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素粒子理論の中の分野分け

[この記事は多分学部生・他分野の研究者向き]

前回前々回で一応素粒子理論とは何かについて書いたことになったので、今回は素粒子理論の中の分野分けについて説明してみる。

論文のプレプリントサーバーarXiv の分類に従うと、基本的に次の3つに分けられる:

  • hep-ph (High Energy Physics- Phenomenology)

  • hep-lat (High Energy Physics- Lattice)

  • hep-th (High Energy Physics- Theory)


hep=High Energy Physicsで素粒子物理学のこと。ただしarXivのカテゴリ分けでは素粒子実験がhep-ex=High Energy Physics-Experimentに入るので、"-ex"が付いてない"hep-xx"はarXiv内では素粒子理論を意味していると考えて良いと思う。これから上記3つのそれぞれを少し詳しく説明する。


hep-ph  (High Energy Physics- Phenomenology)

これは1番素粒子理論の典型的なイメージに近いと思う。phはPhenomenologyの略で現象論のこと。典型的にはというか本来はというか、(素粒子に関連する)実験(または観測)と二人三脚で、既存の理解では説明できない新しい実験結果が出たら、それに対してもっともらしい説明を与えるということをする分野。1番イメージしやすいのは、新しい実験結果を説明する模型を作るとかだと思う。

ちょっと言葉の使い方で面白いかなって思うのは、これって実験の分野を限定しなければほとんどの自然科学の分野で(実験と並んで)行われる基本的なアプローチなんですよね。それを素粒子理論ではあえて現象論と呼んでいて、他分野の人からたまに「逆に現象論じゃないものって何!?w」って聞かれることもあったりする・・・

ただ、上に「実験と二人三脚」と書いたけどこれはあくまで理想的なもので、素粒子関係の実験はどんどん予算がかかるようになってしまっているので、今ではそんなに新しい実験結果がぽんぽん出ないという感じになっている。 それでも既存の理解(~素粒子の標準模型)で今までの全ての実験・観測結果を満足に説明できているとは言い難いし、実験と矛盾してなくても既存の理解に不満足な点が沢山あったりもするので、hep-phにはそういった問題の解消を提案するみたいな論文も沢山出ている。

あとは、ある程度のエネルギースケールまでは素粒子の標準模型が正しいと思われてるけど、標準模型自体すごい複雑で実験結果の予言に不定性があったりするときもあるので、標準模型自体の理解を深めるみたいな論文も出ています。他にも色々あると思うけど、hep-phはこれくらいにしておこう。

hep-lat (High Energy Physics- Lattice)

latはlatticeの略で格子上の場の理論(Lattice Field Theory)を意味する。これはある程度知らないと何をする分野なのかよく分からないだろう。まず結論から言うと、
hep-latは基本的に場の量子論の数値シミュレーションをする分野、およびシミュレーション方法に関連する理論を扱う分野、
と捉えて良いと思う。

それではなぜこの分野はlatticeと呼ばれているのか?それは場の量子論の(第一原理)数値シミュレーションをする際にこれまで最も用いられてきた手法がLattice Field Theory (格子上の場の理論)という手法だからだ。(通常)場の量子論は無限自由度系で、これは基本的に時空に点が無限個あるということに起因する。このままでは数値シミュレーションしようにも計算量が無限大になってしまって困るので、場の量子論を適当な有限自由度系の無限自由度極限と見なして("正則化")、その有限自由度系を数値シミュレーションするということをよく行う。このときによく使われる有限自由度系が、場の量子論が乗っている時空をお豆腐のサイの目切りみたいに切った格子に置き換えた、格子上の場の理論だ(※1)。

この格子上の場の理論の主な応用先はQCD (Quantum Chromodynamics, 量子色力学)で、数値シミュレーションでクォークの世界から原子核の世界が本当に出るのか検証したりとかして、こういうアプローチはlattice QCDと呼ばれる。あとは上のhep-phの最後のところで述べたことに関係して、数値シミュレーションの力で標準模型の実験への予言をかっちりさせるみたいなこともする論文や(※2)、標準模型を超えた物理に関連する模型を数値シミュレーションする論文も出たりする。”現実”とは必ずしも関係しない場の量子論の数値シミュレーションの論文も出るし、格子上の場の理論を使わずに場の量子論を数値シミュレーションする論文もhep-latに出がち。という感じで、場の理論をシミュレーションしている論文はhep-latに載ることが多いです。あとは既存の方法では数値シミュレーションが難しい状況とかもあったりするので、新しいシミュレーション方法の提案やそれに関連する議論をする論文も出たりします。(こういう論文では提案や議論自体がメインなので、必ずしもシミュレーションをしていなかったり、したとしても簡単な例でのベンチマークをしているだけだったりする)

hep-th (High Energy Physics- Theory)

thはtheoryの略。直に解釈しようとすると素粒子理論の理論みたいになっちゃう。素粒子理論の時点で既に理論なのに意味分からなくないですか。素粒子理論の理論的側面と言ったらもう少し分かりやすいだろうか。それも意味分からないか。形式的側面とかの方が分かりやすい気もするけど、それも全体をとらえきれてない気がする…

私の中で現時点で最も実状に即したhep-thの定義は以下のような感じ:

広い意味での素粒子理論の内、hep-phでもhep-latでもないもの

補集合使うとかずるい気がするけど、これが1番自分の中でしっくりくる。

そんなこんなで捉えどころのないhep-thだけど、中に典型的な分野・トピックがいくつかある。例えば。弦理論・ホログラフィー・ブラックホール(の素粒子論っぽい側面)に関する研究とか。他は”現実”には必ずしも関係しない場の量子論そのものの研究とか(例えば場の量子論を厳密に解く研究とか双対性の検証とか)。弦理論じゃない量子重力に関する論文も出たりするけど、そういうのはgr-qc (General Relativity and Quantum Cosmology)に出ることも多い。

実際にはhep-thは本当に幅広くて、上のトピック以外のものも沢山出るし、広い意味での素粒子論感があるけど何てトピックの論文か謎い論文も結構ある。素粒子論の論文の知的遊戯倶楽部っぽいやつは大体hep-thと思って良いだろう。

というわけで今回はhep-ph, hep-lat, hep-thとは何かを少し詳しく説明した。実際には分野分けはすっぱりきれいにできないことが多く、これらの境界的な研究や、さらに他の分野との境界的な研究も多い。素粒子理論だと、関係することが多い他の分野は、

  • hep-ex (High Energy Physics - Experiment, 素粒子実験)

  • gr-qc (General Relativity and Quantum Cosmology, 相対論と宇宙論)

  • astro-ph (Astrophysics, 天体物理学)

  • nucl-th (Nuclear Theory, 原子核理論)

  • cond-mat (Condensed Matter, 凝縮系物理学)

  • quant-ph (Quantum Physics, 量子物理学)

  • math-ph (Mathematical Physic, 数理物理学)

あたりだろう(純粋数学に関連することも結構ある)。私の場合は、これまでhep-thにメインに投稿したことが多く、時々hep-lat。cross listとしては、math-ph, gr-qc, hep-ph, cond-mat, quant-phにちょいちょい。


素粒子論に限らず研究室を選ぶときは、同じような名前の研究室でも場所によってカバーしてる分野が全然ちがったりするから気をつけてね。hep-ph, hep-lat, hep-thのどのカテゴリが強いかも場所によってちがうし、各カテゴリの中でもカバーしてるトピックが全然ちがかったりする。特にhep-latは研究してる人が一人もいない研究室が結構あるから気をつけて。じゃあの。

※1 原理的には有限自由度になりさえすればいいので、時空を格子に切る必然はなく、例えば運動量空間を有限格子に切ったりしても良いし、他の切り方でも良い(切らずに非可換空間を考えるみたいな方法もある)。しかし現時点では、時空を格子に切るアプローチが(特にゲージ理論では)1番便利に見えることが多い。

※2 このあたりは説明がムズいのだけど、標準模型そのものを第一原理から数値シミュレーションしているわけではない。標準模型の物理量へのQCDからの寄与をQCD(+α)で計算するみたいなイメージ。

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