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【18】清酒醸造の微生物(1) -酵母⑤-

一度に読む(書く)文量を超えたので、記事を分割しています。
-酵母①--酵母②--酵母③--酵母④-で、日本醸造協会から頒布されている「きょうかい酵母」の清酒用酵母の紹介が一段落しましたが、「きょうかい酵母」以外にも、民間企業や大学、地方自治体公設研究機関における研究で開発され広く使われている清酒用酵母があります。
それらをまとめて酵母の話を終えるはずでしたが、公設研究機関の方は各都道府県で記載すると膨大な量になったので、今回は民間企業および大学で研究開発された酵母の紹介で一旦区切ります。


民間企業で開発された酵母

民間企業が開発した酵母については、名称等も含めて企業内で秘密保持されており情報が公開されないことが多いのですが、酵母の販売が行われ、全国新酒鑑評会でも多く使用されている明利酒類の「M310酵母」、それから灘や伏見の大手酒造会社が開発した酵母から詳細のわかるものをいくつか紹介しておきます。

M310酵母

M310酵母
当社は、1992年に10号酵母を変異させた株を純粋培養し、新たな酵母開発の研究に着手しました。
この結果、香気成分であるカプロン酸エチルを親株よりも多く生成する新酵母の開発に成功し、これによる試験醸造を開始しました。その結果は満足すべきもので、関係各方面から高い評価を得たのです。
M310酵母と名付けられたこの酵母は、1995年から全国の酒蔵へ向けて販売が開始され、大吟醸など高級酒向けの優れた酵母として広く使用されており、全国新酒鑑評会等の品質評価会でもM310酵母で製造された吟醸酒が多く出品され、好成績を得ています。

明利酒類株式会社webサイト 「酒造り」より

という説明がされていますが、きょうかい10号酵母を分離した明利酒類にて、10号酵母からカプロン酸エチル高生産株となって登場したのが「M310酵母」です。
今のところ学術論文の類が見つかっておらず、どのように獲得された株なのかは情報がありませんので、ご存知の方がいらっしゃったらご教示ください。Mは明利(MEIRI)のMだろうと思っていますが、もし違っていたら恥ずかしいな……。

カプロン酸エチル高生産性酵母ではありますが、酢酸イソアミルもほどほどに生成し、上立ち香と含み香のバランスの良いタイプの吟醸酒になるため、吟醸酒用の酵母として実用化から30年ほど経っていますが、きょうかい1801号酵母のリリース後も多く使われている酵母です。
きょうかい1801号酵母のときに紹介したデータに掲載されていますが、全国新酒鑑評会の出品酒に用いられている酵母の中で、単独使用酵母としてはきょうかい1801号酵母の次に多く用いられている酵母となっています。

キクマサHA14酵母

ここまで紹介してきた「カプロン酸エチル高生産酵母」を使えば、比較的簡単にカプロン酸エチルを多く含む清酒の製造が可能になるのでは、と思われるのですが、実は生成径路に弱点がありまして。

このように種々の酵母変異株が育種されてきたが、これらの酵母を使用したとしても吟醸香の高い清酒を醸造するためには、高精白の原料米の使用や低温での長期発酵が必要である。特に、高精白米の使用が避けられないのは、米の外層部に局在する不飽和脂肪酸が酢酸イソアミルやカプロン酸エチルの酵母細胞内での生合成を阻害するからである。

エステル高生産酵母の育種と高精白を必要としないフルーティーな清酒の開発」(高橋俊成, 日本醸造協会誌, 115, (4),  182-194(2020))より

つまり、吟醸酒のように磨いた米でないとそのポテンシャルを十分に発揮できない、ということがわかっているのです。したがって経済酒でも香りの華やかな清酒を……と思っても、うまく行きませんでした。また磨いた米を使うため、旨みと香りが両立する清酒というのも難しいとされていました。
ならばその阻害要因を取り除いてしまおう、ということで研究開発されたのがキクマサHA14酵母です。

”キクマサHA14酵母”取得への道のり
 カプロン酸エチルと酢酸イソアミルを高生産する株を一度に取得することは、困難な道のりであると思われました。そこで、まずは低精白米仕込みでも酢酸イソアミルを高生産する酵母を育種することを目指しました。吟醸酒によく用いられるきょうかい9号酵母に変異処理をほどこし、酵母の生育を阻害する様々な薬剤に対して耐性を持つ株を選抜したところ、オーレオバシジンAという薬剤に耐性を示す酵母変異株の中に酢酸イソアミルを高生産する酵母が含まれることが分かりました。
 次にカプロン酸エチルを高生産させるために、酢酸イソアミルを高生産する酵母に変異処理を施し、セルレニンという薬剤に耐性を示す酵母変異株を取得しました。これらの酵母変異株を用いて清酒醸造を行ったところ、酢酸イソアミルに加えカプロン酸エチルも高生産するHA-14株が含まれていることを見つけ出しました。
 このHA-14株を用いて醸造蔵での実生産テストを行ったところ、精米歩合70%の白米を原料とした仕込みにおいて、吟醸酒並みのカプロン酸エチル濃度と通常の吟醸酒よりも顕著に増加した酢酸イソアミル濃度を確認することができました。さらに、お米の旨味も十分に残っていることが確認されました。

菊正宗総合研究所 > 研究テーマ > お酒と食の研究 > 純米酒・香醸 より

この酵母を利用して商品化されたのが「菊正宗 純米酒 香醸こうじょう」(現在はリニューアルして商品名も変わっています)、そして「菊正宗 しぼりたて ギンパック」です。同商品は2019年および2023年のインターナショナル・ワイン・チャレンジ(IWC)において「普通酒部門 最高位トロフィー」と「グレートバリュー・チャンピオン・サケ」を2度獲得しており、このジャンルでは他の追随を許さない状態です。

香り酵母877ハチナナナナ

同じジャンル(香りの高い普通酒)で宝酒造が「松竹梅 昴」を販売していますが、こちらは酵母の詳細が触れられていません。
その前に2020年に発売した「松竹梅 香り酵母877」では、バナナ様の香りである酢酸イソアミルを多く生成する酵母として開発された「香り酵母877」(「バナナ」との語呂合わせで「877」だそうです)を用いたと説明されています。下記リンク先の記事にもありますが、キクマサHA14酵母のアプローチ前半部分と同じ方針で、削らない米でも酢酸イソアミルが出る酵母の開発ですね。
「松竹梅 昴」で使われている酵母がこの「香り酵母877」と同じなのかはわかりませんが、「松竹梅 昴」を手に入れて飲んでみたところ、酢酸イソアミルのバナナ様の香りが漂っていましたので、877あるいはその改良形なのだとは思います。

ヒーロー酵母

「ヒーロー酵母」とは、月桂冠オリジナル技術であるHELOH(ヒーロー)法(High-efficiency loss of heterozygosity)およびそれに近い方法で育種された「特別な」酵母のことを言うそうです。
HEROとは違いますが、「『特別に選ばれた』酵母であることから、ヒーローをイメージするようなシンプルで『力強い』ロゴを作成しました」と記載されています。

ヒーロー酵母のロゴマーク(月桂冠株式会社WEBサイトより)

原理は正直私も説明しかねるのですが、この手法を用いると既存の酵母開発における特性の発現を劇的に変えることができるようで、独自に育種したカプロン酸エチル高生産酵母の実地醸造試験(原料の総米7トン)を行ったところ、「発酵力は維持しながらカプロン酸エチルを20mg/Lと多量に生産できることを確認しました」とあります。超が付くように、全国新酒鑑評会で出品されるような清酒の2倍以上の濃度のカプロン酸エチルが生産されています。

育種方法自体は2012年に確立され、特許も取得しています。様々な酵母ライブラリを作成している中の1つが上記のカプロン酸エチル超高生産酵母、そしてもう1つが次に紹介する「治右衛門酵母」です。

治右衛門じえもん酵母

治右衛門じえもん酵母とは、京都伏見の月桂冠大倉記念館に隣接する「内蔵酒造場」(1906年に創建)のもろみから見出された蔵付き酵母を、最新の育種方法で改良した酵母のことです。月桂冠の創業者の名であり、江戸期の間、代々が襲名してきた「大倉治右衛門」の名にちなんで、「治右衛門酵母」と命名したそうです。

治右衛門酵母のロゴマーク(月桂冠株式会社WEBサイトより)

治右衛門酵母の研究
内蔵酒造場のもろみから見出した蔵付き酵母で醸した日本酒は、香味が良いものの燻製のようなスモーキーな香りが強すぎて、当初、製品での活用はできませんでした。このスモーキーな香りの要因を、HELOH(ヒーロー)法(High-efficiency loss of heterozygosity)を用いて除去することに成功しました。
蔵付き酵母など自然界から見出した酵母は、醸すお酒の香味が良くても、一部の欠点(発酵しない、味が良いがオフフレーバーある)があるために実用化に至らないことがあります。今回見出した蔵付き酵母も同様で、醸した日本酒には、芳醇で良好な香味がする一方、スモーキーな香りが強すぎるという欠点がありました。
 (中略)
今回の育種方法は「お蔵入り」になっていた酵母を再度「蔵出し」する技術の一助にできると期待できるもので、その土地に棲みついている酵母を実用化することで日本酒にテロワールの要素を加味できる技術とも言えます。

月桂冠WEBサイト > 月桂冠総合研究所 > ヒーロー酵母と治右衛門酵母 より

先述のHELOH法で、発現を増やすだけでなく、発現を減らすこともできるようで、それによってオフフレーバーの4-VG(4-ビニルグアイアコール;低濃度では香辛料や穀物を連想する臭い、高濃度では燻製臭の原因物質)を非生産化させたとあります。
この蔵付き酵母と同様に、欠点があって実用化できなかった酵母を、同じ手法で欠点を無くし、世に出すことができるのではないか―、と期待されています。

なお「ヒーロー酵母」の説明に「HELOH法およびそれに近い方法」とあるのは、HELOH法で得られた変異株だと現行のルール下での食品利用ができないため、HELOH法で技術的にその株の特性を確認した上で、食品利用に適用した既存の変異誘導法により、その特性を持つ株の取得を行っているようです(この辺はこれまでの歴史が示す通り「力技」です)。

ところで「治右衛門酵母」は蔵付き酵母とのことですが、そのままでは実用化できなかった点や、酒質の特徴からすると、「きょうかい2号酵母」とは別の酵母……なのでしょうね。

その他の民間企業で開発された酵母

酒類総合研究所と日本盛が共同開発した老香前駆体低生産性酵母「mde-D1」、そして2024年1月に試験販売が開始された吟醸酒用老香前駆体低生産性酵母「Ka8」については、日本醸造協会から頒布されているので、【17】-酵母④-に記載しました。
それ以外に、学会発表や報文を事細かく照合していくと、それなりに見つかるとは思うのですが、企業サイトで明らかにしていない場合は名称があっても手探り状態になります……(例えば白鶴酒造公式サイト等の商品紹介を見ていると「HL-211酵母」とか「しずく酵母」とか名前は記載されているのですが、それらの酵母名によるWEB検索では商品紹介以外の情報が出てきません)。

大学で開発された酵母

大学でも清酒酵母の研究として、きょうかい酵母と異なる新規清酒酵母の分離が行われていますが、広く実用化に至ったものとしては東京農業大学の「花酵母」、次いでプロジェクトとして動いている「弘大白神酵母」、その他、各地の大学での研究は羅列になりますが紹介します。

花酵母(東京農業大学)

「花酵母」とは、主に東京農業大学短期大学部醸造学科酒類学研究室の教授であった中田久保なかた ひさやすにより、自然界の花から採取・分離した清酒醸造酵母です。この酵母を使用して個性のある高品質の清酒・焼酎を醸したいと、農大卒業生を中心とした全国の熱心な蔵元が集まり、2003年(平成15年)に「東京農大花酵母研究会」が設立され、現在に至ります。

一般に、お酒造りに広く使用されている酵母は、酒のもろみから分離されてきました。
また、近年、これらの酵母を人工的に変化(変異株の造成)させて特定の醸造能力を高めた酵母も多く利用されています。東京農業大学短期大学部醸造学科酒類学研究室では、無限の可能性を秘めた自然界に着目し、個性豊かで特徴ある酵母を分離することを試みました。
その結果、自然界に咲く花々から様々な香味を醸し出す優良酵母を分離することに成功しました。
まさに、花からの贈り物というべき天然の酵母です。

東京農大花酵母研究会WEBサイト「花酵母とは」より

東京農業大学の中田久保、坂井 たかしらの研究により、自然界に多く存在する酵母から清酒醸造に適した酵母を選択分離するための手法を検討し、それを用いて花から有用酵母を取り出したのが始まりのようです。

実験結果および考察
(中略)
3.花からの有用清酒酵母の分離

本培地を用いることにより、自然界より容易に清酒酵母タイプの酵母を分離することが可能であることから、本培地を用い、平成10年4月~11月にかけ、大学キャンバス内外において採取した20点の花から清酒酵母タイプの酵母の分離を試みた。

麴菌の生産する抗菌性物質・Yeastcidinを用いた集積培養液からの清酒酵母の分離」(穂坂 賢 他, 日本醸造協会誌, 94, (12), 998-1005(1999))より

このうち、ND(撫子なでしこおよびHNG(蔓薔薇つるばらの花より分離した酵母が、対照のきょうかい7号酵母と比較しても、同程度の発酵能をもつ、高泡形成能のない酵母であったと記述があります。
この他、現在14種類の酵母が「花酵母」として紹介されています。実用化されていないものを含めると40種くらいあるとか……。詳細は下にリンクを貼りましたのでそちらからご確認ください。

花酵母といっても、分離元の花の特徴(香り、風味など)があるわけではなく、多様な特徴を持つ清酒酵母の一種で、既存のきょうかい酵母との差別化を目的としているので、香りや酸の特徴的な酵母が多いです。
分離元の花と一緒にその花酵母のお酒を贈るとか、そのような使い方を推奨しているお店もありますね。
花酵母研究会のサイトの情報では、清酒のみでなく他の酒類も含め、現在30蔵以上で用いられているようです。

弘前ひろさき大学白神しらかみ酵母

名前に含まれるように、弘前大学の研究で開発された酵母です。産学官支援及び販売促進等の活動を展開しています。

設立の背景
弘前大学 殿内暁夫とのうち あきお教授が白神山地のミズナラやブナなどの樹木皮や腐葉土から約200種類の酵母を分離しました。その中から、醸造用の有用酵母Saccharomyces cerevisiaeを選抜しています。同時に弘前大学と青森県産業技術センター弘前工業研究所との共同研究で、分離酵母がシードル、日本酒、パンなどへの商業利用が十分に可能であることが分かりました。そこで、地元醸造関連企業を中心とした白神酵母活用推進の体制整備を行うため、平成25年に白神酵母研究会を設立しました。平成27年1月には白神山地から分離した酵母を「弘前大学白神酵母」として商標登録しました。加えて、酵母と白神山地をイメージしたロゴマークを作成してPR活動をすることによりブランド化を図っています。

「ひろさき産学官フォーラム」WEBサイト 設置研究会>白神酵母研究会 より

「白神微生物ブランド」というのがあり、弘前大学の研究プロジェクト「青森ブランド価値創造研究」に向けて、弘前大学農学生命科学部に所属する「食」に関係した教員グループが提案する、弘前大学発の「微生物ブランド」です。2015年1月に商標登録された「弘前大学白神酵母」もそのうちの一つに位置づけられます。

私達の研究グループは世界自然遺産白神山地に生息する微生物を「日本酒」「シードル」「リンゴ酢」「納豆」「ヨーグルト」などの発酵食品製造に役立てようと考えています。もともと「白神山地」自体にブランド価値があることに加えて白神山地から得られた微生物によって従来にない特色ある製品をつくれるのであれば、消費者に訴える効果は大きなものとなるでしょう。今後、五年間で弘前大学発の「白神微生物ブランド」を確立し、地域の食産業効果に貢献していきたいと考えています。

弘前大学「白神微生物ブランドプロジェクト」webサイト 「白神微生物ブランドとは」より

やっていることは東京農大花酵母と同じく、自然界に存在する酵母から有用酵母を分離活用しています。現在5株が公開され、清酒醸造にはブナの腐植ふしょくから得られた酵母が利用されているようです。

その他の大学で開発された酵母

「大学 酵母」で検索してみると、産学(官)でプロジェクトを組んで商品化された清酒もぽろぽろ出てきたので、網羅とまではいきませんが並べておきます(順不同)。地方自治体研究機関との共同研究で生まれたものもあるので、次回(-酵母⑥-)との境界があいまいなところもありますが……。
なお、佐賀大学関連のうち、北垣によるTCR7酵母については、日本醸造協会で頒布された実績があるため【17】-酵母④-の方へ記載しています。

民間企業および大学で開発された酵母については以上です。
実用化という面では、M310酵母や東京農大花酵母を除けば、その企業や大学に特化したモノが多いので、あまり目にする機会が少ないと思います。

次は地方自治体の公設研究機関によって開発された酵母です。
…とつらつら書いていくと、東北地方であっという間に数千字を超えたので分割しました。【19】-酵母⑥-へつづきます。

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