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【15】清酒醸造の微生物(1) -酵母②-

一度に読む(書く)文量を超えたので、記事を分割しています。
-酵母①-では「きょうかい酵母」の清酒用6号までについて触れましたので、今回は同7号から14号までをお伝えします。次回-酵母③-にて、その間に分離された「泡なし酵母」、それから15号(1501号)以後について紹介を続けます。


きょうかい酵母(続き)

7号酵母

分離源:真澄ますみ
分離者:
山田 正一・塚原 寅次とらじ
分離・実用年:
1946年(昭和21年)
戦後早々に実用化され、現在でも広く使われている7号酵母は、長野県の「真澄」より分離されています。経緯は真澄公式サイトに記載されています。

1943年 栄冠
全国清酒鑑評会 第一位
長年の試行錯誤が実を結び品質は年々向上。ついに1943年、日本中の酒蔵が自慢の吟醸酒で覇を競う全国清酒鑑評会で第一位の栄冠を獲得。
名もない信州の酒蔵が一躍脚光を浴びることとなりました。

1946年 発見
優良酵母「協会七号」
清酒鑑評会で上位入賞を繰り返す真澄は多くの研究者の注目を集めました。
1946年、大蔵省醸造試験場の山田正一博士が真澄の酒蔵から新種の酵母を発見。「協会七号」と名づけられたこの優良酵母はたちまち全国の酒蔵へと拡がり、「近代日本酒の礎」と称されることとなります。

宮坂醸造株式会社 公式サイト 「真澄を知る -歴史-」より

7号酵母の特徴については、日本醸造協会のサイトには「華やかな香りで広く吟醸用及び普通醸造用に適す」とあり、灘酒研究会の「灘の酒用語集」においても「糖の消費はきょうかい6号酵母より劣るが香気は華やかで吟醸香が高い」と記載されていますが、後に登場する9号以後の吟醸系の酵母に比べると、そこまで香りを出せる酵母ではありません。現在では、発酵力の強さから、普通酒に用いられることが多いようです。
その優れた発酵能力から、7号酵母は清酒酵母のモデル株として様々な研究に用いられており、品種改良の親株としても使われています。9号以後のきょうかい酵母や、各地で発見された新種の酵母においても、7号酵母を祖とする酵母が非常に多く、遺伝的にも近いため「K7グループ」として分類されています(「K7グループ」には7号酵母と共通の祖先を持つと考えられる6号酵母も含まれているのですが、派生した酵母の多さから7号酵母を中心としています)。

ご存知のようにK6、K7、その後頒布されるようになったK9、K10の4株は、分離後60~90年程度が経過した現在でも優良菌株として広く利用されていますが、近年のDNAレベルの解析結果から、これらは遺伝的には極めて近縁な関係にあることがわかっています。また、これらは、きょうかい清酒酵母の基幹となる菌株であり、K11以降の菌株は、いずれも上記の4菌株からの派生株です(No. 28のみ他系統との交配株)。地方公設試験場や酒造会社で開発された菌株の大半についても事情は同じです。これらの菌株は、遺伝的近縁性から便宜的に「K7グループ」と呼び習わされています。今日の清酒酵母の主流はK7グループの菌株であり、清酒の大部分がこれらを用いて製造されています。

きた産業株式会社 e-アカデミー Tips for BFD 第43回 text:赤尾 健「醸造用酵母の菌株あれこれ(1)清酒酵母」より

K7グループの菌株は、総じて、低温での高い発酵力、高いエタノール生成能 (>20%)を備え、香味成分をバランスよく生成する。これらの菌株は極めて近縁であるものの、それぞれに特徴的な醸造特性(発酵特性や製品の官能特性をまとめてこのように表現することが多い)を有しており、そのために製造現場では目的に応じて使い分けられている。これらの菌株では、互いに遺伝子構成もほとんど同じと推察され、遺伝的な差は主として一塩基レベルの多様性にあると考えられるが実態は不明である。

ゲノムから見た清酒酵母の系統分化と育種への新たな視点」(赤尾 健, 化学と生物, 52, (4), 223-232(2014))より

6号酵母、7号酵母については長くその2種のみが頒布され続けたことから、両者を比較した報文も多いです。古くは7号酵母頒布開始後の1947年(昭和22年)に塚原らが「協會六號酵母と七號酵母の差異について」という報文において、麴汁(第一報)実地醸造(第二報)の試験の結果を報告しています。また後の報文では以下のようにまとめています。

五、六号と七号酵母の差異
六号は七号に比して残糖の喰い切りが良く、而も生酸が少い。例えばBllg一〇度の麹汁を醗酵させた場合に七号がBllg一度、酸度二.〇ccで止まつたとすれば六号はBllg〇.七度附近迄切れ、酸度は逆に一.八cc位で約〇.二ccほど少い。
酵母細胞としては六号の方は上面酵母としての性質をより多く備え、七号の方はいくらか下面酵母気味のところもある。例えば培養液中の沈澱酵母の凝集拡散は六号は七号よりも拡散し易い。
もろみに於ては六号は前緩後急的で最後の切れが良く、低温でも油断しているとドンドン切れて辛くなる。七号は前急後緩的で最後のメーターの切れは六号のようには切れない。
従つてもろみが切れ過ぎて困るような倉癖のある倉には七号を、反対に切れの悪い倉には六号が良いと思う、両者を混用すればその中間の性質を示す。
香りは七号の方は醗酵の終始華やかでいくらかくどいほどであるが、六号はアッサリとして醗酵の最盛期には稀に硫化水素臭を発する場合もあつて末期に香りが引立つて来るような傾向がある。

釀造協会の清酒酵母について」(塚原寅次, 日本釀造協會雜誌, 50, (11), 623-625(1955))より

この文章だけを見ていると、7号酵母の方が使い勝手が良さそうな印象を受けます。今でも使用数では7号系が一番多いのではなかったかなと(ソースが無いのでうろ覚えですが)。
7号の蘊蓄うんちくよりも、そこから派生した酵母の話の方が充実しているので、正直あまり書くことがありません……。探せばいろいろ出てくる気はしますが、一旦この辺で止めておきます。

8号酵母

分離源:6号酵母変異株(※後述)
分離者:
塚原 寅次
分離・実用年:
1960年(昭和35年)
8号酵母は6号・7号と異なる酒質の清酒醸造を目的として新たに分離された酵母で、分離前の1956年(昭和31年)に塚原が以下のような文章を記しています。

だが、実際問題として、ほんとに自分で買つて来て、飲んでうまい酒は精白度二割五分から三割附近の酒であつてこれは別に灘の酒でなくても大体そんなものである。
(中略)
さて、ここでわが協会酵母を省みて見ると、六号酵母も七号酵母もその主なる目的は所謂、高精白吟醸酒用の酵母として選抜されて来たものであつて、特に三割減以下のもろみ用として選ばれたものではない。而もこの両者の性質は紙一重であつて、ほんとのところ大した差異はないのである。
今こそ精白度三割減以下の清酒を目標とした酵母をつくり出すべき時期に達していると思う。
来年は是非、第八号酵母を送り出すつもりである。

全國清酒品評会と酵母」(塚原寅次, 日本釀造協會雜誌, 51, (11), 712(1956))より

これは「6号も7号も吟醸用で、磨いていない(精白度3割減以下の)酒向けの酵母ではないから、普段飲む酒造りに適した新しい酵母が今の業界には必要だ」という解釈で良いのかな……と思います。

そのような背景から登場した「8号酵母」は、笠原秀夫により以下のような特徴であると報告されています。

8号
昨年新しく配布することになった8号酵母は6号の変異株であって、やや小型で丸く、6号よりも醗酵がゆるやかな型の酵母である。第1表に7号と8号酵母によるもろみの経過の例を示したが、8号は醗酵の後段の湧き所謂、くい切りが一般にゆるやかである。もろみの状貌も6号、7号は後半に軽い玉泡を見せる場合が多いが、8号は蓋になりやすい。香は軽い木香様な、7号などの華かな香と異った特性を有している。もろみの酸量もやや多い傾向がある。

協会酵母について」(笠原秀夫, 日本釀造協會雜誌, 58, (7), 583-586(1963))より

このように「6号の変異株」として登場した8号酵母ですが、近年のDNA解析の結果、6号酵母とは全く系統の異なる酵母であることが判明しています。

K8は、昭和35年(1960年)に分離、実用化された菌株です。分離源はK6のストックであり、長らくK6の変異株とされてきました。ただ、当時K6とK7の使用が広まって行く中で、これらとは異なるタイプを求めて選抜された株ですが、醸造特性としては、高温発酵性で酸が多く、地蓋を形成し後半の切れがよくないというもので、親株のK6とは異なります。最近になって、DNA解析から、K6とは全く別の系統であることが判明しました。図2の中では、「清酒酵母(K7グループ以外)」に含まれます。違う菌株がK6のストック中に紛れ込んでいたのか、保存の途中で取り間違えられたのかは不明です。ただし近年、改めてこの株の濃醇な酒質を再評価する向きもあるようです。

きた産業株式会社 e-アカデミー Tips for BFD 第43回 text:赤尾 健「醸造用酵母の菌株あれこれ(1)清酒酵母」より

出自はさておき、6号、7号にない特徴を持つ8号酵母でしたが、淡麗辛口化が進む中で、1977年(昭和52年)に「濃醇多酸な酒質となりやすい傾向があり、時流にそぐわない」として頒布が中止されました。
しかし、その特徴に注目した村重酒造が日本醸造協会より取り寄せ、2003年(平成15年)から仕込を行っていたそうです。2007年(平成19年)には全国に先駆けてレギュラー商品として発売し、そして2020年(令和2年)には「きょうかい8号酵母」で醸すシリーズ「eight knot (エイトノット)」がリリースされました。以下の文章は、応援購入型サービスMakuakeにて2021年9月に開始した「eight knotの2020年醸造と2021年醸造の飲み比べセットの数量限定先行販売」のプレスリリースより抜粋したものです。

「eight knot」誕生の背景
 
多酸で濃厚な酒質となりやすい「きょうかい8号酵母」はその特性ゆえに、淡麗辛口が求められた時代のニーズに合わず昭和52年に頒布が終了いたしました。
 何故そのような「きょうかい8号酵母」に注目したのか…。それは日本酒がいにしえより代々受け継がれた魚料理や伝統的な和食文化に合うことは言わずもがなですが、昨今の食卓・外食の主役は西洋料理の影響も大きく受け、肉料理の台頭により変わりつつあります。そのような時代背景の中で「肉料理にも負けない日本酒を造ってみよう」と、がっしりとした味わいに負けない酵母として当時の副杜氏が目を付けたことが始まりでした。ですがそれなりの理由があり頒布中止となった酵母であることから簡単には手には入らず、交渉の末に「出来上がったお酒の味わいについての責任は問わないこと」を条件に酵母を分けていただきました。
 「きょうかい8号酵母」のお酒の醸造を始めた当初は、どちらかといえばマイナーな要素が強く、一般ウケがし難い傾向のため「知る人ぞ知る日本酒」として位置づけられておりました。そこで現杜氏である金子圭一朗は「きょうかい8号酵母」の他の酵母では類を見ない魅力的な個性を活かし、日本酒初心者でも愉しく飲める酒質に挑戦するのが面白いと考え、「きょうかい8号酵母」を徹底的に追求することをテーマに酒造りを行い、そして遂に全く新しい日本酒「eight knot」が誕生したのです。

錦帯橋で有名な歴史ある城下町「岩国」の村重酒造、若手杜氏が幻の8号酵母で醸す日本酒『eight knot』先行販売開始(PR TIMES掲載 2021年9月21日)

村重酒造の調査では、他に5社ほどがこの8号酵母を用いた清酒を造っているとのことで、調べてみましたが秋鹿、豊盃、天吹あたりがヒットしたものの、レギュラー商品として造られているかどうかまで確定できず……。天吹は村重酒造から移籍した杜氏が造っているので、その経験値からかな?と思います(どちらかというと「花酵母」のイメージが強いのですが)。

9号酵母

分離源:熊本県酒造研究所(香露)
分離者:
野白 金一のじろ きんいち
分離・実用年:
1953年(昭和28年) → 1968年(昭和43年)より頒布
あれ?8号酵母より分離が早い?と気になるところですが、「熊本酵母」として分離されてから、当初は「香露」の蔵が自身で使うほかに、交流がある他の蔵にも提供していました。するとその評判が広がり、全国から「協会として広く頒布してほしい」との要請が来たことから、日本醸造協会が蔵と契約を締結し「きょうかい9号酵母」として頒布を始めています。その間が15年もありましたので、分離自体は8号より先ですが、ナンバリングとしては9号となっています。
「熊本県酒造研究所」とありますが公的機関ではなく、大正7年(1918年)に「株式会社」となった、明治末期に酒質向上を目的として、熊本県内の蔵元らの呼びかけによって立ち上げられた組織です。

 「熊本県酒造研究所」には2つの顔があります。ひとつが「きょうかい9号酵母」の元株でもある「熊本酵母」を維持・管理する研究機関の顔、そしてもうひとつが「香露」の醸造元としての顔です。
 1909(明治42)年、県産酒の酒質向上を目的とし、県内の蔵元らの呼びかけによって立ち上げられた同研究所。当時の熊本は、御国酒として愛飲されていた赤酒から、清酒醸造へと移り変わろうとしていた時期でもあり、熊本の酒づくりを進化させるための結束だったことがうかがえます。以来、初代技師長に就任した野白金一氏による野白式天窓や袋吊り、二重桶方式をはじめとする技術開発や、蔵元への指導などが行われてきました。1952(昭和27)年に野白氏の手によって分離培養された「熊本酵母」は、日本醸造協会の「きょうかい9号酵母」として頒布されることとなり、全国の酒造りにも生かされています。

熊本県酒造組合WEBサイト 「熊本県酒造研究所」より

野白金一(と熊本県酒造研究所)については、以下のサイトにも詳しく載っていましたので紹介します。

きょうかい9号の由来について、wikipediaには元々は岐阜の蔵が発祥であるという記載がありまして、引用文献となっていた書籍を確認したところ、たしかに以下の記載がありました。

■9号酵母物語
 吟醸酒に欠かせないものといわれる9号酵母。この酵母は熊本の酒「香露」の酵母として知られているが実は、岐阜県の「菊川」の蔵で生まれている。昔、この蔵の技師が「自分のところで偶然できた酒が何でこんなにいい香りがするのか」と酵母を分離していた。この人が急死し、この菌株や、酵母の研究を熱心に行なっていた熊本県酒造研究所の研究員に持ちこまれ、培養され使われた。これが熊本酵母の開祖となった。9号熊本酵母は熊本で培養されたのは事実だが、生まれは岐阜の「菊川」からで、7号酵母の変異だ。

純米酒 匠の技と伝統」(上原 浩, 角川ソフィア文庫, 2015) より
※原著「いざ、純米酒 一人一芸の技と心」(ダイヤモンド社, 2002;絶版)を改題、文庫化

由来が岐阜の菊川とあるのですが、菊川株式会社の公式WEBサイトには酵母に関する記述はなく、上述の書籍以外には記録がありません。また、7号酵母の変異と断定していますが、先述の通りK-7グループとしての近縁性は示されているものの、7号の変異株という説自体もこの書籍に限られています。

発見者については、以下のような文章もありました。

「その技術があったからこそ生まれたのが『熊本酵母』です。昭和27年、野白先生が晩年の頃、先生の意思を受け継ぎ研究を重ねていた研究所の萱島昭二先生が、突然変異したもろみを発見したんです。香りが高く、発酵力が強い。さらに扱いやすく失敗が少ないという特長が分かり、昭和39年に県内の蔵元への配布が始まりました。4年後には『日本醸造協会』と契約し、『きょうかい9号酵母』として全国へ配布され、多くの酒蔵で使用されるようになったのです。発見から70年近く経った今でも、全国で使い続けられているのは、本当にすごいことです」と高浜さん。

熊本市観光ガイド旅コラムサイト > くまもとジャーニージャーナル! > 「made in 熊本」の酵母が日本酒文化を支えている?! 新酒の季節に探る、熊本の清酒の底力 より

以下にリンクしている日本醸造協会誌掲載の萱島氏自身の文章はじめ、他にはこの発見のくだりは確認できませんでした。昔の話で、学術的な記録もないのが惜しまれます。

さて、9号酵母の特徴ですが、日本醸造協会による説明には「短期醪で華やかな香りと吟醸香が高い」とあります。今の鑑評会で使われる酵母の主流である「カプロン酸エチル高生産酵母」が現れるまでは吟醸造りのための酵母として使われており、「YK35」という言葉の構成要素の一つでもありました。原料米は「山田錦(Y)」、酵母は「きょうかい9号酵母(K)」、精米歩合は「35%(35)」、コレが全国新酒鑑評会で金賞受賞するための必須条件だ、と言われていたときの造語です。なお「K」は「きょうかい」「9」「熊本」「香露」のどれでもとりあえず「K」らしいですが、「熊本」説が有力です。

きょうかい9号酵母として頒布されるに際し、熊本酵母の使用注意点について解説した報文のまとめでその性質を端的に記載してありましたので引用します。

(1)協会6号酵母や7号酵母と同様に、9号酵母(熊本酵母)は低温でよく発酵する酵母で、落泡以降も発酵力が強い。
(2)協会7号酵母に比し、泡が軽く低く地になるのも早いので前急の短期もろみ型になりやすい。
(3)酸量も少なく、香気も高いので吟醸酒向きの酵母といえる。

協会9号酵母(熊本酵母)と吟醸づくり」(萱島昭二, 日本釀造協會雜誌, 63, (9), 907-910(1968))より

低酸生成かつ高香気成分生成というのはこの後も登場する吟醸酵母の決まり文句で、10号以後でもその表現が散見されますが、9号(901号)は低温でも良く発酵することから、後の吟醸用酵母の発酵力(香気成分生成能と引き換えに弱くなっているものが多い)を補うために複菌で使用されることもあります。
独立行政法人酒類総合研究所がまとめている全国新酒鑑評会の「出品酒の分析結果について」というデータのうち、2023年9月時点で最新のものとして、下記リンク先に令和2酒造年度の報告が公開されていますが、出品数821点のうち酵母の混合使用が137点あり、その内訳の中できょうかい901号が23点あったとのことです。

10号酵母

分離源:東北地方
分離者:
小川 知可良ちから
分離・実用年:
1952年(昭和27年) → 1977年(昭和52年)より頒布
8号よりも分離は早かった9号ですが、さらに10号の方が分離自体は早いのです。分離された中から選抜されるまでに6年、それからきょうかい酵母となるまで約20年。分離した小川 知可良による報文にその由来と経緯が記載されています。

本酵母は昭和27年に、当時東北大学農学部の教授をしておられた今は亡き植村定治郎先生の助言をいただきながら、私が東北六県の清酒醸造場のもろみ数百点の中から分離したもので、昭和33年頃から茨城県立食品試験場ならびに明利酒類株式会社にて製造販売してきたものである。
このたび日本醸造協会からの慫慂しょうようもあり、昭和52年度より「きょうかい酵母」として醸造協会において製造販売することになり、全国の酒造家に希望によりお届けすることになった。

明利・小川酵母による酒造りのかなめ」(小川知可良, 日本釀造協會雜誌, 72, (9), 627-630(1977))より

その経緯から「明利小川酵母」とも呼ばれている10号酵母ですが(たまに明利酒類発祥と記載されますが、厳密には起源は明利酒類ではありません)、これもまた地方で分離された酵母の優秀さが認められ、後に「きょうかい酵母」として採用されたパターンです。

10号酵母の特徴としては「低温長期醪で酸が少なく吟醸香が高い」と記載されていて、9号の「短期醪が特徴」という点がまず異なります。また酸が少なくなることから、純米酒にも向いている酵母です。
明利酒類公式サイトには以下のように記載されています。

10号酵母(明利小川酵母)
当社の元副社長であった小川知可良博士が開発した酵母です。採集した良質の酵母菌のみを分離して、そのなかから選び抜いた優良種をさらに選抜して純粋培養したものです。
優れた香気成分(酢酸イソアミルやカプロン酸エチル)を造りだし、酸を造ることが少なく、低温でよく働くため、吟醸や純米などの高級酒造りに向いている酵母として高く評価され、現在も全国の酒造場で広く使われています。

明利酒類株式会社公式サイト「酒造り」より

少し古い文献にはなりますが、平成2年(1990年)に発表された論文で、9号・10号を含むきょうかい酵母8種(6号・7号・9号・10号・12号・13号・901号・1001号)、さらに清酒酵母以外の醸造酵母として焼酎酵母7種、泡盛酵母3種、ワイン酵母1種、ウイスキー酵母1種の合計20種類の酵母について清酒の小仕込試験を行い、製成酒の一般成分、香気成分及び有機酸等の香味に大きな影響を与えると考えられる諸成分の分析を行い、各種酵母間の性質の比較を行ったものがあります。

この試験によると、10号酵母は他の清酒酵母と比べ
・高級アルコール(n-プロピルアルコール)が多い
・ピルビン酸、クエン酸、アセトアルデヒド、尿素が多い
・リンゴ酸、グリセリンが少ない
という結果が示されています。
また日本酒度を除く22項目の分析結果についてクラスター分析を行ったところ、清酒酵母のグループと他の醸造酵母が明確に区別され、清酒酵母のグループの中でも10号酵母は最も離れた位置に分類され、特異な性質を明示することもできた、と述べられています。

協会10号酵母の性質について」(岩田 博 他, 日本醸造協会誌, 85, (7), 495-500(1990))より
Fig.2 様々な酵母のクラスター分析の結果

7号酵母のところで紹介した図は遺伝子から見た分布で、6号・7号・9号・10号がK7グループの4つの軸で、後ほど紹介する12号は9号からの派生、13号は9号と10号からの派生になるので、この実験の成分値クラスター分析の結果もある程度整合性は取れているのかなと思います。

9号と10号については、頒布開始後に全国新酒鑑評会で主流の酵母となっており、頒布開始から約10年後、先述の論文の前報になる文章の中で、以下のような記載がありました。

昭和59酒造年度全国新酒鑑評会の全出品酒について、使用された酵母の内訳を見ると、協会9号系(泡なしを含む、以下K-9と呼ぶ)600点、協会10号(以下K-10と呼ぶ)163点、その他41点と前二者が全体の約95%を占めている。地域別に見るとK-9は、西日本を中心に全国で、K-10は東日本を中心に使用されており、特に関東信越国税局管内での使用割合が高い。

協会9号酵母と協会10号酵母の生成する香気成分の比較について」(岩田 博 他, 日本醸造協会誌, 83, (6), 411-415(1988))より

「YK35」の示すように9号が600/804と約75%を占めてはいるのですが、次点で10号が163/804と約20%で続いています。
酸生成量と吟醸香の特徴からすると10号の方が良さそうに思えるのですが、9号に比べると10号はアルコール耐性が若干低いことが知られており、醪末期のコントロールが難しい(死滅しやすい)のが欠点です。
それを踏まえて、9号の発酵力と10号の醸造特性を掛け合わせた「良いとこどり」を目指した「13号酵母」の開発が行われるのです。

11号酵母

分離源:変異株
分離者:
原 昌道
分離・実用年:
1975年(昭和50年)→ 1978年(昭和53年)より頒布
7号酵母からの変異株として登場した11号酵母。8号酵母が6号酵母の変異株として登場しましたが、目的をもって変異「させた」株ではありませんでした(そして実際は全く別物だったわけですが)。11号酵母は7号酵母から高アルコール耐性を取得した株を選別しており、きょうかい酵母の中では初めて”品種改良”で得られた酵母と言えるのではないでしょうか。

なお、どうやって高アルコール耐性を獲得させたか、というのが下記文献に記載されていますが、20%アルコールを含む環境下で生き残った酵母の釣菌を繰り返し、生存率が高かった菌株を「アルコール耐性株」としています。紫外線照射による変異誘導では成果がなかったそうですが、過酷条件へ追い込んでも生き延びるヤツを見つけるという、実に分かり易いというか、何というか……。

酵母の特徴は「醪が長期になっても切れが良く、アミノ酸が少ない」とありますが、元となった7号酵母に比べ、アルコール耐性が高いために醪末期でも死滅しにくいこと(醪末期のアミノ酸の増加は単に死滅酵母菌体内のアミノ酸の醪への漏出現象のみでなく、酵母が死滅することにより、酵母菌体内にカルボキシペプチダーゼが活性化され、これが菌体内あるいは菌体外のペプチドに作用してアミノ酸を生成することがこの研究でわかっています)が
影響しています。
そのため日本酒度が高く、アミノ酸が少ないスッキリしたタイプに仕上がり(醪初期はゆっくり発酵し酸がやや高くなるという特徴もあります)、「超辛口」「大辛口」を謳う清酒に現在も用いられています。

その後の12号、13号は頒布中止となりましたが、11号は現在でも頒布され続けており、泡なしタイプの「1101号」も地味に2014年(平成26年)より頒布されるようになりました(当時、頒布開始について特にアナウンスがなかったような…)。

12号酵母

分離源:浦霞うらかすみ
分離者:
宮城県酒造協同組合醸造試験所
分離・実用年:
1965年(昭和40年)→1985年(昭和60年)より頒布
酒蔵発祥で由来がハッキリしているのはこの12号が最後です。宮城県の「浦霞」の昭和40酒造年度の醪より採取された酵母になります。宮城県酒造組合醸造試験所が優良酵母の分離・保存を行っており、県内の蔵へ配布していたものが、要望に応じて「きょうかい酵母12号」として全国へ頒布されることになりました。

この酵母は、昭和40BYに浦霞の吟醸もろみより分離したものであるが、試醸の結果良好と認められたので、それ以来県内の希望者に分譲してきたものである。

きょうかい酵母清酒用第12号 宮城酵母による吟醸造りの要点」(佐藤和夫, 日本釀造協會雜誌, 80, (9), 598-600(1985))より

発祥蔵の浦霞の特設サイトには以下の文章が記載されています。

浦霞と「きょうかい12号酵母」
戦後間もなくの頃より浦霞の杜氏として招聘されたのが、南部流酒造りの名人と謳われた平野佐五郎でした。
蔵入りしてまず徹底したのは蔵内の清掃。微生物が存分に活動できる清潔な環境を整え、浦霞の酒質も格段に向上します。
昭和27年には全国新酒鑑評会で首席入賞を皮切りに鑑評会で入賞を重ねていきます。昭和30年代に入ると「浦霞でイチゴの様な香りを出した」という噂も広まり浦霞の吟醸造りが注目され、昭和35年より杜氏を引き継いだ甥の平野重一も各種鑑評会で入賞を重ね、浦霞は「吟醸蔵」として全国に名を馳せる酒蔵となりました。
昭和40年頃に宮城県酒造協同組合醸造試験所の技師によって浦霞の吟醸醪から分離された酵母は、優れた吟醸用酵母として希望する県内の蔵元にも供与されます。
その後公益財団法人日本醸造協会に「きょうかい12号酵母」として登録、昭和60年頃より全国の酒蔵に向けて頒布されました。しかしながら酵母も生き物であり、時間の流れとともに酸が多くなる酒質に変異してしまい、吟醸酒向きであった酵母もいつしか使用されなくなってしまいました。

浦霞醸造元 株式会社佐浦 公式サイト「きょうかい12号酵母、復活。|純米吟醸 浦霞No.12」より

吟醸用酵母として有用と認められた12号酵母ですが、9号系酵母の自然変異株と考えられています。芳香高く低温でも良く発酵するという特徴は9号とも共通しているところでしょう。

頒布からわずか10年後の1995年(平成7年)に頒布が終了しています。酵母の変性によるものと考えられますが、Wikipediaには「極度に水と造りを選ぶので一般的とはいえない」という記載もあり、使い難かったのかもしれません。しかし、その出典は見つけられませんでした……。関係するとしたら、以下の一文くらいなのですが。

1)酒造用水
酒造用水の成分は第1表のようなものが望ましい。酒母用水はイ、ロを半量宛混和して使用し、その他は全部イを使用する。従って酒母用水の外は全部軟水である。

きょうかい酵母清酒用第12号 宮城酵母による吟醸造りの要点」(佐藤和夫, 日本釀造協會雜誌, 80, (9), 598-600(1985))
より
上記引用より 第1表 酒造用水成分表

軟水・硬水の使い分けというか、リン・カリ・クロール・硬度がかなり異なるので、軟水地域なら加工助剤で硬い方をカバーできますが逆は……という印象は受けます。酵母の栄養分がかなり少ないようにも思えますが、富栄養下では却って上手くいかないものなのでしょうか。

そんな12号酵母ですが、宮城県産業技術センターと宮城県酒造組合が、12号酵母の原株である「初代宮城酵⺟」から、⾼エタノール濃度下での⽣存性を指標に⾃然変異株を選抜し、加えて泡なし株を選抜して、純⽶酒製造⽤酵⺟「宮城マイ酵⺟」を開発しています(2000年(平成12年)に高泡株、2004年(平成16年)に泡なし株を取得)。
「初代宮城酵母」は穏やかな酢酸エステル系の吟醸香を特徴として広く使われたものの、純米酒製造に用いるには高アルコール濃度耐性や発酵性においてやや物足りない面があったため、初代宮城酵母のアルコール耐性強化株の取得を試みたそうです。先述の12号酵母の報文中でも、醪発酵経過例は日本酒度±0でアルコール分16%付近でしたので、純米酒には発酵力が少し物足りないですね。

令和に入り、浦霞では12号酵母を用いた酒造りを再開しています。他所と同じく、発祥蔵としてアピールできるのは強みでしょう。純米吟醸純米大吟醸の2アイテムが販売されています。

13号酵母

分離源:交配株
分離者:
原 昌道
分離・実用年:
1979年(昭和54年)→1985年(昭和60年)頒布
先に触れましたが、アルコール耐性が低い10号酵母に対し、より頑丈な9号酵母との交配雑種の中から、10号酵母の良い特徴を有し、かつアルコール耐性の比較的強い酵母を選択して、分離された新しい有用清酒酵母とされています。

この辺りになると遺伝子操作等の手法が進歩しており、普通に理解しづらくなってきます。ハプロイド(一倍体)と言われても……と思うので、その辺りは深く考えずに、何となくイメージだけ理解してください。
試験では7号・9号と10号の掛け合わせを行っていますが、採用されたのは芳香性の高かった9号と10号の交雑株(MK-9株)です。
その後、MK-9酵母は「きょうかい13号酵母」として頒布されることになりますが、その特徴を続報で下記のようにまとめています。

(1)アルコール耐性はK-10より強く、K-9と同じ位である。したがって、もろみ末期において酵母は死滅しにくい。
(2)香りはK-10に近いが、やや異なる芳香を示す。
(3)低温(10℃)での発酵力はK-9に類似して強い。
(4)生酸はK-9よりやや少ないが、K-10より多い。
(5)泡の高さ、落ち方はK-10とK-9の中間位で、もろみ末期は薄皮(非常に薄い)になる場合が多い。
(6)TCC染色は赤、35℃でのβ-alanine培地での生育は(+)である。
以上の性質から本酵母はK-9に類似した発酵経過をとり、低温短期又は低温中期型発酵もろみに適している。

きょうかい酵母清酒用第13号―MK-9酵母について」(原 昌道, 日本釀造協會雜誌, 80, (9), 601-602(1985))より

この9号と10号のハイブリッドである13号ですが、親の9号・10号が今も頒布される一方でいつの間にか頒布中止となっており(中止の理由も、頒布中止年の記載された資料も見つかりませんでした)、影の薄い存在になっています。酵母名で検索しても使用商品の情報に辿り着かないので、市場にはないのかな……。

14号酵母

分離源:北陸地方(醪)
分離者:
北陸酒造技術研究会
分離・実用年:
1991年(平成3年)
出自はわからないのですが、金沢国税局鑑定官室に囲われていた菌株から選抜され、9号の系統の自然変異株とされています。

金沢国税局鑑定官室には従来から引き継がれてきた数株の酵母群がある。これらの酵母群はいずれも酸が少ない特徴を持っており、金沢何号酵母と称して金沢国税局管内の醸造指導に用いられてきた。平成3年に鑑淀官室の試験研究の一つとして、金沢4号酵母(KZ-4)の中から、より吟醸香生成能の高い株(KZ-4-76)を選択し、金沢酵母と略称して平成4及び5酒造年度に管内65製造場において吟醸酒用酵母としての試験醸造をして実用化の確認を行った。平成6年9月に、この酵母のメンテナンスを北陸酒造技術研究会に移し、平成6年12月日本醸造協会からきょうかい14号酵母として北陸限定頒布が開始された。また、14号酵母は平成7酒造年度から、全国頒布となる予定である。

きょうかい酵母清酒用第14号 (金沢酵母)」(北陸酒造技術研究会, 日本醸造協会誌, 90, (9), 682-684(1995))より

日本醸造協会のサイトには「酸が少なく低温中期型醪の経過をとり特定名称清酒に適す」とあり、上記引用の論文にはサブタイトルで「酸が少なく吟醸香が高い」と記載されています。
14号の特徴として、9号と比較した場合、
(1)生育がやや遅い
(2)酸が少ない
(3)アミノ酸がやや多い
(4)上槽時の酵母生菌数が少ない
となっています。(1)と(3)は関係性があり、アルコール耐性が弱いために、醪末期で酵母細胞の死滅が起こりアミノ酸が多くなると推察されています。
製成酒の香気成分分析において、吟醸香の1つである「カプロン酸エチル」濃度が4.5ppm程度出ており、華やかとまではいかないがバランスの良い穏やかな香りとして感じられる、という旨の記載があります。

元々は出品用の吟醸酒向けに選抜された酵母だと思うのですが、カプロン酸エチルをバンバン出す酵母が増えており、検索してみると現在では香味のバランスから純米吟醸酒クラスの商品が多いようです。有機酸組成の割合から、燗酒向けの清酒にも用いている蔵もありました。

出自にドラマもないし、今も普通に使われているので、あまり書くことがありません……。

結局13,000字というボリュームになりましたが、今回はここまで。次回で「泡なし酵母」と1501号~の紹介、その次でその他のきょうかい酵母、それが終わったら各都道府県等のオリジナル酵母…いつ終わるのコレ?

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