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新宿日撮り歩記

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仕事に遊びに縁の深い新宿の写真を自分の思いと共に載せています。(芸術性ゼロ)
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#高田馬場

【高田馬場駅早稲田口壁画】新宿日撮り歩記

【高田馬場駅早稲田口壁画】新宿日撮り歩記

高田馬場駅の早稲田口のガード下の壁に描かれている画。

JR側は『ガラスの地球を救え』、西武鉄道側は『高田馬場の歴史と文化~過去から現在そして未来へ』をテーマに手塚プロダクションによって描かれました。

月刊漫画雑誌「少年」に「鉄腕アトム」の連載が始まったのは今から70年前の1952年。
アトムは2003年4月7日に高田馬場で誕生したという設定になっています。
「鉄腕アトム」の作者である手塚治虫は

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新宿日撮り歩記【高田馬場〜歌舞伎町・早朝】

新宿日撮り歩記【高田馬場〜歌舞伎町・早朝】



高田馬場駅の高架下の壁画。
鉄腕アトムは2003年4月7日に高田馬場にある科学省で誕生したとされています。
また、鉄腕アトムの作者である手塚治虫が設立した「手塚プロダクション」があるのも高田馬場です。
そんなことからこの壁画が描かれ、またJR高田馬場駅の発車メロディーもアニメ「鉄腕アトム」の主題歌ですね。

アトムの「誕生」から19年経った2022年。
人型ロボットはようやく歩き始めたところ。

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新宿日撮り歩記【鉄腕アトムの壁画】

新宿日撮り歩記【鉄腕アトムの壁画】

(高田馬場駅)
高田馬場駅早稲田口のガード下には「鉄腕アトム」の壁画が描かれています。
テーマは「ガラスの地球を救え」と「歴史と文化~過去から現在そして未来へ」です。
何故、高田馬場に鉄腕アトム?
漫画「鉄腕アトム」の中で、アトムは2003年4月7日に高田馬場で誕生したことになっています。
また、「手塚治虫氏は1976年高田馬場にスタジオを構え、この地で数多くの作品を生み出しました。」(壁画の説明

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新宿日撮り歩記【シチズンプラザ】

新宿日撮り歩記【シチズンプラザ】

(高田馬場4-29-27)
今では数少なくなった通年のアイススケート場があります。
館内にはボウリング場、テニスコートもあります。

ボウリング場の数は減ってきましたが、それ以上にアイススケート場はだいぶ少なくなりました。

1980~90年代には東京都内にいくつもアイススケートリンクがありました。
私が記憶しているだけでも、冬季のみ営業のものも含めて、品川、原宿(国立代々木競技場)、千駄ヶ谷(明

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【早稲田松竹】(高田馬場1丁目5-16)

【早稲田松竹】(高田馬場1丁目5-16)

以前...う~ん、30年前くらいまでかな、は映画館は2本立てで入れ替えなしが当たり前でした。
ですから、好きな映画は2回、3回と1日中好きなだけ観ることができました。ビートルズの “Let It Be” は何度観たことか。
映画館にまつわるもう一つの思い出といえば、私が小学生の頃はどの町にも映画館があって、私の家の近くにも1軒ありました。
ディズニー映画などは学校で入場券をくれ、それで観に行ったも

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【鳴門鯛焼本舗】(高田馬場2丁目21)

【鳴門鯛焼本舗】(高田馬場2丁目21)

天然の鯛を焼いている訳ではありません。念のため。
鯛焼き屋さんです。
何が「天然」かというと、「天然たいやきとは一匹ずつ丁寧に焼く「一丁焼き」という焼き上げ製法のことをいいます。」(同社のウェブサイトから)だそうです。
また、北海道十勝産の厳選された最高級小豆を日本名水百選に数えられる大嶺山の天然水で手間ひまかけて云々」(同)という点も売り文句の一つのようです。
私にはそうでないものとの違いが分か

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【シチズンプラザ】(高田馬場4-29-27)

【シチズンプラザ】(高田馬場4-29-27)

通年のアイススケート場、ボウリング場、テニスコートがあります。
私が1979年に初めて(アイス)ホッケーをやったのがここのリンクです。
その頃(1980~90年代)は東京都内にいくつもアイススケートリンクがありました。

私が記憶しているだけでも、冬季のみ営業のものも含めて、原宿、千駄ヶ谷、後楽園、池袋、高田馬場、東伏見、東大和、昭島で、いずれもホッケーをプレーすることができる設備がありました。

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