幸運な病のレシピ 2021年9月21日〜30日
栄養学者が後生大事にする、「三大栄養素」と「食品交換」の2つの考え方が私たちを殺している。
「三大栄養素」っていうのは『炭水化物・脂質・タンパク質』の3つを指しているが「水素と炭素の化合物で空気中で燃焼する(爆発的に酸素と結びついて崩壊熱を出す)」物質である。食材の中に多く含まれているかで食材をグルーピングするのだ。
他の生化学物質(ビタミン・酵素など)やミネラルにしても同じ、その要素が「どのくらい入っているか」ということしか見ていない。おおよそ40種類の身体の中で作ることの出来ないものを言っている。「ビタミン・ミネラルの様な単純に欠乏症を発生させる物質」のことである。代謝系を持たないと言う言い方でもいい。「種」といういい加減であやふやな生命のグループによって「必須(自分で作れない)」かどうかは違うと言われる。ではそれ以外の物質は食事から取る必要はないのだろうか?
その食材のうちには「それ以外」のものは含まれていないのだろうか?
栄養素を食べるから美味しいのではない。幾らサプリを飲んでもトクホ漬けになっても辛い人生の終わりは避けられない。素材から「作るプロセシスを大事にした食事」には価値があるのだ。
「炭水化物(ブドウ糖)」は生命の通貨である。すべての細胞の内側で酸素と結びつき水と二酸化炭素に代謝されて排出される。『脂質・タンパク質』を身体のパーツだとするとブドウ糖は生命の通貨なのだ。「カロリー栄養学」ではエネルギーの利用は体温の維持を考えているが、実際には遥かに多彩な代謝活動で使われる。
「食品交換」というのは、食品のグループの中で「熱量をオーバーしないように」食品を選んで食事を構成しろというものなのだ。
これは1960年代のアメリカの問題『「肥満=心臓病」の恐怖』の中からできてきたのである。その背景には、この時代の医学の常識が横たわっている。そしてそれは今も変わっていない。驚きの80年前の話である。
1)炭水化物がガソリンで、運動すればガソリンはなくなる。(脂質に代謝されることは最近の発見)
2)脂質の多い食べ物は肥満を呼ぶ。
3)タンパク質は腎臓に負担(腎不全は尿内にタンパク質が出る)。
4)ブドウ糖が尿にでてくると「糖尿病=致命的な病」であり死ぬ。
今でも、こう思っている医者・栄養士は多い、なにせ「政治的に正しい栄養学」なのだ。そして役人はマニュアル通りに仕事をしなければならない。
そして致命的なのは誰でも同じなのだといういわれなき確信である。これは「DNAドグマ=人の設計図は」同じであって、工場から出荷された自動車が皆同じ様に、生まれ落ちた人は「同じ」であって、運転が悪いと病気になると言う考え方なのだ。
DNAは細胞のプロトコルなのだ、細胞が互いに代謝物を通じて会話をするための長い巻物であり、生命の始まりから積み重ねられている。だからウイルスは細胞の内に入り込めるのだ。親戚筋なのである。
生命というコロニーは2つとして同じ「代謝系の組み合わせ」は存在しない。ヒトはみな違う。食事も違うのが当たり前なのだ。お店に並ぶ弁当は私達を内側から同じにする。そして個別に異なった壊れ方をするからよく効く薬が必要になるのだ。これを「弁当全体主義」と呼ぼう(笑)。
この時代以降、大きく生化学は変わる。「代謝」という常温での化学変化、「体内での物質の変化」の筋道が明らかになっていく。
間違えていると分かっても、もはや行政の一部となった「栄養学」は変わることが出来ないのだ。とにかく多くの利害関係が存在する。
られながらも、食事行政、予防医学の浸透がこの間違いを正すのを妨げている。もうここまで役人が増えてはどうにもならない。
これらの「常識」は見つかっていなかったのだ。
【ブドウ糖の代謝】
糖新生という代謝は、脂質を利用してタンパク質からブドウ糖を作る。ブドウ糖は脂肪細胞で脂質として蓄えられる。肝臓では中性脂肪に代謝される。あらゆる細胞はブドウ糖(水素と炭素を効率的に運ぶ)をミトコンドリアで利用してADP+P<=>ATPのリサイクルを行い、物理エネルギーとして化学エネルギーを取り出す。
【タンパク質の代謝】
筋肉組織は毎日5〜20%溶かし出し、同量を「ブドウ糖」を血液に流れているパーツを使い合成する。脂質も同じである。骨はほぼ一年で作り直される。人は内骨格の生命だから、常に骨を作り直しながら大きくなる。アミノ酸はブドウ糖へと代謝される。その時のADP+P<=>ATPリサイクルには脂質が多く使われる(ブドウ糖が枯渇しているため)
【脂質の代謝】
脂質は主として肝臓でアセチルcoa(ミトコンドリアで使われる炭素と水素の多く繋がったもの)からの代謝系に入りADP+P<=>ATPリサイクルをおこなう(ブドウ糖が枯渇して時、脂質はブドウ糖を作る為に使われる)。糖質制限で痩せるのは、ブドウ糖を作るために脂質が代謝されるからだ。脂質も毎日5〜20%溶かし出し、同量を「ブドウ糖」を血液に流れているパーツを使い合成する。糖尿病では、脂肪組織・筋肉組織がブドウ糖を受け取る許可(インスリン)が無いためにやせ細っていく。
ブドウ糖は生命の通貨である
身体の細胞はブドウ糖を必要な分だけ、無条件で使う。脂肪細胞と筋肉組織は無制限に取り込もうとする。なので許可(インスリン)が海に放たれている時しか取り込むことが出来ない(5分で分解される)。脂質は身体の細胞全てにおいて細胞膜を作り、タンパク質は細胞膜に埋め込まれた受容体や代謝物を作るために必要なのだ。
「筋肉と脂肪」は「部品の保存する」お財布なのだ。また、それぞれの細胞内にも小さな入れ物があり、それは「脂肪滴」と言われる。身体は常に破壊され作り直されている。それもゼロから作り直されるのではなく、食事から取り込む「ユニット」から作りなおされる。
それは「必須栄養素」として私達が理解しているものより遥かに多く、一人ひとりっで違うために「マニュアル化」出来ないものなのだ。
僕は誰とも同じではない。自分自身の価値は毎日の食事の内にある。
食事を素材から作り美味しいものを食べるのだ。
美味しいもの食べて元気に暮らそうではないか!
明日は【2021年10月1日】禁酒10日目
#チーズハンバーグ #キャベツの汁 #マユのご飯
【2021年9月30日】昼に作ったものを娘が帰ってきて食べたので、マユのご飯を作りながらリガトーニ茹でてチーズハンバーグにした。マユのご飯は大根を刻みキャベツを合わあせて肉を加える。ヒトとイヌはよく似た代謝系を持つ。魚介類とネギは避けながら食事を作る。素材の持っている「生命タンパク・脂質の立体構造」を大事にした調理である。
ドッグフードばかり喰うからイヌは生活習慣病になると(高級)ドッグフードの広告でやっていたのを見て、僕は食事メソッドを考えた。ヒトも同じだ「乾燥・濃縮・抽出」の工程が食事を殺す。マユに作る食事は肉が多く、野菜が水から煮る。魚は好まないことが多いのであまり入れない。
ヒトは野菜は食べなくともいいという方々(パレオダイエット系)もいるが、短絡的である。生命観が貧弱である。筋肉だけがタンパク質だと思いこんでいるのだ。粉のタンパク質系のサプリで筋トレしているのは結構だが細胞にとって重要な「生命」は手にはいらない。炭水化物に対しての厳しい敵意も困ったものだ。
生命にとって重要なのは「細胞膜(脂質)」に埋め込まれた「膜タンパク」であり細胞の内と外をつなぐゲートである。また細胞と細胞の間を隙間なくつなぐホチキスの役をするのも膜タンパクである。そしてそれは植物から始まり長い食物連鎖の内に繋がっている生命の流れでもある。ヒトの長い歴史の中で最も食べられたのは昆虫や採集可能な芋である。肉として食べられたのは他の集落の人間や小動物である。マンモスを皆でつついて殺していたのはギャートルズの世界だけである。ヒトは肉食獣ではなく、「死肉処理獣(スカベンジャー)」であったのだ。石器時代の人骨には歯で肉を子そぎ取ったあとがある。中国のことわざに「二本足のものは親以外は食える」というのが有ると聞く。
野菜の持っている「水」はすごい力がある。土の中からマイクロバイオームがミネラルを運び葉や茎と言った「植物の生命」ので生きる。植物は何百年もいきるというが、それは木や幹のことであり、葉は毎年死んで新たに生まれる。それをいただくのだ。種や実は糖質であり生命の通貨では有るが、重要なのは葉や茎なのだ。だからキャベツは美味い。できるだけそのままに近い状態で加熱して食べるのだ。スムージーやジュースは細胞を破壊するので、折角の生命を壊す。だから美味しくないのだ(僕は好まない)。
#ロースブロック #鳥モモ地獄焼き #ハンバーグ
【2021年9月30日】ロースブロック、鳥モモ地獄焼き、ハンバーグすごく肉肉しい一食が出来た。弁当に妻が持っていき、夜はここに汁が入るであろう。助六寿司は残りの半分を食べた。ハンバーグはつなぎを小麦粉にしたのだが、ツナギはパン粉にして、小麦粉は周りに振るつもりだったのだが忘れていた。前回造った時にそうしようかと思ったのであるロースのブロックはオーブンで熱を入れて最後は切って焼くのが一番文句が出ない。鳥のももは白ワインと酢で味を整えた。
マユにもご飯をあげた、温玉と鶏が入っている。最近、太ったということで間食を断っているのだが効果てきめんである。お前もしろと言われそうである。
中心がレアになりがちであるが、長くオーブンに入れておくと良いのだが、面倒なので、切って焼く方式に変更。少し食べた夕方には味噌味のキャベツと肉の汁を作った。キャベツが美味しく知るにできる時期である。もう少し安くなると良い。今度クリーム味のロールキャベツ作ろう。しきりに鈴虫が鳴いている。
#食洗機 #ローズマリー #助六寿司 禁酒9日目
【2021年9月30日】禁酒9日目である(実質1ヶ月)。97Kgになったので3~4kg減ったが、酒は僕にとっては太るもとである。しかし飲む飲まないは意思で決められる問題ではない。環境に対しての当たり前の反応である。売上がなく、生き延びるのは辛い。いっそ死ねればと思うが、後片付を考えると申し訳ない。そう考えている内は大丈夫である。しかし、あまり飲まなくても苦しくないというのはどういうことであろうか。
食洗機を回した。夜にスーパーでゴマ油、生姜と助六寿司を買ってきて半分食べた。生魚が乗っている寿司よりも、カッパ巻きが好きなのである。そういう話は少し恥ずかしい。ついでに言うと稲荷も好きだ。太巻きは真面目に作られたものが好きだ。
朝にローズマリーをとってきてオイル付けにした。冷蔵庫に入れておいて炒めに使う。洗わないで入れてオリーブオイルを満たすのである。バジルオイルも有る。バジルの種が出たら取る予定では有る。蜘蛛が庭にいて大変だ。生命が溢れている証拠である。蚊は僕の血をすい卵を残して蜘蛛が食べてやがて土に還る。不思議なものだ。すーっと地面深くに入って行ければいいのに。
まだ腹が空いていないので朝昼の兼用の食事は3時位になるであろう。妻が今日は夜のパートなのでなにか2時位から作ることにする。
#塩鱒 #イカ焼き
【2021年9月29日】塩鱒を焼いた。イカは昼にさばいておいてデロンギで焼いてフライパンで仕上げた。豆ごはんを食べた。結構美味しくできる。下ごしらえが面倒だが、夜の後片付けの時に一緒に煮ればいい。1時間ほどである。金時豆を混ぜ込んで炊く。ミルクパンで赤飯もいいがこれもいい。
鱒は、酒で洗ってから焼いた。どうしても安売りのものを買うので匂いがたつことが多い。少し酒で洗うと良いかもしれない。次は浸してみよう。味噌や麹に漬けることも有るが美味しく出来ないことも多い。
豚は「かぐら南蛮」のソテーと合わせる形である。ミョウガが美味しいので嬉しい。砂糖醤油で強めに味を入れると美味しい。
特に凝ったこともしないが、満足の行く夕食である。父が毎日食べに来ていたことをいつも思い出す。
#トマト缶
【2021年9月29日】トマト缶を使ったスープは好きだ。残り野菜と手軽である。ニンニクをたくさん入れるのが好きだ。今日は「かぐら南蛮」が沢山あったので煮込むことにした。溶けてしまうので辛さがいっぱいに広がる。ナス、人参、手羽先(先頭はマユのご飯)、と豚のひき肉を炒め煮込んだ。夜も食べることになるだろう。少しになっていたらチーズ乗せて焼くことにする。生姜がなかった、それでも美味しい。手羽先は2本の骨を離すように割いてから長く煮込むと嬉しくなる。骨がするりと抜ける。
カルシュウムが大事と言われて何年も経つが骨粗鬆症も関節変形も膝の痛みも減少するようには見えない。あまり効果がないものだからビタミンDだとか、その前駆体だとか次々と最新の医学的知見が出てくるが栄養素の不足を原因と思い込むのは1960年代の栄光の思い出である。食材の内にある「生命=タンパク・脂質の立体構造」が失った 「食事』は骨の分解と生成を司り、組織特異生を維持させるための「当たり前の」生命のパーツを失わせる。丸ごとの食材をジックリと加熱して捨てることなく食べる。
問題は皿の上の栄養素ではない。人はみな違う、刻一刻変化(メタモルフォーゼ)する身体は食事に相応のものとなる。健康に良いとか悪いなどというのは「身体の勝手ないい草である」細胞一つ一つにとっては、ただ自分の周りの海から「取り込んだパーツ」で生命を構成しているのだ。
骨は一年で作り直される。内骨格の私達は虫のように変態(メタモルフォーゼ)を行わないが、毎日新たな形へと変わっていく。子供が大人になる時にいかに複雑な「骨生成」を行っているか分かるだろうか。
全体の設計図が有ると考えたいのは分かるが、見つからないのはそれがないからである。サンゴはその海の環境に従って生きる。海辺の松はそれぞれに形を異なりながら生を生きる。インターネットは一つ一つのセバイスのプロトコルのやり取りの内に全体を描く。全体が描かれていないからこそ世界を追うことが出来たのである。
生命は「一人ひとり」違う、自分にピッタリの食事こそが自分の存在の意味なのだ。
商品化された食事は「政治的に正しい栄養学」に従って食事を作る。そして、それは、「健康で正しい身体が有る」と考えている。それこそが私達を苦しめている問題の根源である。
低コストで満腹を売るために炭水化物が多く入る。消して炭水化物は毒でも罪悪でもない。代替品は高値で売れて利益が上がる。やがて来る災厄はレセプトという錬金術で患者の苦しみを医師と製薬会社の富に変える。
6枚切りのパンを半分の厚さにしてチーズを載せた。実質的にチーズは倍の量になる。トマト缶は安い店でいくつか買う。スープにしたりミートソースにしたりだ。
#大豆玄米 #残り物を少しずつ
【2021年9月29日】モツの煮込みを少し、八宝菜を一鉢、庭で取れたミョウガの天ぷら、味噌汁にも散らしてある。先日茹でた大豆と金時を玄米と炊いた。
お店では健康になる30種類の弁当やトクホに栄養士の太鼓判のメニューと色々と見ることは多いが、みなどこかの誰かが作ったものである。そして、炭水化物をどっさり入れないと満腹にはならない。弁当は健康を売るのではない。満腹を売るのだ。
身体というコロニーでは、毎瞬間「細胞生命」は死んで新たに生きる。その時に必要なものは食物連鎖という生命の流れの内から受け取るのだ。受け取らねばならない要素は一人一人違うのだ。「誰でも健康になる食事」は少しずつ体を壊す。予防医学は検査値を正常にするというアウトカム(治療目標)を持つが、『何種類もの薬で様々な検査値を「正常」にして、同じ様な手術を繰り返して、「よく頑張りましたね」と褒めてもらえる。』自分の人生の終わりも「そうなる」ということをお医者様はちらりとも考えない。
ホクが食事を毎日素材から作るのは、父と母の人生の終わりを見ていたからである。糖尿病の治療という「医師の金儲け」に30年付き合った。もう勘弁してもらうことにする。
#食洗機 #夜食蕎麦と天ぷら 禁酒8日目
【2021年9月29日】天ぷらは美味い。脂を肥満の元で循環器系の問題を引き起こすという。コルステロールは敵だと嫌う人は多いが救急車のようなものである。道路に救急車が止まっていても事故を起こした原因ではない。脂質は水に溶けないので、運ぶにはタンパク質のコンテナにと糖鎖のラベルが必要なのだ。
あれほどコルステロール下げる薬売りながら「予防医学」は何も予防できていない。コルステロールにしてもその他の検査値にしても、よく効く薬で小細工してそれを下げた所で本質的な問題は何も解決しない。
毎日の食事を続けることこそが大事なのだ。今日は素晴らしい食洗機の入れ方が出来た。これは凄いと思うのだが、誰も評価することはない。最近太ってきているマユには定時のご飯以外やらないことになって少し悲しげである。
動物界の生命のコロニーに生きるマイクロバイオームは「半分が脂質」「半分がタンパク質」で出来ている。食事の中に必要なものは入っていたから数百万年、人は生きてきた。時折起こる災厄は社会の変化として食事の環境を直撃したのだ。野生の動物は、食べる「生命」が居なくなれば死ぬ。人は「調理」と言う食物連鎖のパーツを作り変えて生きてきた。
1980年代の大きな社会の変化は「ヒトやイヌ、家畜」にとって大変な変化だったのだ。素材の中の生命を大事にしたプロセスでの調理こそがこの80年間で失われたものである。それは家族という「シェルターであり欲望の檻」を見事に吹き飛ばしたのだ。
『私達を苦しめる「病因」のない「症状」、生活習慣病やその後に続く「合併症と言われる臓器不全」、指定難病・膠原病と言われる全身各所に起きる炎症。リュウマチ・骨粗鬆症と言われる骨生成と破壊のアンバランス。ガン・自己免疫疾患と呼ばれる免疫系のサボタージュと暴走。』の原因はそれだ。
#揚げ物一式 #八宝菜
【【2021年9月28日】野菜が食べたかったので八宝菜にした。野菜はナマより炒めたほうが僕は好きだ。海鮮はベビーホタテを解凍した。別鍋でじっくりと油を出して鳥豚と合わせて椎茸でスープにして炒めた野菜に合わせかけ、片栗でトロル。八宝菜というのは大方白菜なのだが、今日はキャベツである。モヤシはいつも必要な気がする。出来上がってからネギが入っていないことに気がついた。
穏やかな一日である。健やかに年をとっていけるといいなと感じる日であった。年をとったものだ。
指を切っているので思うようではないが妻のパートの弁当である。庭に植えた落花生が出てきたので茹でた。美味しかった。普通の殻付き落花生はどうするのだろうか。茶そばを作り少し食べた。お腹いっぱいである。
#キズパワーパッド 禁酒7日目
【2021年9月28日】キズパワーパッドを知ったのはもう10年前だろうか。ひどい火傷を何も痛くなく治ったのである。その後この絆創膏は常備するものとなった。かなり治ってきたのだ。
#おでん風 #赤鯛干物 #キムチの豚炒め
【2021年9月27日】手を負傷したので皆、作ってもらった。魚と肉と汁である。少し足りなかったのでナンをチーズのせて焼いた。何もしないでいただけるおは嬉しいものである。枝豆の安い物がでてきた。
#後片付けの科学 #カニ雑炊 禁酒6日目
【2021年9月27日】丸干しが悪くならないように焼いた。骨に沿って左右に包丁を入れると腹が破裂しない。弱火で5分ごとに返して15分である。ひき肉で蓮根と人参のキンピラをした。レンコン刻んでいる時に指も刻んだ。何年ぶりだろうかちょっと考え事していた。指を包丁から離すと危ない。キズパワーパットを使うと痛みがない。気がついたら手に火傷していた。
味噌汁は少しだけ作った。丸干しは焼き上がったところで醤油を差した。いい天気の朝だ。どうも仕事に力が入らない。
#後片付けの科学 #カニ雑炊
【2021年9月26日】お腹が落ち着かなくてスーパーに行ってレトルトの雑炊を買ってしまった。悔やまれる。後悔は後からするものである。味はそんなに悪くない。鶏肉を炒めて、米をちらして自作すればよかったという後悔である。レトルトさんは悪くない。
懺悔というわけではないが、食洗機に詰め終わり回し始めた。なにか作る時にぶっちがいで片付ける。自分で食べた食器は、は自分で片付けろとか言ってはならない。そんな事を言うと食べてもらえなくなる。金出せば「いただきます」も「ごちそうさま」もいらない食事を買えるのだ。そしてそんな食事は人生の終わりを辛いものにしてくれる。自分に合った食べ物を作れなくなてしまった老人は売っている食事に合わせるために何種類もの薬を飲み同じ様な手術を繰り返して年金ATMとなって医者に富を与える。ミイラのようになってよく頑張りましたねと褒められるが、そんな頑張り方をするくらいなら僕は厨房仕事を頑張る。家族、そして自分のために。統計的に見て老人はそういう死に方をする。僕は愚かだが、自分が大丈夫だと思うほどの馬鹿ではない
明日は月曜であるが僕には関係ない。常に追い詰められておる。少し頑張らねばならない。プログラム作りの困ったところは何年も前の自分の愚かさに苦しめられるところだ。時折いいこともしているが、多くの場合、後知恵があぶり出す不手際を後悔することになる。生きることは憂鬱の連続である。時折嬉しいこともあるが、最近は物忘れが激しい。大丈夫だろうか。まだそう思えるから、しばらくは大丈夫。
#じゃがいものガレット
【2021年9月26日】youtubeで時折美味しそうな動画を見る。先日ジャガイモを千切りにしてじっくりと加熱してチーズと卵を挟んで焼く動画を見た。版は何も作りたくなかったが第一案の牛丼は却下して、これにした。金もかからないし嬉しい味である。バジルのオイルを使って香りを強めた。バジルオイルはかなりいい。ローズマリーも参加させて唐辛子を加えた。もしかしたら無敵かもしれない。もう一瓶くらい作っておこうか。なにせ、庭に生えているから無料である。少し色が落ちえるので冷蔵庫に入れておいたほうがいい。フライパンで熱が出ると香りが凄い。
青のり、カツブシ、お好み焼きのソースとマヨでまとめた。カリッとさせて仲間で火を通すのが大事である。これはこのシンプルさがいいのだろうなあ。パスタやピーマン玉ねぎと入れてもいいようだが、たいていシンプルな味が損なわれる。それでもやってみようか。ジャガイモの美味しさが嬉しい。
#屋根の上 #ケンタ
【2021年9月26日】お彼岸から帰ってきて、屋根の上に上がった。馬鹿だから高いところに登りたがているのではない。落ちたらまさに大馬鹿であるが、墓に持っていくのに白い百日紅をとりに上がったのだ。手に届くところには一輪しかなかったので仏前に揚げて、墓には他の草花を持っていった。
ハクビシンの糞が溜まり芽が出ていた。柿は少し色づいているので今年は干し柿くらい作れそうだ。屋根から池を覗くと鷺の気持ちがわかる。鳥が羨ましい。3時過ぎにケンタを食べた。今日はじめての食事である。何とうまいものか。ビールも飲みたいものである。
#お彼岸
【2021年9月26日】遅くなったが墓に行ってきた。自営のソフト会社などというのは仕事がなければただの失業者である。今年も国体が中止になったのでもはやこれまでと思ったが、半分までは進んでいたので半額が頂けた。お彼岸は、こちら側で過ごそうか向こう側で過ごそうか考えていたのだが、こちら側で過ごした。
無花果とミョウガ、ローズマリーと百日紅を持っていった。墓石にアオガエルが2匹棲んでおった。数年前に一回一匹いたのを見たのだが、今日お会いするとは思わなかった。お友だちが出来てよかったね。爺ちゃん婆ちゃん。
ナツズイセンの種をタケノコの山においてきた。
#自己血糖測定 #後片付けの科学 禁酒5日目
【2021年9月26日】後片付けはおおよそ10〜15分で一段落する。ピカピカには終わらせない。オシッコに起きた時に片付けた。血糖値を測る。戒めのためでもあり自分の食事指針を見るためである。『高血糖が悪いわけではない。ブドウ糖は毒ではない(笑)。あまりに魅力的で食卓から大事なものを押し出してしまうのだ。昨日は、ハメを外しすぎた。インスリンだけが血糖値を下げるというが間違えである。尿(オシッコ)からも排出される。僕の場合は300mg/dlを超えると著しく排出が始まる。1時間10mg/dl程度の降下分のインスリンは分泌されている。まだII型である。180mg/dlを超えるとテステープ(簡易測定の紙)で検出できるので医者は精密検査をして病気にいしてしまう。血糖値を下がるというのは薬でできることである。しかし大事なのは食事である。
僕の身体は食事に敏感に反応する。通貨(ブドウ糖)の多い食事は本当に大事なものを食卓から追い出す。パスタは美味しいのだが、身体のうちなる海ではインフレ(通貨が多すぎて値段が沸騰して物が買えない)が起こる。ブドウ糖が多すぎて「タンパク・脂質」の不足である。
仕方ないから、身体の内側で手軽に作れる「タンパク・脂質」を使う。『私達を苦しめる「病因」のない「症状」、生活習慣病やその後に続く「合併症と言われる臓器不全」、指定難病・膠原病と言われる全身各所に起きる炎症。リュウマチ・骨粗鬆症と言われる骨生成と破壊のアンバランス。ガン・自己免疫疾患と呼ばれる免疫系のサボタージュと暴走。』の原因はそれだ。
サプリメーカーは「タンパク・脂質」が不足しているとサプリメントを売るのに必死だが、タンクベースで作られるアミノ酸やオメガ系のオイルは、食物連鎖のうちから引き継ぐ「生命=食材の中にある時の立体構造」を持っていない。サプリやトクホが役に立たない理由である。
#血糖値自己測定
【2021年9月25日】スパゲティ5時位に食べて、9時に、色々と食べた。ロールキャッベツには春雨入れて、パスタに唐揚げ、ノドクロに、コロッケとキムチにパンまで食っちまった。ハメ外したのである。血糖値は凄いことになっているであろうと思ったが、まあ、こんなものであった。300超えているかと思ったのに。血糖値が高くなるような代謝系になるよううな食事は当然のことながら、食事の中の「タンパク・脂質の立体構造」が維持されない食事となっているのだ。つまり直接の原因ではない。商品化された大量生産の食事こそが問題なのだ。そして、嗜好品は美味い
血糖値は食事に対しての身体というコロニーの当たり前の反応だ。その時の身体の内でどのようなことが起こっているかを教えてくれる。ブドウ糖が多いから血管がボロボロになるとか大嘘である。それが証拠に一切の分子生物学的な機序は見つかっていない。「終末糖化物質」などと呼んで怖がらせる。いかにも恐ろしそうな呼び名である。が、「Advanced Glycation End Products」って、昔は「最終糖化物質」と呼ばれていたというのに....。細胞の中に多く見つかることが災厄の原因ではない。そんな代謝系を生むような代謝系が問題なのだ。医学は、「静的=解剖学」止まった状態しか見ることは出来ない。そこに至るプロセスに問題があるとは考えることが出来ないのだろうか。ヒトの身体は食事を代謝するものなのだ。では、食事の中にしか原因を見つけることは出来ないだろう。しかし、残念なことに。誰一人として同じ代謝系は存在しない。つまり、「静的なエビデンス」はないのだ。
信じる者は救われるのだ。80年前の食事を考えてみればいいのだ。
#イシモチ #揚げ物一式 #スパゲティナポリタン
【2021年9月25日】スパゲティナポリタンって大好き。ウインナ切れ目入れてピーマンと玉ねぎでケチャップである。たくさんできた。イシモチは昨日さばいたものを塩しておいた。唐揚げには大きくて、三枚におろすのは難しいので骨が出るように半身を開いて片栗で揚げた。鳥は醤油とニンニク、鮭は落ち鮭というのだろうか味は落ちるが、安くて嬉しい。カボチャは素揚げ。久しぶりにモツを煮ている。
あ、いけない冷凍のエビを揚げ忘れた。キャベツを刻んでおしまいである。朝がお遅かったので3時位にお腹がづくであろう。ナポリタンを食べたいものだ。唐揚げとキャベツを添えて、モツの味噌煮が出来上がっているであろう。
夜は豆腐があるのでミョウガと豆腐で味噌汁にしよう。作っている途中に次の食事のことお考えることも多い。終わったあとで、ミョウガの唐揚げを作ればいいかなと思った。後悔は後からするものである。
何も作らないで食べた。
【2021年9月25日】ロールキャベツは強力だ。汁にもおかずにもなる。魚を食べて、冷凍の玄米にオクラ納豆食べた。先日のメバチマグロのズケを食べ終わった。梅干しを少し出してみた。紫蘇を買えなかったので心配したが、美味しく出来ている。こういうご飯は安心する。
食洗機を満タンにして回し始めた。大豆を煮ている。豆は煮ておかないと使えない。明日の朝は醤油おこわしよう。ヒジキと大豆に油揚げ入れようかな。
まもなく、昼食というか晩ごはんお弁当を含めた食事を作る。中々忙しい。少し眠気がさしているのでウトウトしようかしら。
#後片付けの科学 禁酒4日目
【2021年9月25日】後片付けの一番の問題は、「どこまでやるか問題」である。妻はピカピカまで片付けて、回さなくとも入れられるだけ食器洗い機に食器を入れる。シンクもピカピカにする。レンジ周りはそのまま油がはねていたりする。僕の担当だという。
つまり、流し廻りを綺麗にすることに重点を置くのだ。かなり時間を喰う。ぼくが仕事をしている時、片付けをすることがあるのだが、僕の2-3倍はかかっている。綺麗にはなるが効率的ではない。
僕は15分かけないで僕は終わる。「次の厨房仕事ができるところまで」片付けるのだ。レンジはきれいに拭いて、次に火を使っても脂がこびりつかないようにする。鍋は片付ける。食洗機には定位置に入るものだけ入れる。もちろん入れる時は洗剤で拭う。残った皿は桶に浸しておいて炭水化物やソース系が落ちやすいようにする(これが妻には気に入らない)。
後片付けは終わりのない雨の中を傘もなく歩くようなものだ。時折、雲の間から晴れ間が覗くが、少し料理すれば汚れ物は貯まる。ピカピカはとても気持ちがいいが、料理作りを躊躇させては本末転倒である。
一眠りして後片付けが終わったのでアイス食って少し仕事することにした。明日は朝ゴミ出して昼には妻のパートの弁当を作る。のど黒をさばいたし、海老のフライを買ってきた。安いエビフライで、しっぽがなければエビとは思えないものであるが、結構喜ばれる。タウたるソースを自作するのだ。ピーマンと玉ねぎにマヨとゆで卵である。
後は何するかなあ。11時半くらいに一生懸命して、後は何もしなくていいような気がする。ロールキャベツがあるからなあ。パスタ喰いたい。
#アコウダイ #ロールキャベツ
【2021年9月24日】ロールキャベツは秋の始まり。うちでは「おでんのダシ」を使う。豚の挽肉と玉ねぎを握ってキャベツで包むだけである。昔は肉の種類を混ぜたり牛肉でまいたり、色々としたが、単純な方がいいようである。手をかけて気がついてもらえなかったり、低評価だと悲しい。表情にでてしまうと、妻も黙り込むようになり、適切な料理の評価が得られない。「レストランポイポイ」を狙うのは毎日の料理には好ましくない。キンメダイかと思っていたが、アコウダイであった。とても上品な魚だが、油が強いので時間が経つと「生がえる(水分が飛んで生臭くなる)」。醤油を焼いたところに垂らすのがぼくは好きだ。魚は焼き立てが一番いいので、娘の分は後から焼けばよかった。一匹残った。リガトーニは好評であった。昼のものが一人前残しておいたのを皆食べてもらえた。
季節によって喜んで食べてもらえるもの変わる。年をとれば好む食べ物も変わる。作る側も、見方が変わる。食材の選び方も変わり、常に厨房は変化が起こっている。それは身体の内側の変化でもある。そしてその変化を感じ取り作り方を変える。『美味しさ』というのは、医者が治療の基準とする「検査値」などよりも遥かに素晴らしい指針である。何を食べ、何を残すか?いつも注意深く見つめながら毎日の料理を作る。
時折、母が調理のコツを話していたことを思い出す。やがて80歳を超えて何も作れなくなり、米を炊いて取り寄せた佃煮を美味しいと言って食べるようになり、毎日のように医者に行き何種類もの薬を飲み始めていった。考えると、心穏やかにはいれない。いつか自分の行く道である。ごめんね母さん。
#リガトーニ #クリームシチューグラタン
【2021年9月24日】シーチキンを使いたいと言い残して妻が買い物に行った。帰ってくると腹をすかしているだろうから少しこってりしたものを作ることにした。リガトーニを茹でて、野菜をたっぷりと炒めてクリームシチューを溶かし入れる。シーチキンがヒト感だと寂しいので鶏肉を刻んで適当に入れる。余った鳥はニンニクと塩して明日の唐揚げである。すき焼き鍋にローズマリーオイルを溶かしてリガトーニを十分炒めてシチューを流し込んでチーズを乗せる。グラタンの大事なところは鍋を熱くしておくところだ。オーブンを予熱するのもいいが、冷たい鍋が入ってはあまり嬉しくない。クツクツと湧いているグラタンがオーブンお天火で焦げていくのは嬉しい。人数が多い時はジャガイモ茹でたりか下の量を増やしたりして調節する。今日はたっぷりのキャベツである。出来上がっても芯のところは残っているので美味しいのである。
3回お代わりした。朝の鮭も食べた。ぼくが腹ペコだったのである。マユも食べたそうでる。「キーボードの粗相」をもう忘れているようである。熱いのでやらない。意地悪をしているわけではない。
しかし、こんな美味いものは売ってはいない。箱に書かれている作り方は信じないほうがいい。平均点かもしれないが、自分に合っているわけではない。自分にピッタリのものは、自分で作るほかないのだ。手間はかかるかもしれないが、ピンコロの人生の終りが来る。只今実証実験中である。
冷蔵庫に地場物の魚が入っていた。夜はさばいて明日唐揚げだと思われる。安い魚は嬉しい、海から生命を運んできてくれる。僕の内なる海に放してやろう。
#おしっこキーボード #ピザ
【2021年9月24日】隣の実家に片付けに行ったら、机の上のキーボードにマユにおしっこされた。久しぶりで気を抜いていた。しかし、このキーボードは強い。今までで買ったキーボードの中で一番の「おしっこプルーフ」である。残念ながらもう販売していない。
机の上を綺麗にするいい機会である。そう考えることにしている。トイレに小さくなってこちらを睨んでいる。キーボードを掴んで向けるとガウという。ピザを食べた。昨日の半額のワンカットである。マユにはピザの耳の方をあげて仲直りした。無花果も2つなっていた。少し寒くなってきているのだ。妻に貰って嬉しそうである。
今晩はロールキャベツにしようと思い昨日安くなっているひき肉を買っておいた。たくさん作ると余るので巻いたら少し冷凍しようか。明日は妻のパートなので揚げ物をする。しかし、健気なものである。
#メバチマグロ #パエリア
【2021年9月24日】昨日、メバチマグロの刺し身が安かったので閃いた。ミルクパンでパエリア作ることにした。サフラン買って帰り、今朝になったのでニンニクをローズマリーオイルで炒めてメバチマグロ、その他いろいろを入れてトマト缶を加えた。少し、醤油入れて焦がしたら良かった。鮭と塩サバは強めに焼いて、味噌汁と温玉は妻の作、煮しめは昨日のもの。ミルクパン調理は面白い。最後の方であけてみて水が足りなかったら少し足す。フライパンでのパエリアとは違った風情である。今日は普通の米であった。
毎瞬間、「身体というコロニーの内側」に生きる「細胞やマイクロバイオーム」は浮かんでいる海から様ざなま身体のパーツを受け取る。タンパクとか脂質という単純な「特徴」でしか医学は見ようとしないが、その立体構造や糖鎖の連結位置一つで全く異なった姿を見せる。そして私達のような雑食で調理を行う生き物はメタモルフォーゼ(年取り失われていく機能)していく身体の内側の代謝系に向き合った食事を作るすべを学んだのだ。
しかし、今の「コンビニ弁当で生きる人々」は身体の内側がコンビニの弁当の代謝系になる。同じ弁当は、身体をそれぞれに壊す。内臓はそれぞれのヒトによって痛み方が異なり、検査値は個別に変わる。よく効く薬が登場である。60歳ぐらいからおおくのヒトが検査値を成城にする薬を飲み始まめるが、食事は大量生産で、生命の持っている「タンパク・脂質の立体構造」は破壊され、身体の内側で必要な特性を失っている。これを「弁当全体主義」と呼ぼう(笑)。
生活習慣病やその後に続く「合併症と言われる臓器不全」、指定難病・膠原病と言われる全身各所に起きる炎症。リュウマチ・骨粗鬆症と言われる骨生成と破壊のアンバランス。ガン・自己免疫疾患と呼ばれる免疫系のサボタージュと暴走。みな、食事に原因があるのだ。クスリで検査値を下げても意味はない。
#マユのご飯 #後片付け 禁酒3日目
【2021年9月24日】1時30分である。小腹がすいたので半額のパンを食べた。マユは乾いたパンズが苦手のようだ(笑)。厨房の片付けと明日の朝からのマユのご飯を作る。キャベツをメインに昨日の残りを刻んでやる。手羽先のあげたものとロース肉は刻んでいると足元に寄ってくる。9食分を作れる鍋に残っている野菜を刻んで入れる。今日はかぼちゃも入れた。ここ数日の食いつきの悪さはショッパみが足りなかったかと思い、醤油で味を入れて味ををした。イヌは塩分を代謝できないというが、バッカじゃなかろうか。野生の肉食獣は他の動物の血をすする。猫にしてもライオンにしても、身体の内なる海の塩分濃度は細胞の元気の良さに直結する。塩分が少ないとあまり良い事はない。家族には、明日の食事も楽しんでもらえるといいなあ。
後片付けは難しい。これほど高度な作業を難なくこなす僕って凄い(笑)。厨房仕事は未来に対しての祈りなのだ。面倒がったり、ディールに使ったりしてはならない。厨房の神様につつがないピンコロの人生の終わりをお願いする。もちろん、マユ、家族、もう亡くなった父母、父母の愛した小さい頃の僕、庭の木々、生命は繋がりダンスしている。
明日は何食べようか。
#里芋煮付け #鳥手羽鮭アヒージョ風 #薄カツ #イカ煮浸し
【2021年9月23日】里芋の煮付けを作るのが一番で、後は冷蔵庫と相談をした夕食である。どうも気持ちが乗らないで、煮付けで終わるかと思ったが、一日働いて疲れた娘が帰ってくると思うと、なにか「ガッツリ」したものを考えることにした。ロース肉あったので、パン粉をつけて揚げたらいいかと思う。生姜焼きが続いているので少しひねってみた。チーズ入れてまいてもいいが、衣を厚くすると(余りコッテリすぎる)ような気がしたので止めた。手羽先を揚げるつもりだったが鮭と一緒にひたひたの油で泳がせるように加熱した。これも美味しい。イカは沸騰した中に入れ、止めてて4分なのだが出し汁にミョウガと生姜を入れて煮浸しにした。なんか品々で来たので豆ごはんと食べた。明日はパスタしようか、ひき肉がある。使うつもりで出来なかった。そうそう、タケノコが瓶を開けたら痛んでいたので使えなかった。
#豆ごはん 禁酒2日目
【2021年9月23日】地味な昼食というか朝ごはん、朝から豆を煮て豆ごはんを作った。かなり美味しいがもう少し柔らかいほうが好みである。結構長くかかる。豆を煮るのは面白い。これ以外のおかずは数日の間のおかず。魚肉ソーセージのお好み焼きは皆食べてもらっていた。キャベツを前もって切っておいたほうが美味しいというお客さんもいると大阪のお好み焼き屋さんで教えてもらったことがある。今回の生地は、数日粉に漬けたものだったのだが、こなれていて美味しかった。今度もう少し考えてみよう。キャベツの美味しさが生地全体に感じられた。チーズも意外と美味しいのであった。
牛肉と焼きそばは美味しくなっていた。不思議なものである。
#魚肉ソーセージお好み焼き
【2021年9月22日】ちょっと腹が減って、魚肉ソーセージを乗せたお好み焼きを作った。チーズも乗せたのであるが激旨である。しかし、夜中に作ってしまった。明日の朝まで残っているであろうか?数日前のお好み焼きの残りが合ったのである。キャベツが溶け込んで美味しいのだ。もう少し刻んで入れればよかったかしら。
#カボチャと金時草の汁 #ミョウガと生姜の焼き肉
【2021年9月22日】今日はマユの食いつきが悪かった。先日のイナダの煮付けを入れたら、残された(笑)。魚はお嫌いのようだ。汁にはニューフェースの金時草とオクラにカボチャで味噌味にした。生姜でロース肉を焼こうと思ったが少し芸がないのでミョウガを一緒に炒めてみた。昨日の鳥とジャガイモはジャガイモだけが残ったので卵で包んだ。
秋の雨である。そろそろ庭に行っても蚊に刺されなくなっているであろう。今日は一日机に向かていた。何も進まない。国体があったら明日出かけるところであった。来年はどうだろうか。何かいい仕事を見つけねば命がない。自営業とは恐ろしいものである。
#牛肉とカボチャ諸々の炒めもの焼きそば
【2021年9月22日】牛肉が痛み始めていた。こういう事はよくある。できるだけ捨てたくないのでジリジリ炒めて野菜を加えた。最初に肉をよく炒めて根菜系を下に敷くように並べて味を出す。オイスターソースで味を入れる。太麺が残っていたので茹でてごま油で炒めてからからになるまで炒める。麺の水分がなくなった所で炒めを乗せる。ソースが麺に入り込んで美味しくなる。素麺が残っていたので卵と納豆を加えて食事にした。
#豆苗とカボチャのハムチーズサンド #豆おこわ
【2021年9月22日】小豆と青豆(大豆の青いやつ)の煮たものが残っているので「おこわ」にした。今回は醤油を入れ忘れなかった。20分でおおよそ美味しいおこわになる。もち米が多くあるので、適切に使い切ると嬉しい。
豆苗とカボチャを炒め、マヨってフライパン焼きサンドにすると旨かろうと夢に見た。夢のお告げは身体の内に住むマイクロバイームが「食べたいよう」と言っているのだ。小フライパンでカボチャを(バジルオイルで)炒めて柔らかくなったら豆苗を入れて熱をかける。最後にマヨって半厚にした6枚切りに挟んで、大きいフライパンで加熱してチーズを溶かす。
ソテーしたカボチャがとろけるようである。朝から美味しい。昼は何喰うかねえ。
#トムヤンクン #後片付け 禁酒1日目
【2021年9月22日】2時くらいだろうか、娘が食べていたインスタントのトムヤンクンを食べたくなって、頂いた。残り物を少し食べた。大体、後片付けをしながら何か少し食べることが多い。インスタントのスープも美味い物だ。ゴッツリと夜のおかずを食べたのである。満腹になる生命に溢れた食事+心が嬉しい嗜好品で夜食は嬉しいのである。
#カボチャとナスの味噌 #麻婆オムレツ
【2021年9月21日】10時くらいに妻が帰るので汁を作っておく。肉が入る今日はかぼちゃがあったので入れて、オクラを下茹でしておいてちらした。ミョウガ入れ忘れた。玉ねぎは入っていないので残ったらマユにあげる。昨日の麻婆豆腐が残っているので卵で閉じて美味しく頂いた。昼の鳥のソテーを一緒に食べたらお腹いっぱいである。
何より、美味しいもの(つまり自分に合っている)お腹いっぱい(身体の内にいる「蟲=マイクロバイオーム」が満足している代謝をしている)ということだ。どうしてお腹がへるのか、満腹になるのか、この謎は深い。身体がDNAが作った機械で「脳が運転する機械」だと言う医学のモデルは貧弱である。
身体の内にいる「蟲(受精卵由来の細胞群、それ以外の細胞生命)」達が互いにディールしながら生きているというモデルが僕のレシピの基本だ。ミトコンドリアは、細胞に取り込まれた受精卵に由来しない生命である事はリンマーグリスさんが明らかにした。どうしてその生命の律を重視しない。あらゆる生命科学は変わる。しかし、僕にはどうでもいい。ピンコロの人生を迎える食事は「政治的に正しい栄養学」では見つからない。答えは私の内側にある。
#鳥のパリッと焼きとジャガイモのソテー #金時草 #素麺 #ローズマリーオイル
【2021年9月21日】金時草というのは初めて見た。茎と葉のたちが違う。モロヘイヤとか空芯菜の仲間であろう。茎がしっかりしているので先に茹でたほうが美味しい。モロヘイヤのように少しぬめりがある。独特のアクがあり嬉しいものである。鳥がコッテリだったので、素麺を茹でて、キャベツの千切りと一緒に食べると美味い。鳥はばりっと焼いていたのだが、ニンニクが焦げ始めた。長く熱をかけられないので皿にあげて切ってまた戻すことにした。玉ねぎを入れて、茹でたジャ芋を加えて白ワインと醤油で味を整えたところに戻した。白ワインと醤油は鳥の時によく使うくみあわせ。者kwは匂いが出始めていたのでよく洗って焼いて醤油につけた。塩鮭ではだけだけど味が入っていない鮭はこれが美味い。バジルオイルにローズマリーも加えた。冷蔵庫に保管することにした。
とにかく満腹が食事の目的だ。しかし、身体という細胞生命のコロニーにとってはそれぞれに必要なものは違う。食事を身体を統べるマイクロバイオームが選ぶが、身体の海に浮かぶ臓器によっては必要なものが入ってこないことも多い。なぜ、売られている食事には年寄り向きのものが少ないのか?そしてそんな食事でも年寄りは満腹になる。そこが問題である。
#後片付けの科学 禁酒0日目
【2021年9月21日】昨日は娘の誕生日で豪遊した。後片付けを始める。後片付けの内に法則性を見つけて効率的な手順を洞察するのが「後片付けの科学」である。それは他人に指示するものでも強制するものでも無い。しかし、効率的に「家族の衛生感情」を十分満足させねばならない。かつ、非効率な作業であると家族に思われてうはならない。
「後片付けをすること」で夫婦げんかは多発する。メソメソしながら後片付けをしてはならない。手伝ってやっているんだぞというアピールは厳禁である。殺人事件にさえ繋がりかねない。とにかく役割分担などしてはならない。厨房仕事は祈りである。人に指示されたり、人に頼んだりは出来ない。自分で祈らねば願いは伝わらない。厨房には流しとカマドに神様がいる。醤油差しにも油注ぎにも、鍋にもお玉にも、神様がいるのだ。家族を健やかに見つめ、皆に順番に送ってくれる。
かつては、夫は外で金を稼ぎ妻は家の中の総てを司った。今や共働きでやがて年老いて片方が先に死んでも家事選択をしてくれる子供がそばにいることはない。
身体のメタモルフォーゼは恐ろしく激しく、外見からはわからない変化が起こっていく。だから雑食の生物は長命である。通常の生命は食事を変えることができないからその代謝系から外れた時にころりと死ぬ、人は食事という食物連鎖のパーツを作り変えることで、内側の変化に対応しているのだ。商品化化された食事(画一的で誰もが喜ぶおいしい食事)は、内蔵臓器を壊していく。検査値を上下する薬を飲んだ所で、食事がそのままでは仕方がない。
家族というシェルターは「介護行政」という形だけのコピーに受け継がれたのである。そして僕らは満足できない。皆不幸になるのだ。せめて自分のことは自分でしながらコロリと死にたい。そのためには、厨房仕事は欠かせない。食事は明日の自分の身体を作っているのだ。
互いに「友愛の情」を持ち共に「死に向かっていく身体という現実」に向き合うことこそが重要なのだ。心安らかにピンコロであちらに行く。
昔から、後片付けは夜中にやっておる。
以下代謝に関してのコメント 記事の下書きになるのだが=======
に目を向けないから「その瞬間の身体」の中に栄養素があるかどうかばかり気にする。
炭水化物は基本的に「乾燥」して存在するものだから他の2つとは違う。
「タンパク・脂質」は乾燥すると基本的に立体構造を失い、特性が消える。
植物ももちろんタンパク・脂質を使うけど幹や構造体は繊維質(プラスチックと同じ)。
「葉とか花は」水を脂質の膜で覆い細胞と言う海を作り、光合成を行うオルガネラを持つ。
そして多くの場合1年でで生を終えて土に戻り、そこ土中のマイクロバイオームに羽の中にいた頃のことを伝え、次の生に備える。
うーんロマンチックである。
炭水化物の中でも繊維質(リグニン)を代謝できるマイクロさん=>シロアリとタッグを組んでいたりする「菌類」
糖質(グルコース:ブドウ糖)を代謝できるマイクロさん=>発酵と言われる人が勝手に商売に使う酵母など
を代謝して「脂質とタンパク質」が出来て、肉を腐らせる腐敗菌(レンサ菌とかブドウ球菌、炭疽菌とかO157)このい人たちがいないと地表は動物の死骸だらけ。昆虫や小動物もまずは腐敗されたものを食べる。だから菌類と彼等はセット。
そしてもう少し大きな動物につながるけどそこから先もみんな決まっておる。
「ヒト」を中心に生命の流れを見るのではなく、代謝を中心に生命を見ると面白いと思うのですがねえ。
中々noteに書くのが難しい。
食事を作りながらそんな事考えています。