宗教、東洋思想と『幸福』の関係
※まずはじめに断っておきますが、この記事は特定の宗教を批判するものでも推奨するものでもありません。
また、あくまで私個人の宗教全体に対する解釈です。
人生を迷いなく生きるための道しるべ
あなたは、人生の意味とは?どんな考え方を生きる基準として持っていますか?と聞かれたら明確に答えられるでしょうか?
ほとんどの人はこの問いに明確に答えを持っていません。
なぜなら、日本人は世界的に見ても『無宗教』だと言われているからです。
実際、日本人はいくつかの宗教や思想に頼って生きているのですが、それを自覚している人は少なくありません
この問題を解決する手段のひとつとして宗教や東洋思想は、人間の人生に大きな影響を与えます。
1,宗教の前提とは?
宗教を構成する要素として大きく3つに分けられます。
①教祖または開祖がいる
②教典がある
③教義がある
この三つです。
ひとつずつ解説していきます。
①教祖または開祖がいる
思想や人間の在り方を創造した存在と言えます。宗教によっては神であったり、実在した人物など違いはあり、また解釈も異なります。
その教祖または開祖は、世の中を生きるためにどのように人間は人生の中で振舞うべきなのか?
何が善で何が悪なのか?生まれてきた理由、生きていく理由、そして命を全うする理由、その後に訪れる世界はどんなものなのか?
ということをを熟考し経験を重ねながら作り上げた存在です。
②教典がある
キリスト教でいうところの聖書、イスラム教ではクルアーン(聖典)、ユダヤ教ではタナハという、各々の宗教の基本思想や伝記が書かれているものです。(正式名称が違っていたら申し訳ありません)
特定の宗教を信じている人にとって、生きるために欠かせないものです。
現在では誰もが簡単に目にすることができますが、印刷技術がなかった古代では、これらは特定の場所にだけ存在する神聖な書物でした。
それを信仰している人たちが書き写したりして持ち歩くようになり、いつでも読めるようになっていきました。
日常的に読む、何かに悩んだときに読み直すことによって、生きる意味や問題解決の思考法などいつでも学ぶことができる、人生の規範または拠り所になるものです。
③教義がある
この世に生を受けた人間は、どのように生きるべきなのか、生きる意味とは何か、などの根本的な教えのことです。
つまり、宗教とはなぜ人が生まれ、生き、命を全うし、その後の世界に行くのかということが明確に書かれているのです。
教義に従い生きていくことは、理解できないこの世の出来事を、心穏やかに、そして迷いなく生きていくために重要になります。
2,宗教を信仰することで得られる人生観
日本人の中にも特定の宗教を信仰している方はもちろんいますし、信仰の自由が保障されている以上、誰もが自由に教えを選ぶこともできます。
また、同時にどの宗教も信仰しないという選択肢もあります。
日本人の多くは無宗教と自認しているので、特定の教典や教義を持っていないと感じるのです。
特定の宗教を信仰していないということは、何を拠り所にして生きていけばいいのか?生きる意味とは何なのか?なぜ生きているのか?なぜ命は永遠に続かないのか?死後の世界はどのようなのものなのか?の問いに悩み、苦しみ、ストレスをため込んでしまう原因のひとつになると言えます。
生き方に基本的な考えがあれば、迷うことは少なくなるはずです。
逆に、特定の信仰を持っている人は、教義に従って生きることができるので、人生の意味や課題などを常に意識しながら生きていくことができます。
生きることに迷いや疑問を持っても、教義に従うことで解決できるのです。
教義を持つことは、ある意味では心穏やかに生きるためのひとつの選択肢であると私は考えています。
人間が悩むときには、なにかしらの問いに対して明確な答えを持っていないことであり、答えのない問いに苦しめられるからです。
私の考える『不幸』な状態とは、生きるための道しるべ、教え、根本的な理由を見いだせずに苦しみ悩み続けることです。
宗教はその苦悩から解放してくれる重要な選択肢のひとつではないかと考えます。
だからといって、なにか特定の宗教を信仰すべきだという訳ではありません。個人にちゃんとした人生観や生き方を持っている人は、その考えに従って生きれば良いのです。
(※私自身は特定の宗教を信仰していません。)
3,宗教と社会性
人間はといいますか、そもそも動物という種は『社会性』を持った生き物です。
『社会性』とは特定のコミュニティに所属し、その中で自分の役割を果たし、存在意義を示すことです。
多くの動物が群れの中で生活しているのと同様、人間もコミュニティや他者とのつながりという『群れ』のなかで過ごしています。
『私は誰とも関わらず一人で生きていける』という人もいるかもしれませんが、根本的には本能として所属の欲求というのは誰もが持っていると言われています。
宗教はこのコミュニティの役割も果たしています。同じ信仰を持つ者同士がつながり、定期的、不定期に関わらず顔を合わせる機会も、無宗教の人よりは当然多くなりますし、そのつながりはとても強いものです。
生きていくうえで他者との関係性を築くことは『幸福』の条件のひとつともいえます。その点で宗教が果たす役割は大きいのではないでしょうか。
4,無宗教と言われる日本人と宗教の関係
あなたも自分は無宗教だと思っているかもしれませんが、日本人は3つの宗教や思想から大きな影響を受けて生きています。
それぞれ解説していきます。
①仏教
日本人の多くは仏教の影響を受けていますが、仏教の教えそのものを信仰しているという訳ではありません。
日本人は誰かが亡くなったときに、お寺の住職にお経をあげてもらい、死者に対して供養する文化があります。
この文化は仏教の影響を受けています。
ただインドや中国と違ったニュアンスに捉えられるのは、空海や最澄の影響が大きいのです。カジュアルな言葉を使えば、日本人用にカスタムされているのです。
(↑はお寺の一例です)
②東洋思想
日本人にとっての東洋思想とは主に『儒教』のことを指します。
儒教にも幅広い教えがありますが、そのなかでも家父長制度(男性を優先する考えで、最近は変わってきていますが、結婚などに際して男性の名字を何名乗ることなどはこの流れです)や年長者を敬うこと、先祖崇拝は儒教の教えです。
ご先祖様を大切にしなさいと言われることや、お墓参りに行くのは儒教の影響を強く受けています。
これは、命は連続して途絶えることなくつながっているという考え方です。
③神道
かつては日本の国教に指定されていた神道ですが、日本人の多くは神道についての知識がないと言ってもいいのではないでしょうか。
神道の特徴的な点は、教祖や開祖がいないこと、教典がないこと、教義がないことです。
これは宗教の前提条件でも紹介した3つの前提をどれも含まれていません。
そもそも神道とは『唯一神』という存在はなく『八百万の神(やおよろずのかみ)』といって、世の中に存在するあらゆるものには神が宿っているという考え方です。
それは大地、水、空、樹木、石など自然に存在するものすべてに神が宿るという考えです。
この考えを聞くと『確かに』と思う方も多いのではないでしょうか。
また、神道の象徴は神社です。
私たちはお願い事をするときに神社に参拝に行ったり、初詣、厄払いなどで神社に行きます。
また、家庭や会社によっては神棚を備えている場所もあります。これらは神道の影響を受けたものです。
仏教、東洋思想、仏教について説明してきましたが、これらが融合した文化を歩んでいることが理解できます。
お墓参りに行ったり、自宅に仏壇を置いてご先祖に祈りを捧げたり、ご先祖様に顔向けできないなどと発言するのは、儒教の影響です。
誰かがなくなったときに葬儀で住職やお坊さんにお経を読んでもらって供養してもらうことは仏教の影響です。
神社にお参りに行くのは神道の影響です。
まとめ
ここまで宗教全体について説明してきましたが、どれも人間の人生そのものに大きな影響を与えています。
いかにして生きるかというのは、人類にとって大きな課題だからです。
人間が『幸福』を得るため、また心穏やかに過ごすためには欠かせない存在と言うのが私の『宗教と幸福の関係』という考え方の基本になっています。
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