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聖都ルアンパバーン、英語の授業を受ける③

ルアンパバーンとは14世紀から18世紀からラーンサーン王朝という王国の首都だった街である。かつての王宮は現在は博物館として改装され当時の調度品や王族の生活を覗く事ができる。
街全体が世界遺産に指定されており、その中にたくさんの仏教寺院があり、ラオス仏教界において最も重要な聖地である。

主な寺院は塩の取引で財を成した商人を称える為に王様が建てたワット・シェントーンや他にも王様の作ったワット・マイやワット・セーンなどである。

街の朝は早くて、まず5時から各寺院の修行僧が街を一周する托鉢行から1日が始まる。ほとんどの観光客はこれを見るのが目的だ。
その他にも街の近くには川の色が真っ白になるほどの石灰質の地層を穿つクワンシーの滝や象使いの訓練所での象使い体験などのアクティビティーも充実してい
る。

昼間の街は観光客はいるにはいるがゆっくりとした時間が流れている。
暑くてみんな嫌になったのかみんなクワンシーの滝や象使いになりに行ったのか昼間のお寺にはほどんど観光客がいなかった。

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街の西側をメコン川がゆっくりと流れていき、中心にはプーシーの丘という街を一望できる小高い山がある。
山道いっぱいに仏像が並び山体そのものがお寺のようになった小さな山で夕暮れ時は絶好のサンセットポイントになっている。
ここから見る夕景は格別だった。
太陽がキラキラとメコン川を照らしながら対岸の山向こうに沈んでいくのを見ることができる。
ゆっくりゆっくりと沈んでいく様は本当に緩やかに流れる時間を感じさせた。

そして日が沈むとルアンパバーンは夜の姿になる。
毎晩開催されるナイトバザールの明かりが太陽の代わりに街を照らす。
路地裏の屋台の匂いと飲み屋に溢れる喝采が街を包む。

僕らはそれぞれフアーサイを出た時には宿を予約していたので別々の宿にいた。昼間はそれそれ別行動だったが夜になると連絡を取り合って集合して同じ船のメンバーで飲みに出る。

「いい店があるんだ。」

二日目の夜にリバイに連れられて「ユートピア」というバーに向かった。
明るいバーエリアと薄暗い芝生のフロアがあるお店でルアンパバーンに来た旅人はみんなここにいるんじゃないかというくらいこの店に行くと誰にでも会えた。

船で一緒だったメンバーはみんなこの店に集まっていた。

「今日はどこ行った?」
それぞれに過ごし方が違う。
買い物に行ったり昼間からビール片手にゴロゴロしてたりみんなそれぞれの過ごし方を報告し合う。
「マサシはお寺だろ?」
もちろんお寺と博物館で一日を過ごしている。
「明日も行くのか?」
「そうだね。まで行ってないところもあるから。」

「じゃあ、ついて行っていいか?」

『興味あるのか?』と思ったが明日は僕についてみんなも寺巡りをするらしかった。

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三日目の朝、昨日も深夜というか朝まで飲んでいた僕らの1日は遅い。
朝5時ごろに新しく来た同室の旅人が托鉢を見に出ていくのに起こされるが起きたらもう朝食の時間をとうに過ぎていてゲストハウスの共有スペースに行くとブレンダさんが退屈そうに待っていた。
彼女は僕と同じ宿だった。

「本当にみんないくのかなぁ」
「いくよ!少なくとも私はついて行くから。」

僕のお寺巡りはフィールドワークみたいなものだった。
ずっと来てみたかった仏教の聖地ルアンパバーンで見たいものはノートに書きつけてある。
使っている仏具や壁面の仏画の写真を撮り、建物の材質や使われている意匠を観察したりとただ観光で来ているのとはだぶんちょっと違う。

「マサシはガイドしてくれるでしょ?」
「まぁそれなりには…知ってることも…多いとは。」

普通の日本人の旅人よりはそれなりに知識はあるはずだ。

「じゃあブレンダさん。ここは僕らの仏教とは少し違うのは知ってる?」
「ちょっとはね。」

ラオスも上座部仏教圏だ。日本と香港のそれは違うことが多い。

「みんな知らないよね。そういうの。」
「まぁだぶん飽きたらみんなどっか行くから。」

【仏教の二つのグループ】
中国・チベット・韓国・日本・台湾と東南アジアの華僑社会のお寺とタイやラオスといった東南アジアの国々の仏教は少し違う。
前者は「大乗仏教圏」で後者は「上座部仏教圏」である。
私的に簡単な違いを見出すとなると「目的の違い」と考えている。前者は仏の教えや力を目的とし、後者は仏になることを目的としとしている。
また仏像が違う。前者ではお釈迦様以外に観音や阿弥陀のように様々な仏像が見られるが、後者では基本的にお釈迦様の仏像しかない。

リバイのホテルに集合という約束になっていて、僕らは昼前に集まった。
僕らがホテルに行くとショーンもケイティも待っていて、他にリバイが呼んだ知らない人もいた。

「待ってたよ!さぁ行こう!」

もうビール片手に総勢8人の集団で1番近くのお寺に向かって歩き出す。
「マサシは?飲まないのか?」
リバイは
「お寺に行くからね。僕は禁酒だよ」
僕がそういうと彼はつまらなそうにしている。
「タバコはいいのか?」
「それは大丈夫だよ。」
彼のくれたタバコを噴かしながら5分もせずに小さなお寺まで来た。
小さなお堂が一つあるだけの質素な作りだったが入場料が必要だった。
僕もブレンダさんも躊躇いなく入場料を払って入ろうとする。

「お金かかるのか?」
「そうだよ。」

ちょっと待てと、ここで2名脱落する。
不思議そうにリバイやクリスは僕に付いてくる。
お寺の中の必要なものを僕が見て周り、ブレンダさんにわかるように説明して行く。それをまたブレンダさんがリバイたちに説明してくれる。

ただ彼らキリスト教徒にはお寺の壁画や屋根の意匠などは違って見えるようだった。
『これはアーティスティックだね。』とかお寺で使われる模様に関心を示している。
そしてブレンダさんも僕も当たり前のように合掌礼拝して喜捨箱に賽銭を寄付する。ここが上座部系の仏教エリアでもこの習慣は変わらない。

「まだお金を払うのか?」
みんなが不思議そうに僕らを見ている。
僕たち二人は何を言っているのだと怪訝な顔で彼らを見ている。

「どうしてマサシは入場料を払ったのにまだ寄付するんだ?」
「えっ!?」

彼らが言うには『入場料を取っているのにまだ寄付箱を置いているのはどうしてだ?』ということだった。
僕らはそう言うもんなんだけどと言ったがどうも理解できなかったらしい。

ブレンダさんが間に入ってくれて話を詰めて行くとここは小さなお寺で彼らキリスト教的な視点から見てこれは王族の寺院というより小さな地区の教会と同じようなものと思えるらしい。
なのでまずなぜ入場料があるのか?
『町の教会で入場料なんか取られないぞ。その代わりそういう教会はみんなで寄付をして支えてるんだ。』

入場料まで収めたのにまだ僕らが寄付したのはにびっくりしたらしかった。

「なるほど。そう思うのか・・・。」
これは非常に興味深かった。そもそも寄付することにも少々違いがあるようだ。
僕ら二人にっとは当たり前にことだったが意外と当たり前でないことにこちらも驚かされた。

ワット・シェントーンから僕が巡ったルアンパバーンのお寺をもう一度一緒に一周することにしていた。


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「じゃあ次はお金の掛からないところに行こう。」
これ以上、入場料を払わせるのは申し訳ないと思い今度は近くのストゥーパに連れて行った。
もちろん同じようにお参りして少しのお金を置いてくる。

「どうして?今お金を置いたの?」
「これはお寺なの?」

『そうか。これもない文化か・・・・。』

ここで僕は彼らにこの施設の意味を説明した。
「これはね。ブッダのお墓のレプリカなんだ。他の国でも見たことない?タイにもあったはずだよ。」
「君たちでいうイスラエルの聖墳墓教会のレプリカが世界中にあるって感じかな・・・。」
「はぁなるほど・・・・。これはお墓だったのか。」
彼ら自身も文化の違いに驚いていたようだった。

プーシーの丘に登ろうとなるが、そこでも入場料を払う場面になって今日は解散となった。
「また夜にどっかで飲もうな。」と言って僕とブレンダさんを残してみんな帰ってしまった。
異なる宗教にとってはあまり興味を見られなかったのだろう。

「まぁ仕方ないよ」とブランダさんは慰めてくれた。
『一緒に行く』と言ったのは彼らだったが上手に彼の興味を引くことができなかったので申し訳ない気持ちになってしまった。
英語のスキルもあるけど上手に伝える技術も考えなくてはいけないなと僕は思った。

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その夜は別の宿にいるルシアナさんと僕らの宿のブレンダさんや他の日本人たちと夕飯を取る約束をしていた。

そして今日あった話になった時彼女は明日は自分をお寺に連れて行ってくれと言い出した。
「明日は私と行きましょう。」
翌日は昼食を取って二人でルアンパバーンのお寺とプーシーの丘から夕景を見る約束になった。

翌日はワット・シェントーン近くのセブンヘッドというカフェに集合した。


「ごめんね。マサシはもうどれも回ってるのに。」
「大丈夫だよ。お寺は何度行ったていいから。」

入場料があるところは自分が払うと彼女は言ってくれたが、それも寄付だから僕も自分のお金で寄付したいというと彼女は納得してくれた。
ワット・シェントーンから僕が巡ったルアンパバーンのお寺をもう一度一緒に一周することにしていた。

「この動物は何?」
「この模様は何?」
「この道具は何?」

気になるものをカメラに収めながら彼女は僕に質問してくれる。
今日は通訳してくれるブレンダさんもいないので僕は自分の言葉で丁寧に説明していく。
彼女の質問文はとても優しく、答え易いように導いてくれた。
僕はいい先生になることに勤めたし、彼女はすごくいい生徒さんだった。

「こっちの仏像は私は敵でないということを表していて、あっちの仏像は大地の力を使って邪悪なものを追い払っているところ」
「どこでそれがわかるの?」
「手の動きだよ。」
「両手の掌が相手に見えるようにしてるでしょ。これは戦う意志がないことを表してるんだよ。」
「なるほど」
「でもね。こういう仏像は日本にはないんだよ。」
「同じ仏教の国なのに?」
「グループが違うんだ。例えるならカトリックとプロテスタントみたいに僕らにも大きく分けて二つのグループがあるんだよ。」
「似たようなところがあるのね」
「そうだね。ちなみにあの地面を触れてる仏像は日本にもあるんだよ。」

プーシーの丘の道中にはたくさんの仏像が並んでいる。
上座部仏教圏では我々の大乗仏教圏と違ってそれほど仏像そのもにバリエーションがあるわけではない。
そもそも上座部圏にはわずかな例外を除いては基本的に釈迦以外の仏像は存在しない。
日本人がよく知る観音さんも阿弥陀さんもお薬師さんもいないのである。
ほとんどのものが特定の印を結んだ釈迦の像なのだ

【仏の印相】
手と指の形で仏の力や仏教の教えを表現している手の動き。
手を挙げて掌を見せた施無畏印。これは恐ることはなく敵意がないことを表した状態や人々に力を与えるということを表現している。
地面に指先が触れた触地印。大地の力を使って悪魔を払う仕草を表現し、「降魔印」とも言われる。悪魔の誘惑に負けずに教えを守ろうという強い意志も表現している。
他にも座禅の時に足の上で手を重ねた瞑想状態を表した法界定印。オーケーサインのように両手でそれぞれ指の輪を作った説法印など色々なジェスチャーがある。

「日本に来るともっとたくさんの手の動きをした仏像に出会えるよ。」
「じゃあいつか日本に行った時にはマサシにまたガイドしてもらわないとね。」

東南アジアのお寺の仏像はほとんどが施無畏印や触地印であった。

ミャンマーでは何百体もの触地印だけの仏像が所狭しと並べたれたお寺もあるくらいこの印相が上座部圏の代表と言っていい。

「マサシはいい先生ね。」

今日は自分でも上手に案内できた方だと思っていた。
所々わからない単語は身振り手振りや似通った文化の例を出して説明を試してみた。頭の中で要点を整理して、教壇に立って講義をするように順序立てて言葉を並べていく。
まして彼女は異文化・他の宗教の人だから自分が思っている以上に基本的なことを知らないはずだ。

「ここに残ってガイドさんの仕事とかするといいんじゃない?」
「いやいや、英語できないよ。」
「でも今日は上手に話せてるじゃない。」
「それは朝から勉強してきたからで・・・・・」

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実は昨日のことも踏まえてもっと説明しやすい方法はないかと朝から少し考えてきていた。
それにどこも一度は行った場所の説明だったので予習復習はしやすかった。

『ちゃんと準備しておけば得意分野のことは結構しゃべれる。』
『どこが要点か分かっているし、質問されることも想像がつく』

相手の文化と比較して違う部分や似たような部分を例えをするならどういう例えが伝わりやすいかは予習復習をしておけば十分に対応できる。

これなら頭の中に残っている高校英語で獲得した単語たちを総動員してどうにか伝える組み合わせを見つけ出せる。

この発見が僕の英語がクレオール言語化していくきっかけになった。

その日から僕は外国人に仏教や文化・習俗の講義をするなら英語でどういう風に話と良いかというイメトレを始めた。

『自分のノートに書いている内容を英語で講義するならどう話すか』

まずはこれに注力して、それで伝わる文法を習得しようということにした。

要点が分からなくて話せないこともあるし、付いていけない話題や口語やスラング色々ある。
だからもう分からないことは一旦、棚上げしてわかることだけやろうという方向に舵を切ったのだ。

とにかくお寺の話だけはちゃんとした英語の文章で話せるようになろう。

「僕らの仏教には二つのグループがある」

こういう日本語を頭の中で用意して、翻訳アプリや辞書を使って文章を作る練習をして、それを講義している風景を頭に浮かべて話す訓練をした。

「ねぇ。マサシは明後日は予定空いてる?」
明後日はもうルアンパバーンを離れり日だった。
「夜行のバスでルアンパバーンを離れるよ。」
「何時くらい?」
「22時だったと思う。」
「じゃあ夜は空いてるのね。それなら行きたいところがあるの。一緒にどう?」

そして二日後に僕が連れて行かれたのが現地の学校だった

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その学校には

「僕も教えるの?できない!できない!」
僕は何をするのか知らずに付いてきたのだが、説明を受けて必死に抵抗していた。
「大丈夫だから、ほら。ここに名前を書いて。」

ルシアナさんに引っ張られながら、教室に連れて行かれる。
『文法とかどうやって教えればいいんだよ』
僕ら恐る恐る教室に入るともう着席していた子供たいが一斉にこちらを見る。

『なんて輝いた目でこっち見るんだ。』というのが最初の感想だ。

みな駆け寄ってきて僕を教室の中へ中へと引っ張っていく。
もうキラキラとしてこちらを見ている。

『新しい先生が来た!!!!』

もうそれが嬉しくてしょうがないというのが言葉が分からなくても伝わってきた。
ルシアナさんは実はこのクラスは2回目だった。
夜会わなかった日はこの教室で授業をしていたのだ。
彼女がルアンパバーンにきたのはこのボランティアのためで、この後彼女はしばらくここで英語の先生をしていた。

二人目の先生が珍しかったのか子供たちは「ここに座れ、こっちを見てくれ。」
「日本人なのか?」「NARUTOのノート使ってるんだ。見てくれ。」

もうキラキラに輝いた目で群がってくる。
『みんなごめんよ。僕は喋れないんだよ。』
『きっと君たちの方が喋れるよ。』
とにかく萎縮していたので僕もルシアナさんの授業を受けることにして子供たちに挟まれながら一緒に席についた。

現地の教師はなぜ僕が座っているのか不思議そうに見ていたが授業は始まる。
教科書を開いてルシアナさんが黒板に英単語を書く。

butterfly……。

『ん!?』
文字が描かれると子供たちが口々に発音しだす。
『ん!?』

隣の子の教科書を見せてもらうと絵と単語の書かれただけのページだった。

ここは単語の書き取りと発音のクラスだったのだ。
ルシアナさんは一人一人子供を指して黒板に書い単語を発音させて、正しい発音を繰り返させていた。

僕はというと、隣の子の教科書の釘付けになっていた。
Cat・dog…。
ビビりまくっていた自分を笑いそうになった。
『良かったー。これならまだ大丈夫じゃん。』
僕にノートを覗かれていた子は僕が教えてくれると思ったのだろう。
「CAT!」
発声してこちらをキラキラと見つめる。
手でオーケーと印を結んで示してあげて『あってるよ。大丈夫だよ』と僕は頭を振った。

すると次々自分の教科書を指して発音していく。

彼が一巡すると次は反対側の隣の子が自分のも聞いてくれと僕を呼ぶ。
するとどんどんこちらに視線が集まる。

「みんな黒板見て」と前を指差すがもうみんな個別指導を要求している。

次は自分の番だと子供たちがやってくるのでルシアナさんも諦めて個別指導に切り替える。
二人で一人一人発音を聞いてあげながら教室を回っていく。

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「butterfly!」
一人の女の子が一生懸命に「butterfly」の発音の練習をする。
あってるよと言っても何度も何度も本人は納得できないのか発声を続ける。

「butterfly!」「butterfly!」「butterfly!」

何度も何度も繰り返し発音して納得すると次は書き方も見てくれと単語の書き取りまで自分で始め出した。

『英語ができるようになるのが嬉しいんだな。』
『こういう子がいつかルアンパバーンでガイドさんとかやるのかな。』

この子はそういう未来を想像して、今頑張っているのかもしれない。
未来が描けると学ぶことは楽しい。
今勉強していることがいつか必ず役に立つ。そのゴールに向かって登っていく階段が見えているから楽しいし、やる気になる。
僕がこれまでやってきた英語とは少し違ったと思う。

『僕も同じだよ。英語でガイドするのは楽しいよ。』

ここから僕の英語力は少しづつではあったが良くなっていったと思う。

旅の最後までノートを見返した時や話したいことを思いつくたびに、頭の中で何度も誰かに講義している風景を想像した。

時には学術的に難しい単語は辞書やネットでも見つけられないので博物館に探しに行ったりもした。
難しい言葉は先人に学べばいい、収蔵物の説明文は英語で書かれている。

『そうか!触地印は earth touch gestureって書くのか!』

博物館で見つけた専門用語も英語でノートに書き写していくようにもなった。
こうした習慣は今も続いている。

いつの日かルシアナさんにしたようにお寺や文化の話、自分の知っていることを誰かに教えられてらいいなと思う。
その先には英語で外国人に対しても同じ内容を講義できるようになっていることが僕の英語力の目標である。

ラオスで身につけたことはいつの日か英語を使えるようになった未来の風景を想像することだった。

話せるようになりたいなら話せる自分を想像してその道を一歩一歩進めばいい。

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