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新宿日撮り歩記【高田馬場〜歌舞伎町・早朝】

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高田馬場駅の高架下の壁画。
鉄腕アトムは2003年4月7日に高田馬場にある科学省で誕生したとされています。
また、鉄腕アトムの作者である手塚治虫が設立した「手塚プロダクション」があるのも高田馬場です。
そんなことからこの壁画が描かれ、またJR高田馬場駅の発車メロディーもアニメ「鉄腕アトム」の主題歌ですね。

アトムの「誕生」から19年経った2022年。
人型ロボットはようやく歩き始めたところ。
アトムのように優しい心を持ち、世の悪者をやっつけてくれるロボットが現れるのはいつのことでしょう。

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この看板で「ゲーセン」というのが面白いですね。
早朝なので開いていませんでしたが、昔ながらのゲーム機がたくさんあるそうです。

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昔ながらのエアコンや衛星放送のアンテナが見えて、外観が被写体としてはおもしろいけど、中はどうなっているんでしょう。
ちょっと怖い気がします。
と言っては入居者に失礼ですね。

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今では珍しくなった名画座。
古い名画を、これも今では珍しい「二本立て」で上映しています。
一般料金1,300円で2本見ることができます。
私が子供のころは映画は数少ない娯楽の一つで、近所にも映画館がありました。
また都会の映画館も入れ替え制ではなく、好きな映画は1日中見ていたものです。

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新宿区でこういうものを見るとは思いませんでした。
まだガスが通っていないのでしょうか。

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鯛焼が「天然」って?
お店のウェブサイトによると「天然」とは「一匹ずつ丁寧に焼く「一丁焼き」という焼き上げ製法のことをいいます」とのことです。
う~ん、ちょっと無理があるような,,,

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表通りをそれて住宅街へ入ると所々にこのようなアパートがあります。
この建物は1977年築だそうです。
早稲田大学の同窓会は「稲門会」といいます。
このアパートに早稲田大学の学生さんが住んでいるかどうかは不明です。

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そうかと思うと、こんなオシャレなレストランがあったりもします。
「TIREZ」「OUVERT」
フランス語でそれぞれ「引く」「開く(営業時間)」

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「1877年、神田錦町に学習院が創立された時の正門。1950年に戸山キャンパスの正門として移設され、1973年に明治初期の鋳鉄製として国の重要文化財に指定されました。」(同校のウェブサイトから)

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裏通りをテクテクテクテク。

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いろんな国の人が利用しているようです。

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小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)終焉の地。
八雲の出身地のギリシアを想像させる造形物があります。

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歌舞伎町にある二つのバッティングセンターのうちの一つ。
開業は1978年だそうです。
昭和53年。
私は大学3年生。
サッカーはまだJリーグができておらず、アマチュアの日本リーグでしたから、野球が一番の人気スポーツだったと思います。
映画館と同じく、当時はあちこちにバッティングセンターがありました。
私の家の近くにも2ケ所ありました。(そのうちの一つは今でも営業しています)

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2023年4月に開業予定の歌舞伎町タワー。(一番奥のビル)
ホテル2件、映画館、劇場、ZEPPホールを備え、東急が運営する商業施設だそうです。
東急というと渋谷という印象がありますが、実はこの歌舞伎町タワーの場所にあった映画館「新宿ミラノ座」は東急の運営だったそうです。
このミラノ座があった建物は「新宿東急文化会館」が正式名称で、「渋谷東急文化会館」と同日の1956年12月1日に開業しています。
この建物の中にはアイススケート場があり、両親に連れられて行ったのをうっすらと覚えています。

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早朝とはいえ、というか、早朝だから、夜明かしをしたと思われる怖い風のお兄さんたちがそこここにたむろしているこの地域。
やっぱり怖いです。
この写真を撮るのも怖かったので、サッと撮って走り去りました。

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歌舞伎町ならではの自動販売機。

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警官や商店街の人たちが常に巡回してはいるものの、この地区の全域が安全になることはないのかもしれません。
しかし、映画館の周辺や靖国通りに近い地域は、客引きについて行ったりしない限りは比較的安全なようです。


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新宿区のとある所にある故・柳家小三治さんのご自宅。
以前は「柳家」とだけ書かれた小さな表札がかかっていましたが、今はこうなっていました。
「532」=「小三治」ということでしょうね。
私が大好きな二人の噺家のうちの一人です。
以前は少なくとも月に1度は聴きに行っていましたが、人間国宝になってからは結局一度も拝観出来ませんでした。
落語界で一、二を争うほどの人気者だった小三治さん。
晩年は定員1,000人以上の大ホールでの落語会がほとんどで、その芸を満喫できる機会が減ってしまいました。
私は、落語を始めとする寄席芸は演者の息づかいが感じられるほどの小さな空間で最も楽しむことができるものだと思っています。
その小さな空間で小三治さんを見ることができる機会が何度かありました。
新宿末廣亭や上野鈴本といった都内の四つの寄席でそれぞれ年に2回(1回あたり10日間)、トリを務めていました。
通常、寄席では一人15分から20分程度の持ち時間ですが、トリだけは30分以上演じます。
昼夜入れ替えのない新宿末廣亭や池袋演芸場で小三治さんが夜の部のトリを務めるときには、昼の部の後半くらいに入っておかないと席が取れません。
ですから、3時ころ入場し、夜8時ころ登場する小三治さんを待ちます。
入れ替わり立ち替わり登場する数々の演者。
落語、漫才、漫談、曲芸などなど。
面白いものばかりではありません。
むしろ、私にとっては退屈なもののほうが多かったかもしれません。
それでも、小三治さん見たさに狭い座席でじっと我慢。
何時間も待ってようやく小三治さん登場。
その素晴らしい芸に触れた後は、それまでの疲れは吹き飛び、豊かな気持ちで家路についたものでした。

亡くなってから間もなく1年。
DVDやYouTubeでいつでも見ることができるからか、まだ亡くなったという実感がありません。

柳家小三治という噺家の芸に生で触れることができたことは、私の大切な宝物の一つです。

今日のお散歩はこれでおしまい。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。