済んだこと、無かったことになって良いのか
前回から考えていたことを少しだけ述べます。
前回取り上げた共同通信のニュースでは、以下のように述べられていました。
学校と行政の保身に強い憤りを隠せていません。
それはそうだと私も思います。
私は、共同通信が「加害生徒」と書いたことを、一歩前進と見て評価はします。
一方で、学校と行政を「二次加害の加害者」とは書けないところには不甲斐無さを感じます。
行政は一体何をしてきたか。
引用します。
3月は「回答しない」。
4月は「正式に認めた」と「基準はない」。
6月は「総合的に判断して出す人には出した」。
もう一度述べます。
学校と行政を「二次加害の加害者」とは書けないところには不甲斐無さを感じます。
12月に報告書が完成していて、この結果です。
3月には推薦を出しているに決まっています。
年度というものがありますからね。
推薦を出すのも二次加害。
回答をしないのも二次加害。
事後報告の形にするのも二次加害。
兵庫県加古川市は、二次加害の加害者です。
二次加害の加害者以外の何ですか。
現在進行形の時には回答しない。
過去形になったら「出した」。
御遺族は「まさか」と予見していました。
確認も取っていました。
行政がやったのは「答えない」という誤魔化し。
もう一度述べます。
二次加害の加害者以外の何ですか。
報道が「二次加害の加害者」と書けないことには不甲斐無さを感じます。
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