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上機嫌【エッセイ】六〇〇字(本文)


 早大エクステンション「エッセイ教室」秋講座。6回目のお題が、「上機嫌」(600字)。
 師匠が、エッセイの題にするなら、「不機嫌」が良いのかもしれないが・・・、と言いながら。しかし、「不機嫌」の裏返しかなと考えたら、父親の顔が浮かんできた。
 Note仲間のアートさん(アートとメルヘンと創作の森)のマガジンに、『この人』というエッセイを入れていただいた。そのときの画像をTOP画像に使っています。そう、長嶋さんが絡んだ話。

              ※
 両親と2歳違いの弟との、男中心の家族。
 父は、米の検査官。職場は道内の田舎で、自宅と一緒が多い。なので、夕食は全員が揃う。しかし、海軍魂の気質で、「男は、ぺちゃくちゃと話しながら、喰うな」と厳しく、いつも、無言。酒は飲むが、晩酌は、ほとんどしない。飲むのは、仕事関係のひとと。最後まで残って飲む性分で、泥酔しての帰宅が多かった。時々、母や我々に、暴力を振うこともあった。会話は、小3からのキャッチボール。しかし、難しい球を受けた時の「ヨシ」「ウマイ」がせいぜい。そんな昭和な男が、父親だった。
 テレビが入ったのは、その頃。長嶋が入団し3年目。長嶋見たさに。購入したらしい。
 シーズン中は、ナイターを観ながらの食事風景に。相変わらず無言なのだが、長嶋が打ったり、ファインプレーの時だけ、「ヨーシ」「ウマーイ」と、父と私が、声を出すことも。
 高1の時。野球部の猛練習の日々になり、一人、遅めの食事に。ある日、雨で練習が早く終わり家に着いたら、居間から歓声が。長嶋がホームランを打ったのだ。V9の2年目、大鵬の六連覇の2場所目。「巨人・大鵬・卵焼き」の時代。父は相撲も好きで、その頃から、機嫌よく、晩酌をするようになった。
 しかし、東京の大学の2年の時、母が急逝。その後の大酒が祟り、3年後、父は、55歳で旅立った。長嶋が引退した、翌年だった。
 遺伝か、今の車の背番号は、「3」である。

(おまけ)

きょうの「折々のことば」

 「不機嫌」なオヤジも、相撲やプロレスを観ながら体をくねらせよじらせていた。いや、オヤジだけでなく、思い当たる人が多いかもしれない。おもわず贔屓のプレイヤーと同化していることがある。

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