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【14】清酒醸造の微生物(1) -酵母①-

【12】清酒醸造の科学的解明の歴史 では、清酒酵母の存在が明らかになったのち、優良酵母の探索について触れました。その結果生まれたのが「協会酵母(きょうかい酵母)」です。その過程と、各きょうかい酵母の紹介をまず-酵母①-、-酵母②-…と何回かに分けてお送りし、その他の酵母に関するトピックを最後にまとめようと思います(きょうかい酵母を順番に挙げていくだけで、文章量がとてつもなく多くなりましたので…)。


優良酵母の探索

1906年(明治39年)、醸造試験所の技師であった高橋偵造たかはし ていぞうは酵母の研究に際して、研究員に1月からの酒造期に全国の酒造地に赴き、その地域で最も品質の良い酒と良くない酒と、それぞれの酵母を集めるよう指示を出し、高橋自らも全国各地66の製造場を訪ね、計62株の酵母菌株を単離しました。

 高橋教授はその点を改め、明治39年(醸造試験所創立2年後)1月の酒造期に際し、全国各税務監督局に依頼し、その管内で特に優良酒を醸するものと而らざるものとの両醸造家より酒母を採取し、高橋先生自ら66場より62株の酵母を採取分離された。

清酒酵母の分類学的研究(1) ― 清酒酵母とは何か―」(塚原寅次, 日本釀造協會雜誌, 56, (9), 890-888(1961))より

当時、もと(酒母)は蔵付き酵母または差し酛による造りが主流でしたが、醸造試験所では、安定した清酒醸造のために純粋培養酵母を添加する酛(添加酛)の研究が行われていました。その研究を進める中で、奥村順四郎らが、それまでの研究で試験所で使用していた酵母と、高橋が全国から新たに採取してきた中から純粋培養した櫻正宗さくらまさむね酵母での比較試験を行った結果、酛、それで仕込んだ醪、そして出来た酒の何れも櫻正宗酵母を用いた方が品質が優れていたことから、櫻正宗酵母が清酒酵母として優良であると考えられました。

第3回実験
前2回の実験に於いて添加に供せし酵母は本所醸造の酛液より分離培養したるものを用いたり因りて更に別種の酵母を用い其の発酵上並びに醸成清酒の品質に及ぼす関係如何を試験するの目的を以て灘櫻正宗酛液より分離したる酵母を用い第3回の実験を行えり、この実験に供したる酒母は38年度第26号にして之に添掛して製造せる醪は39年度第1号即ち是なり
一.水 前回に同じ
一.米 摂津産にして品質最上等なり精白の方法並びに程度は前2回に同じ
一.種麴 第1回実験に同じく大阪市上田伊之助製品を用いたり
一.麴 前2回の実験に於けるものと大差なきを以て略す
一.原料配合率 同前
一.清酒酵母 添加に供したる清酒酵母は39年1月本所細菌調査嘱託高橋農学士が灘地方に出張の際「櫻正宗」醸造元山邑太左衛門氏方に於いて酛液を実地に採取し帰所の上之より分離培養したるものにしてその性質等に就いては更に報告するところあるべし而して培養方法は前回に異なることなく分量亦前回に同じ、右酵母の培養温度時間、添加の際に於ける細胞数及び鏡検の結果等は別表に示すが如し
(中略)
一 灘酵母を用いると本所酵母を用いるとに於いて酒母醸成上に及ぼす差異は只1回の試験によりて之を明にすること能わざるは勿論なりと雖も今回の実験に徴するときは灘酵母は本所酵母に比しその発酵状態より延いて清酒の品質に比較的良好の結果を興うるものの如し
(中略)
以上第2回乃至第5回の実験に於ける成績を総合して是を見るときは
一 酒母添加用として灘酵母を用いるは本所酵母を用いるに比し其の酒母製造上の経過及び成績常に良好なるものの如し

醸造試験所報告第13号(1907年2月発行)「純粋酵母使用清酒醸造実験報告 その2」 より
※太字は私が強調表示のため付けたものです

この櫻正宗酵母は1906年に設立された「醸造協会」(現・公益財団法人日本醸造協会)より試験的に「甲種清酒酵母」として頒布はんぷされることになりましたが、その後さらに研究が進み、後述するように清酒用の優良酵母の種類が増えてきたため、1917年(大正6年)には番号が付記されることとなり、櫻正宗酵母が「第1号」酵母となりました。

きょうかい酵母

1906年に単離された櫻正宗酵母が優良酵母として試験的に頒布されて以来、現在に至るまで様々な「きょうかい酵母」が登場しています。
「きょうかい(協会)酵母」という名称についてですが、商標登録が行われたのは1963年(昭和38年)のことです。文献上では1947年(昭和22年)の塚原らの報文に「協會六號酵母と七號酵母の差異について」として用いられたのが初見のようで、既にその頃に通称として「協会〇号酵母」と呼ばれていたようです。その後1949年(昭和24年)にも、勝屋らが「所謂協會酵母に就いて~」という報文を投稿しています。

以後きょうかい酵母を紹介していきますが、焼酎やワイン用の酵母もいるため、正式には「清酒用〇号」となるところですが、「清酒用」の3文字は省略させてもらいます。また、後に泡なし酵母「_01号」が単離されますが、これらは時代も少し後になるので、-酵母②-にて紹介しようと思います。

1号酵母

分離源:櫻正宗
分離者:
高橋 偵造
分離・実用年:
1906年(明治39年)
上述の通り、純粋培養した酵母を添加した酛の品質に関する研究で、従来研究室で用いられていた酵母に比べて品質の良い酒が出来たことから優良酵母とされた―とあるのですが、上記に引用していますように、試験の報文中に何故「櫻正宗酵母」を最初に比較試験に用いたのかは記載がありません。高橋らが全国より収集した酵母の研究について一旦まとめて報告するには8年を要しており、「その性質等に就いては更に報告するところあるべし」というには実に長い年月ですので、さて、比較試験に至る迄にはどういう過程があったのか…。その大正3年の文献に記載があればよいのですが、入手できていないのでわからないままです。

漸く大正3年(1914)、酵母採取後8年を経て発表されているが、高橋先生もその序文中に「今ここに公表するものも研究の半途にして未だ完備したるものにあらざれども初めに大綱を挙げ次第に精緻ならんとする便宜の為に外ならず」とあり、更に一層詳細に研究続行の予定であったと思われるが、この報文は今迄に最も大規模なものであり、而も全国的に試料を採取した点でも唯一のものである。

清酒酵母の分類学的研究(1) ― 清酒酵母とは何か―」(塚原寅次, 日本釀造協會雜誌, 56, (9), 890-888(1961))より

1925年に江田鎌治郎えだ かまじろうがまとめた1号~5号酵母の記載によれば、その頃には1号酵母は「普通酵母」として考えられ、「其の形状は円形、又は卵形で、比較的酸、アルコール、濃糖度及び高温度に対する抵抗力強く、取扱上別段の注意を必要としない」とされており、酒の安全醸造を目的に使われる酵母で、品質改善を目的とした場合には2号以後の酵母を用いるケースが多かったようです。

四、酵母の應用と酒質
 今此等諸種の清酒酵母の應用された變遷を見るに、第一號酵母と第二號酵母とは、比較的最も古く、殊に第一號酵母は二十年前から供給されて居つて、其の當時は所謂添加酛と稱して、漸く普逋酛に添加した位に止まりしも、續いて速醸酛や、山卸廢止酛の考案され酵母の應用頓に普及するやうになつてからは、早物造りや、安全釀造の爲には第一號酵母、優良酒釀造の爲には第二號酵母を使用するといつた風に應用されつ丶あつたが、其後第三號酵母や第四號酵母が、發賣供給されるやうになつてからは、品質改善の爲に、第二號酵母と第三號酵母とを併用するもの、或は第二號酵母と第一號酵母、若くは第三號酵母と第四號酵母とを混用すること行はる丶やうになつたが、「兩關」醸造元などでは、第二號酵母と第三號酵母とを各別に應用した速醸酛を造り置き、之れを合併使用するか乃至は右原基母料を混用して連醸元添を製造するもの、所謂第二號酵母と第三號酵母との混用が賞用されたやうである。

酒質改善上優良酵母菌の利用」(江田鎌治郎, 日本釀造協會雜誌, 20, (11), 2-7(1925))より

また、1号酵母の特徴を簡潔に示した複数の文章の中で「高温に適す」「低温に適す」の両方が散見され、どういうことだろうと思っていたのですが、値としてはどちらの記載も「20℃」付近を指していました。
奥村らの試験が行われた明治末期は、灘や伏見では醪の最高品温が25℃を超える仕込もあり(当時の醪経過の記録にて確認できます)、それに比べれば「低温」の扱いだったのですが、現在の仕込では醪品温をそこまで上げることがほぼありませんので、20℃は「高温」と考えられるため、両方の記載が見られる模様です。

1号酵母については、私が確認した限りでは、発祥蔵の「櫻正宗」が数アイテムを通年商品として、年1仕込みでは京都の玉川、長野の小布施ワイナリーが冬季の閑散期に醸す「ソガ ペール エ フィス」(1号以外の戦前使用酵母もあり)から1号酵母使用酒が販売されていますし、使用されなくなった協会酵母を用いた試験醸造品として、数蔵から限定商品が販売された痕跡は確認しています。

櫻正宗は発祥蔵ではあるのですが、太平洋戦争時の空襲により複数の蔵が焼失するなどした戦前戦後の混乱期に、蔵での1号酵母の保存株を失っており、長い間「幻の酵母」と考えていたようです。しかし、日本醸造協会において、頒布は中止されていましたが、菌株は保管され続けており、学術研究の際には利用されていました。2001年ごろの文献で「K-1」(協会1号酵母の略称)の文字を見た櫻正宗の技師が執筆者に確認し、1号酵母が現存していることを知り、日本醸造協会に問い合わせたところ、発祥蔵ということで特別に頒布されて60年ぶりに「里帰り」したそうです。その数年後には一号酵母を使った清酒を商品化したようで、現在も定番商品として4アイテムが発売されています。

玉川については、発祥蔵でもないのに何故1号酵母を使うようになったのか、が酒販店さんの商品紹介のページに書いてありました。

《80年近くも頒布が途絶えていた一号酵母に着目、そして復活させた理由》
途絶えていた一号酵母に着目し復活させた人物。
それがイギリス人の杜氏、フィリップ・ハーパー氏。人気杜氏フィリップ・ハーパー氏は人懐っこい性格も加わって人脈が豊富。
醸造試験所の先生とも仲が良く酒の話で盛り上がる事は常。
あるとき「醸造試験所に一号酵母が残っているんだけどフィリップ君の造りに合うんじゃないのかな?」という話に。
一号酵母は低温発酵が普及する以前に灘の酒蔵で採取された酵母です。低温発酵とは逆路線を行く玉川にとって相性が良い可能性は十分にありました。
酵母を入手し2017酒造年度で仕込んだ酒を利いて、ハーパー杜氏は出来の良さに驚きます!
「Why? なぜ80年も途絶えていたのかワカリマセーン」と叫んだそうです。(笑)
そんな経緯で、この蔵で一号酵母の酒が製造されるようになりました。

日本酒・地酒の専門通販 | 佐野屋 - JIZAKE.com -「玉川 一号酵母 純米吟醸 雄町 無濾過生原酒[2023年4月蔵出し新酒]の商品紹介ページより

上記引用にもあるように、保存菌株として過去のきょうかい酵母は残っていまして、今では日本醸造協会へ使用したい旨を申し出れば、性質の保証はされませんが頒布してもらえるようです(後述の8号酵母も同様の経緯)。
次も同様に醸造協会から菌株を得て行われた複数蔵のプロジェクトですが、2023年4月には秋田の「山内さんない杜氏組合創立百周年記念企画酒」として、”百年前の酵母と現代の秋田式吟醸造りの融合!”という掛け声のもと、10蔵が1号酵母仕込の清酒を一斉発売しました(5月には完売したもようです…リンクいつまで残るかな)。

余談ですが、百年前の酵母なら百年前の造りを再現しよう、という対照的な造りをしたのが発祥蔵の「櫻正宗」のこちらの商品です(以前はもう少し詳しい解説があったのですが…)。

2号酵母

分離源:月桂冠
分離者:
(不明)
分離・実用年:
1912年(明治45年)
「林檎のやうな芳香を放ち」「酸の生成量及びアミノ酸の生成量は極めて少ない」と評されており、香りが良好で雑味の少ない良酒を醸す酵母であると当時から認識されていました。
発酵初期の立ち上がり(食い切り)は良いものの、アルコール発酵能力が低く、他の酵母がアルコール分17〜18%くらいまではアルコールを生成するのに比べ、2号酵母では15〜16%くらいで止まってしまうそうです。しかし、これは他の酵母がアルコールで死滅するのとは異なり、生きてはいるもののアルコールの生成機構が働かなくなるのだとか。
先の1号から5号酵母と、今主流のきょうかい酵母(6号以後)は遺伝的系統が随分異なっていることがわかっており、アルコール生成機構の違いもその辺りに由来するのでは、と発祥蔵元の月桂冠が発表しております。

頒布開始(1917年)から100周年を迎えた2017年に、月桂冠から記念プロジェクトとしてこの「きょうかい2号酵母」を用いた清酒造りの取組が行われており、その際の記事がこちらに掲載されています。

また初回生産商品の販売時のプレスリリースがこちらです。

その後、月桂冠からの商品リリースは確認できておりません。先述の「ソガ ペール エ フィス」の他は試験的な製造などがあるくらいで、通年での生産は今のところなさそうです。

3号酵母

分離源:醉心すいしん
分離者:
(不明)
分離・実用年:
1914年(大正3年)
3号から新4号、5号までは、広島の酒蔵発祥の酵母が続きます。
明治末までには広島地方で軟水を利用した酒造りが確立されており(いずれ水の話もしたいので、三浦仙三郎みうら せんざぶろうの「軟水醸造法」についてもそのときに……)、広島も銘酒の産地として名を馳せるようになりました。というのも、1907年(明治40年)より開催された「全国酒類品評会」において、広島地方の酒が優秀な成績を収めたからです。

※ WikipediaやSAKE TIMESの記事では「全国清酒品評会」との記載がありますが、国立図書館等で所蔵されている資料名から「全国酒類品評会」が正しいと思われます

「醉心」は1912年(明治45年)の「第二回全国酒類品評会」で1位を受賞しており、優良酵母の選抜によって1914年(大正3年)に3号酵母として認定されます。この品評会は「品質改善の奨励を唯一の目的とするもの」とされており、品評会で優秀な成績を収めた蔵から酵母の採取が行われたであろうと考えて良さそうです。
なお「醉心」は、その後の1919年(大正8年)、1921年(同10年)、1924年(同13年)と3回連続で「全国酒類品評会」の優等賞獲得(3度目の受賞により「名誉賞」を授与)という成績を残しています。

先述の江田の報文では、3号酵母はあまり特長に触れられておりません。

(三)第三號酵母 は前二種の酵母と異り、大正五年から發賣されたもので、其形状並に之を鷹用した酒母醪の醗酵経過は、第一號酵母と大差はないやうである。但し第一號酵母に比べると、高温度や酸に對する抗抵力はやヽ弱いやうであるが、本年度からは、都合に依り本酵母の供給を廢止されることになつた

酒質改善上優良酵母菌の利用」(江田鎌治郎, 日本釀造協會雜誌, 20, (11), 2-7(1925))より

上記引用文にもあるように、比較的早く頒布が中止されています。この報文中には今年度とあるので1925年(大正14年)から?と思われるのですが、他の情報だと1931年(昭和6年)頃ともあります。何にせよ1号・2号酵母よりも早くその役割を終えた酵母として扱われています。

3号酵母に関しては、発祥蔵元の「醉心山根本店」の公式サイトにもきょうかい酵母として選抜されたことしか記載がなく(同蔵所縁の横山大観の話は十分載っているのですが…)、商品も創業160周年を記念して3号酵母で醸した清酒を発売したことは酒販店等のwebサイトから確認は出来ましたが、その後特に動きはなく、2号酵母同様に「ソガ ペール エ フィス」の他は試験的な製造に留まっているようです。

旧4号酵母

分離源:(不明)
分離者:
(不明)
分離・実用年:
不明(3号酵母と同時代)
江田の文献中に「旧4号」「新4号」と併記されていまして、私もこの文献読んで初めて知りました…。

(四) 舊第四號酵母は第三號酵母と同時代から發賣されたものであるが
(中略)
但し此の酵母も都合に依り、大正十二年度から發賣を中止されてゐる

酒質改善上優良酵母菌の利用」(江田鎌治郎, 日本釀造協會雜誌, 20, (11), 2-7(1925))より

それ以外に情報を求めてみたところ、以下の赤尾先生の文章中に辛うじて痕跡が認められました。元は同じ江田の報文かと思います。文中にも記載がある通り、醸造協会にも菌株が残っていない、本物の「幻の酵母」です。

実は、第三号と同時期から大正11 年(1922 年)までの数年間だけ頒布された菌株がありました。当初この株は第四号とされましたが、最も早い時期に頒布中止になりました。第四号が欠番となったためか、その次の大正13 年(1924 年)に発売された株も第四号と名付けられました。ただし当時の文献では、初代は旧第四号、二代目は新第四号とされています。現在のK4 は新四号とみて間違いないでしょう。旧第四号は第二号と似て、酒母で死滅しやすかったようです。旧四号の菌株は醸造協会にも残っていないようですし、そのような菌株が存在したことすらほぼ忘れられているようです。

きた産業株式会社 e-アカデミー Tips for BFD 第43回 text:赤尾健「醸造用酵母の菌株あれこれ(1)清酒酵母」より

4号酵母(新4号酵母)

分離源:広島県内酒造場
分離者:
江田 鎌治郎、小穴おあな 冨司雄
分離・実用年:
1924年(大正13年)
広島県内の酒造場から江田らによって単離され、(旧)4号酵母の欠番後に協会酵母として認められた(新)4号酵母ですが、由来の酒造場の詳細は不明です。現存していれば発祥蔵として名乗りそうなものなので、既に絶えたものと思われます。そのため特にアピールされることも少なく、1~5号の中でも一段と影の薄い4号酵母……。なお下記引用にありますが、旧4号酵母との関連性は全くないものだそうです。

(五)新第四號酵母 は余が最近に優良清酒中より分離したるものに係り、大正十三年度から賣費されることになつたものであるが、前記の奮第四號酵母とは全く異つた種類のものである。
(中略)
之を使用した酒母醪の製造經過は、頗る順正可良であつて育成しやすく、實地操作上何等特別の注意を要しないばかりでなく、製成酒の香味は優良であるから、從來第一號酵母を使用された方々は、寧ろ本酵母を使用されるがよろしい。

酒質改善上優良酵母菌の利用」(江田鎌治郎, 日本釀造協會雜誌, 20, (11), 2-7(1925))より

江田の報文では以上のような説明があります。1号酵母が一般酒造向けとされており、4号はさらに扱いやすいとのことですから、変性によって使用が中止されなければ、もっと広く使われていたのかもしれません。3号酵母と同じく1931年(昭和6年)に頒布中止となっています。

5号酵母

分離源:賀茂鶴かもつる
分離者:
江田 鎌治郎、小穴 冨司雄
分離・実用年:
1923年(大正12年) → 1925年(大正14年)より頒布
醉心よりも西、今も酒蔵地域である西条(東広島市)に複数の蔵を構える「賀茂鶴」から5号酵母が単離されています。
賀茂鶴もまた大正期の「全国酒類品評会」で好成績を収めており、大正10年の品評会では優等賞の1位~3位を独占。そのため賀茂鶴で使用されていた酵母が優良酵母として選抜されたと考えられます。

特徴としては、発酵能が若干弱いものの、香気特によく、果実用の芳香が出るために優良酒に向くとされています。賀茂鶴においても、5号酵母を用いた商品開発の際には発酵力の弱さに苦労したとの逸話が紹介されています。

後述の6号酵母が頒布と同時に酒造業界を席巻したため、5号酵母の頒布は1936年(昭和11年)に終了しています。
上述の「広島錦」と「5号酵母」による”オール広島産の日本酒”として、賀茂鶴より「広島錦」はじめいくつかの商品が販売されている他は、5号酵母の酒としては試験醸造程度の商品があるのみです。

6号酵母

分離源:新政あらまさ
分離者:
小穴 冨司雄
分離・実用年:
1925年(昭和5年) → 1930年(昭和10年)より頒布
5号酵母までは西日本の蔵から分離されてきた協会酵母ですが、6号は一転して東北、秋田の「新政」から採取されています。そして現在でも頒布が続いているきょうかい酵母としては「最古の酵母」です。
酵母の特徴としては「発酵力が強く、香りはやや低くまろやか、淡麗な酒質に最適」としか日本醸造協会のサイトには書かれていないのですが、新政公式サイトでは以下のように記載されています。

ところが昭和5年、摂氏10度以下という極低温でも楽々と発酵を完遂する新酵母が東北の最果てからあらわれたことは、驚きをもって迎えられました。これがはじめての寒冷地酵母「きょうかい6号」です。
 6号は昭和10年に販売されるや、酒造業界を席巻し、それ以前のきょうかい酵母は必然的に注文が途絶えてしまい、ほどなく1~5号酵母の頒布は中止に追い込まれました。こうして6号という低温耐性酵母の誕生以降、雪深い寒冷地でも、安定して高級酒造りが可能となり、必然的に銘醸地の構造が変化してしまいました。いまとなっては酒どころとして誰もが疑わない東北や北陸、信州が名乗りを上げる土壌がここに築かれたといえます。

新政酒造株式会社公式サイト 「新政酒造の蔵歴」より

1~5号までの酵母に比べ低温耐性が高く、また技術の発達により低温発酵による高品質の清酒造りが行われるようになったことも追い風となり、6号酵母が席巻した理由の一つと考えられます。
低温発酵がもてはやされるようになった経緯については、新政・蔵元の佐藤祐輔氏が以下のように記述していました。

4.吟醸製法の黎明期
 昭和に入り、品質競争がますます加熱するうちに、ある特殊な製法が姿をあらわすこととなる。「吟醸」造りである。昭和5~6年頃、精米機の能力が格段にアップし、それまでは二割程度ほどにしか米を削ることができなかったのに対して、約半分まで米を削ることができるようになった。このように高度な精米を施された原料米を用いると、米外層の脂質、ミネラル、タンパク質が取り除かれ、結果的に雑味の少ないまろやかな味の酒が醸出される。これをして吟醸酒と呼び慣わすこととなる。
 初期の吟醸酒においては、まずその滑らかさと淡麗さが尊ばれた。また、酵母の栄養が不足することから発生する、独特の果実様の香り(吟醸香)が、新たに評価の対象として付け加えられた。
 この吟醸酒の誕生により、酒の評価だけでなく、その製法も大きく変わることとなった。以前とは逆に米の溶け過ぎが問題とされるようになったほか、酒の酸度を低く抑えるために、極限の低温発酵が必要とされた。結果として、高級酒造りには今まで以上に寒冷地が有利になり、ひいては東北地方に銘酒が生まれることとなったのである。

秋田の生んだ生物遺産『きょうかい6号』の可能性を探る」(佐藤祐輔, 成形加工, 24, (2), 196-199(2012))より 

6号酵母が新政より採取・分離された経緯も、上記引用した報文や、新政公式サイトに記載がありました。他の蔵と同様に、品評会や鑑評会で優秀な成績を収めたことが採取のきっかけのようです。

 昭和10年の「きょうかい6号」登場前後の期間は、新政酒造のはじめの技術的頂点が示された時代だったと言えます。全国新酒鑑評会にて、昭和2年と3年に全国三位の快挙を果たしております。この東北の蔵にしては珍しい高成績がきっかけとなり、直後の昭和5年に酵母が採取されるきっかけになりました。
 そして昭和10年、満を持して「きょうかい6号」は頒布されるのですが、むしろここからが本家の本領発揮といった記録を残しています。全国新酒鑑評会においては、昭和13年に全国三位、14年には全国二位、それから昭和 15・16年には2年連続で「全国首席」を獲得いたしました。

新政酒造株式会社公式サイト 「新政酒造の蔵歴」より

ちなみに同サイトには5代目の佐藤卯三郎うさぶろう(後に五代目卯兵衛うへえ)が「大阪高等工業学校」(現・大阪大学工学部)にて、ニッカウヰスキーの創業者である竹鶴政孝たけつる まさたかと同窓生で、同校には「西の竹鶴、東の卯兵衛」という学業成績の優秀さを讃える言葉があった、と記載されています。この5代目の技術研鑽が上述引用にある優秀な成績に繋がり、6号酵母の採取に至ったとされています。
秋田の酒造技術についてまとめた報文中にも、6号酵母と佐藤卯兵衛の話が掲載されていましたので、少し長いですが引用します。

 昭和のはじめ清酒の審査会で秋田の新政から出品される酒は、今まで他の酒に見られない特有の芳香があって成績も良かったので業界の注目を集め、このような香気はいったいどのような製造環境から生成されるのか興味が持たれた。当時製造を担当した先代の佐藤卯兵衛氏は大阪高工の醸造科を卒業し家業につくと、銘醸造りの技術探究に専念し、原料米の選択から精米工程の品温管理をはじめ製麹、酒母、醪の製造工程における品温、成分の変化を詳細に調べたほか、各工程の官能上の所感も記載した経過帳を作成し、また他人の意見も記入して区分ごとに製成酒の特色を把握することに努めた。それで火入れが済むとあらゆる経過帳を持参して温泉に出向き、雑事に煩わされることなく酒の出来栄えと経過をたどって探究する苦業を何年も続けた。そのような努力によって遂に銘酒造りの奥義を極み、品評会における抜群の成績をおさめ、かつ市場酒の名声も高めたのである。
 この優れた芳香を有する優良酒の醸出には、発酵の根源である酵母に何か特殊性を持っに至ったのではないかと技術者の間に話題が出て、醸造試験所の小穴冨司雄技師が昭和5年の冬に新政の醪を採取し、数株の分離した酵母から香気が高く、かつ発酵力の強い菌株を選抜した。
 その後分離した酵母は全国各地で実地醸造試験が行われたほか、最終的には昭和9年度の全国清酒品評会で秋田の酒が優等首席に入賞したことから確信を深め、昭和10年10月より日本醸造協会の6号酵母として一般に発売され、現在でも穏やかな芳香を有する酒が醸出されるため,多くの銘醸家に愛用されている。

秋田の酒造技術の歩み」(池見元宏, 日本釀造協會雜誌, 79, (11), 796-801(1984))より

余談ですが、大阪大学にはかつて「醸造(学)科」があり、大阪醸造学会→日本醗酵工学会→日本生物工学会となった経緯があります。大阪大学大学院工学研究科生物工学専攻のサイトにて、その歴史が掲載されていましたので紹介しておきます。

新政酒造は8代目の佐藤祐輔氏が蔵に戻ってから大きな改革を続けて注目されるようになりましたが、2009年(平成21年)の酒造年度より、使用酵母を6号系に限定しています。No.6というアイテムは当然6号酵母の「6」に由来しているのですが、デザインとネーミングとその特徴的な味わいから、酵母のことを知らない人にも広く認知されているかと思います。

6号酵母は現在でも頒布されている酵母ですが、一時は頒布中止も考えられていたものが、新政による多くの特徴的な商品群によってその性質が見直され、使用する蔵が増えたために息を吹き返したそうです。
新政の他にも6号系の酵母を用いた清酒は多くありますので、特に紹介はせずにおきます。

1~5号と異なり、6号および7号、9号以後のきょうかい酵母は(8号については後述)遺伝系統上では同じグループに属しており、6号を祖とする説と、6号と7号の共通の先祖がいたと考える酒総研・赤尾先生の説がそれぞれ確認されました。6号酵母が日本全国の酒蔵に広まったため、その系譜に連なる7号以後の酵母が発生した、というベースは同じみたいですけど……。その辺りの話は次の-酵母②-の7号酵母の方で紹介します。

当初10号くらいまでを①でまとめるつもりでしたが、6号酵母で急に情報が増えまして既に1万字を超えたので、一旦リリースしようと思います。
②では15号くらいまで行けたらいいかなぁ…。

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