの行動内容で思いつくものだ。

明確に1つの要素だけをカバーする行動の方がまれで、複数の要素にまたがっていたり、明確に1つの要素に限定することが難しい行動というのも多々あるし、はたから見れば4つの要素に挙げるまでもないような行動というのもあるかもしれない。

(娘との生活は4つの要素すべてを網羅することもある! ライターの仕事ははじめたばかりで、すぐに「達成感」に結びつくという時の方が珍しいし、その瞬間瞬間の作業としては地味なことが多いけれど、最近初めて校了を経験して、その達成感と幸福感は何とも言えずじんわりと大きく広がった… 逆に、noteでの発信は自己満足的な側面も強いので、誰かの役に立ったり、「伝える」というには不十分なのかも、と常に思いながら書いていたりする…)


それでも、「家事」「育児」「仕事」「趣味」という、ざっくりとした領域で日々を省みるよりも、それらをさらに細分化して、丁寧に点検してみることで、自分が見たり聞いたり考えたりしたりしていることをフェアに、以前よりずっと自己肯定感高く判断できるようになったと感じている。

この点に限っても、ポジティブ・サイコロジーについて学んだり、それをもとに自己分析や洞察を徹底的にやってみたり、自分の興味本位で思う存分読書した価値があったなぁ、と思う。結局、自分の行動を変えるには、望ましいことを習慣にする必要があるのだろうし、そのためには適切な戦略が必要で、その戦略をつくるためには思考や視点を変える必要がある。


2 暗闇も、内在させる


適応障害になって(しかも、以前も似たようなことがあって)、根本的に徹底的に人生の悪い流れを断ち切りたいと願った。しかし、こう考えていた少し前の自分を、今では「よしよし」と頭をなでてなだめてあげたい心境でいる。

これまでだって、楽しいときや幸福な瞬間、素晴らしい人とのつながりや交流があり、個人的に「人生の思い出」「忘れなれない出来事」といえる経験をたくさんしてきた(これは事実だ)。しかし、ネガティブな要素が発見されれば「全てが台無し」と言わんばかり、”白黒思考”で悲観的側面の強いエピソードに変えてしまっていたのは、自分自身である。

確かに、幼少期の両親との関係など、自分ではどうしようもなかった”運”に左右される部分がなかったとは言えないけれど、それでも大人になり、社会人となり、娘が生まれ親ともなった私には、自分自身の人生を引き受ける責任が、ますます大きくなったようにも感じられる。数々の失敗や、挫折、どうしようもないやりきれなさや、内なる暗部に取り込まれてしまいそうになったこともあるし、今だってそれが消失したとは言えないし、きっと私の中には今もその暗闇がひっそりと存在しているし、これから続く人生の中で、またむっくりと頭をもたげる日が来るかもしれない。

どうしようもなさを抱えた自分、暗闇を持った自己として、まずは自分を眺めてみる。冷静に、徹底的に。

そのうえで、先人の知恵や賢者の言葉に耳を傾けてみる。周りに助けを求める。藁にもすがる思いでそれらに必死でしがみつき、吸収し、疑いを差しはさまず愚直に実行してみる。これまで固執してきた思考を手放し、固定され硬直していた不自由な自己から解放されるー

たった数業で書けるようなことが、それに気づいて実際に出来る気がするまで、こんなにも時間がかかってしまった…それでも、「気づいて」「自分が変わって」「戦略を手に入れた」。

恐怖が消えつつある。


3 親を、ゆるす


そろそろ、他人とか社会とか環境とか、そういうもののせいにして生きることはやめたいと、心の底から思っている。「諸悪の根源」にしてきた両親だって、私に何かあればいつでも文句も言わずに受け入れ続けてくれたし、孫が生まれてからは甘えさせてもらってばかりだ。感謝こそすれ、恨みがましい態度でいるのは、もはや私のわがままや甘えでしかない。

しかも、アラフォー目前でこんなにも人生に迷い、葛藤し、まだまだ模索も続きそうな自分を見れば、私を育てていた時の両親だって、似たようなものだったのだと、身に染みて分かる。たとえ、人間的に正しくないことをしてしまったとは言え、その根底にある部分では理解出来てしまう経験を、私だって重ねてきたのだ。ましてや、育児ともなればすべてが未経験・初体験のことばかりだ。「許す」という言葉も、ふさわしくない気がする…今はただ、両親も「私と同じ未熟なおとなだったんだなあ」と思うばかりだ。


初期流産を2度経験し、初めての(高齢)出産、育休復帰後の転職×2回、そして適応障害…と、ライフステージの大きな変化を挟んで、今やっと、両親と自分の関係性を棚卸しつつある。

「親子」とか「依存関係」とか、そういう枠組みではなく、同じ未熟なひとりの人間として親を見たときに、すべてすっきり晴れやかに…という気持ちにはなれないけれど、「身内」という適度な距離感を持てる気がしているし、それは私にとっても夫にとっても娘にとっても「良い感じ」になるのではないかと思う。

自分自身のことを徹底的に見つめなおすときに、そのスタートとしても回帰点としても親がいるというのは、少々腹ただしい気もするのだが(笑)、それはそれとして、無理なく自己変革が進んでいる証拠なのかもしれないと分析している。


4 いまを、機会点にする


休職をスタートした当初は、自分がこんな心境に至れると想像していただろうか…?

とにかく元気になるために、心身の健康を取り戻すために、よく食べ、よく寝て、運動を最優先した。思考のクセ(認知の歪み)に気づいて、根本的に自分と人生の悪い流れを変えたくて、ポジティブサイコロジーや心理学の本を読み漁り、取り入れられることは行動に移し、自分に必要なことは習慣化するように努めた。(朝の散歩、ジャーナリング、日々のビッグフォーの調整と振り返り、ポジティブ3行日記【樺沢紫苑氏】などはすでに習慣化している)

ダイエットも…とうっすら頭をよぎったけれど、「おいしいものをおいしい!と感じる幸せ」は私にとってかなり重要なことなので、3食の質には気をつけたうえで、甘いものを夫や娘と食べることは自分に禁じなかった。あれもこれもダメ、「~でなければならない」という思考になりがちな自分も変えたかったし、心身のエネルギーが弱まっているときに、世間的な良し悪しの基準や他人の目線を意識しすぎるということも避けたかった。

そのおかげで…というか、「食べたし、運動しよう!」という気にもなり、自然の中で散歩をするのはすっかり日課になったし、最近ではYoutubeを見ながらエアロビクス→ヨガという意欲も芽生えた。ただこれも、油断するとすぐに「しなきゃ!」「今日はする時間がない!」とストレスのもとになったりする習性を発動させないように、そういう思考方法の「トレーニング」だと思って、「ほどほどに」という感じを保とうとしている。

休職中に決めた業務委託の形式で受けているライターの仕事は、フルタイムでの仕事復帰を視野に入れた「リハビリ」としても機能していて、とても感謝している。得意や好きなことでわずかでも社会に貢献し、お金を頂いているということが、今の私の自己肯定感を高めるうえで、報酬の何倍もの価値があると感じている。仕事の進め方も、編集部の人に教わりながら覚えている段階だが、将来的な複業化を想定しそれに備えたいということもあり、「最小限度の時間と労力で質の高い仕事をする」という目標を持って向かい、実験している。頼れる部分で支障がないところは周囲に任せる、+αと余計な作業の切り分け、コロナ以前まで苦手としてきたネット上でのやりとり、アプリや便利なツールの導入やカスタマイズなど、これまで意識してこなかった視点や態度や方法を、ひとつひとつじっくり試せていることも、実りの多い仕事だと思っている。

そして、落ち込みが激しかったときに手を差し伸べてくれた友人知人にも改めて感謝する時間となった。実際、「ギブ」してくれた友人のおかげで、現在の転職候補先とのご縁を持つことが出来た。そして、転職活動を並行して行っていたことで、自分や将来の家族の展望を徹底的に掘り下げたし、自己洞察やビジョンの具体化も加速した。そのなかで、私はHSS型HSPで、マルチ・ポテンシャライトであるという気づきも得た。それはいかにも、掌握不可能だったものに言葉を与えたことで、魔物を鎮め、祈りを捧げ言祝ぎ、その魔物と共に生きようと決意するに至る、決定的なひらめきであったように思う。実際、このことを隠しては悪循環や負のパターンから抜け出せないと確信していたから、エントリー書類にもこのことを書き、一次面接でも私を構成する性質であると伝えられたことは、キャリア上でも私の大きな転機となった気がしている。

現職場とのやり取りも続けている。将来的な保障という意味合いも強いが、上記の転職候補先とご縁がなくなった場合、また別の会社に転職して正社員になる、という選択肢を今はまったく考えていない。先に書いたように、HSS型HSPであり、マルチ・ポテンシャライトであるということに気づいてしまった以上、これまでの違和感をなしにして、私の特性に気づかなかったふりをして、自分の興味や好奇心にフタをして、一日のかなり長い時間を中途半端な状態で過ごせないと分かってしまったからだ。現在の転職候補先は、その会社であるがゆえに転職活動を決意した。そこがダメなら、今の職場で調整してもらった仕事量とポジションで貢献しつつ、ライターや農業で複業化を進める。今はそう思い描いている。


これからの私は、もっとラクに生きられる気がしている。まずはセルフ・トークを変える。「大丈夫」「何とかなる」「まだこんなにある」「これで充分です!」(moreの人生はもうこりごりだ)

「早く/たくさん」の時代はもう過ぎた。熱いハートはそのままに、クールな頭と、充実した戦略を持って、俯瞰と総合力で勝負だ。時には「待つ」ことー時間が淘汰と最適解を与えてくれるかもしれない。(これまで「間に合わない」ことを心配してきたけど、私が時間に遅れたことなどほとんどなかったのだ!)これからは、所要時間を最小にするため、取りかかるタイミングをいかに遅く設定できるかを考えよう。

私を支えてくれる、わずかでも大切な人間関係を最重視する。時間も気持ちも、いつも十分に配分するーこれが最重要の「調整」だ。

他人に評価を委ねない、比較ではない幸福の基準を常に意識し持ち続ける。ここがブレてはいけない。ビッグ・フォーしかり、①セロトニン的幸福→②オキシトシン的幸福→③ドーパミン的幸福(樺澤紫苑氏)の順番を決して間違えないこと!

もっとも注意するべきことは、自分を大切に。自分自身を、親友であるかのように扱うこと。セルフケア、食事・睡眠・運動・家族との時間。疲れたり落ち込んだりした時は、まずはこの基本を最優先!(not 自己啓発優先!笑)


そして、良い時も悪い時もあると心得ておくべし。人生はグラデーションだ。朝焼けも夕焼けも、境界が徐々に交わる、そのあわいが最も美しいのだ。


なんちゃって。







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