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「ぼくの日」のある学校

noteのお題や募集は、インタビューの質問に似ている。投げかけられた問いを受け止め、見つめ、どんな答えを返そうかと考えるとき、頭の中で大小様々な書物のページや思い出の小箱が開かれ、日頃の思考回路と違うところに風が通る。過去に見聞きしたことの断片がつなぎ合わされ、束ねられ、まとまりになっていく。言葉はテープにもリボンにもなり、ついには乗り物になり、わたしから質問者へ運ばれる。自分の口から出た答えを自分で聞きながら、「そんなこと考えていたのか」と意外に思ったり、ひざを打ったりする。

質問が答えを掘り起こすとき、埋もれていた遠い自分のカケラもついてくる。芋掘りの根っこにくっついてくる小さなさつまいもみたいに。

8月が終わる日の夜、眠りに落ちる前にお話を思いついた。noteで見かけた「こんな学校あったらいいな」の募集に応じるような物語。やり忘れた夏休みの宿題みたいに、頭の片隅に引っかかっていたお題の答えが不意に浮かび上がった。

助走のような出来事はあった。先週月曜日に上げたnote(「またバカ話しような!」の重み)。「こんな学校あったらいいな」以前に、「(当たり前のように)学校があったらいいな」という内容で、休校で失われたのは「バカ話」のような取るに足らないものではないかと書いたら、思いがけない反響があった。

授業で教わった知識よりも、給食の時間に起きたどうでもいい出来事のほうが心に残っていることについて、

あれは給食というより「給食の時間」を食べていたんだなと思う。

と書いたくだりに、とくに共感が寄せられた。

その次の日に書いたnote(名前のない感情に名前をつける)は、「バカ話」につながる内容で、いつもと違う日常が続く今年において「とくべつな日」って何だろうと問いかけた。

「8月31日の夜に」というお題に寄せて8月31日生まれの幼なじみのことを綴った(日本一おしゃべりな幼なじみのヨシカのこと)のも最近のことで、ヨシカと連れ立って学校に通っていた頃の記憶が温め直されていた。

「8月31日の夜に」は、夏休み明けの新学期、学校へ向かう足が重くなってしまう子への励ましも込めて、毎夏に募集しているらしい。

応募作の一つ、自分らしさではなく子どもらしさを求められる息苦しさについて綴った石澤大輔さんの「瞳に映る色は」を読んで、以前書いたnote(「みんなと違う」はヘタクソじゃない)を思い出した。

「いつもと違う」と「みんなと違う」が頭の中で膨らみあって、8月31日から9月1日へ日付が変わる頃に、不意にくっついたというわけだった。

目が覚めると、「こんな学校あったらいいな」の募集は終わっていたけど、前夜の思いつきは残っていた(朝になったらすっかり消えていることは、よくある)。

書いてみる。

ぼくの日

いつもよりちょっと早く目が覚めた。「今日だね」とお母さんが言う。「今日だな」とお父さんが言う。「いいな、おにいちゃん」と来年小学校に上がる妹がうらやましがる。

今日は、小学校生活で一度きりの当番の日だ。

ぼくの学校では、毎週金曜日が「6年生の日」になっている。当番の6年生が作った「一日だけルール」が、その日一日、いつもの学校をちょっぴり変える。

月曜日の全校朝礼で、その週の当番の6年生が紹介される。あの人が今度の「一日だけルール」を実行する人なんだなと注目が集まる。そして、「どんなルールを用意しているんだろう」と想像しながら金曜日を待つ。

そして金曜日の朝。学校の玄関に貼り出された「一日だけルール」を見て、「へーえ」となったり、「マジ?」となったりする。

ぼくが入学したときから「6年生の日」はあった。1年生の最初の金曜日の「一日だけルール」は、

今日一日は、ろうかをカニ歩きで歩く。

というものだった。その日一日、子どもたちはもちろん先生たちも、ろうかをカニ歩きで歩いた。忘れものを届けに来た家の人も、「カニ歩きでお願いします」と言われた。カニ歩きだと、ろうかを走れないので、この日は「ろうかを走ってはいけません」と誰も注意されなかった。

ろうかと言えば、2年生のときに、

今日一日は、ろうかと教室を入れ替える。

という「一日だけルール」があった。机と椅子をろうかに出して、ずらっと並べた。長いろうかの端から端まで、机が続いた。いつもの教室と眺めが違うと、それだけでウキウキした。

壁で区切られていないから、隣同士のクラスの先生の声が混じってしまう。ぼくのクラスの先生は、一問だけ問題を書いた用紙を一人一人の机に置いて、席を替わりながら解いていくという「移動式小テスト」を考え出した。答えが書けたら、問題用紙を裏返して答え合わせをする。誰の机の問題でもいいから全部で10問解けば良かった。

どんな問題が出たのかは覚えていないけど、スタンプラリーみたいでワクワクしたのは覚えている。

ぼくが3年生のとき、

今日一日は、校庭を教室にする。

という「一日だけルール」を作った6年生は、前の年の「ろうかを教室に」が気に入ったのかもしれない。

1年生から6年生まで全員の机と椅子を校庭に出して、青空教室。暑くも寒くもなくて、風が気持ち良かった。もし雨が降ったらどうしたんだろう。そう言えば、その週、職員室にてるてる坊主がたくさんつるしてあった。先生たちは準備があるから、ルールの内容を先に知っている。無事にルールを実行できるように、お天気にも協力してもらわなくちゃならない。

4年生のときの「一日だけルール」で一番盛り上がったのは、これだ。

今日一日は、校長先生を「殿」と呼ぶ。

休み時間になると、校長室に子どもたちが押しかけた。そこに校長先生はいなくて、「殿、散歩中」と貼り紙があった。殿っぽさを出したつもりらしくて、太い筆で書き殴ってあった。低学年でも読めるように、ふりがなもふってあった。

「殿は3階にいる」「殿は音楽を好む」などと手書きのヒントが壁や階段に貼ってあった。3階の音楽室で校長先生を見つけて「殿!」と呼ぶと、「皆の者、頭が高ぁい」。校長先生のノリがいいから、ぼくらも「ハハァッ」とかしこまった。

次の週、「殿」と呼びかけたら、校長先生は「殿の座を追われたでござる」と殿様が残る口調でおどけた。なんだか名残おしそうだったから、

「これからも殿って呼びましょうか?」とぼくが聞いたら、

「一日で終わるのがいいんだよ」

校長先生は、いつもの口調に戻っていた。

「一日だけルールは、学校のいつもの当たり前をちょっとだけ変える一日だけの小さな魔法だからね」

ずっと続けばいいなと思うルールもあるけど、それだと特別じゃなくなる。だから、一日で終わるのがいい。

だけど、ルールが一日で終わっても、ルールの魔法をかけられた一日のことは覚えている。夢から覚めても、夢で見たことを覚えているみたいに。

6年生の数だけ、ぼくらは小さな魔法をかけられ、一日限りの夢を見る。みんなで見る昼間の夢。

5年生のときの最後の「一日だけルール」は、とくに忘れられない。

今日一日は、「はい」のかわりに「イカ」と言う。

ルールが発表されたときも「なんでイカ!?」って大笑いしたけど、その日一日、誰かが「はい」のかわりに「イカ」と言うたびに笑いが起こった。担任の先生は「はい、次の人」「はい、正解」と何を言うときにも頭に「はい」がついた。「イカ」に直すのを忘れるたびに、「イカ!」とぼくらが注意した。「はい、すみません。じゃなくて、イカ、すみません」と先生は首をすくめた。

「はい」って、何気なく言っちゃっているんだなというのが、この日の発見だった。

給食の時間、「今日のシチュー、星型にんじん入ってる」とぼくが言うと、隣の席のサキちゃんが「星型にんじんイカってる」と言い直して、向かいの席のケンイチが牛乳を吹きそうになった。

いろんな言葉にひそんでいる「はい」を「イカ」に置きかえていった。

ハイキングはイカキング。ハイヒールはイカヒール。灰色はイカ色。敗者復活戦はイカ者復活戦。夏目漱石の「わが輩は猫である」は、「わがイカは猫である」になった。

学校であんなに大笑いしたことはなかった。給食を食べたばかりなのに、笑いすぎて、おなかがすいた。

毎週金曜日の「6年生の日」をぼくの家族も楽しみにしている。「今日はどんなルールだったの?」と聞かれて、ぼくはいつもとちょっぴり違う学校の様子を話す。「はいをイカに」はぼくの家族にも大人気で、その日の晩ごはんの会話は「イカ」が飛び交った。「イカ食べたくなっちゃった」とお母さんが笑った。

「なんでイカなんだろね?」とお父さんが聞いた。

「飼っていた犬の名前がイカなんだって」

当番の6年生のユウスケ君に誰かが理由を聞いて、あっという間に学校中に広まった。長生きしたけど死んじゃった白い犬。

「みんなが『イカ』って名前を呼んでくれているみたいで、うれしかったんだって」とぼくが言うと、お母さんは「子どもの頃に飼っていた犬のこと、思い出しちゃった」と涙ぐんだ。

「どうして、白だとイカなの?」と妹が聞いた。「イカが白いからじゃないの?」とぼくが言うと、「でも、犬の毛ってふわふわしているし、イカっぽくはないよなあ」とお父さんも首を傾げた。

次の日、ぼくは一度もしゃべったことのなかった6年生のユウスケ君に「どうして、イカって名前をつけたの?」と聞いてみた。

「イカロスだと長いから」

とユウスケ君は答えた。白い犬が家に来た日、音楽の時間に「イカロスの翼」という歌を習ったから、イカロスって名前をつけたんだけど、あれ、ちょっと悲しい歌なんだよねと笑った。

ヒツジでもワタアメでもニュウドウグモでもなく、イカだったから、あの日の「一日だけルール」は盛り上がったんだとぼくは思う。「はい」の二文字にとってかわったヘンテコな二文字。

イカを見ると、ぼくの頭に「イカロスの翼」の重々しい歌とともにユウスケ君の顔が思い浮かぶようになった。

6年生に上がる少し前、校長先生から「6年生の日」についての説明があった。「一日だけルール」を作るのにルールがあることを知った。

1 みんなが参加できること
2 元に戻せること

「みんなが参加できるというのは、参加できなくてさみしい思いをする子がいないということだ。たとえば、『今日一日は、歩くかわりに空を飛ぶ』というルールは、空を飛べない人は参加できない。どうしてもやりたい場合は、全員が飛べるように特訓してからにしてください」

「元に戻せること。これも大切です。『今日一日は、学校を壊して回る』というルールは、その日は楽しくてスカッとするかもしれないけど、次の日から学校がないと困るので、できればやめてもらいたい。もちろん、次の日までに元通りにしてくれるなら、やってもかまいません」

校長先生のたとえ話は、いつもスケールが大きい。

6年生になったら、どんな「一日だけルール」を作ろうか。いっぱいお手本を見て、あんなのがいいかな、こんなのはどうかなと思いめぐらせていたはずなのに、いざ作っていいよと言われると、何も思いつかなかった。

締め切りぎりぎりになって、もうこれでいいやと投げやりになって、「一日だけルール提案書」に書き入れた。

今日一日は、チャイムの音をチャルメラにする。

ルールを決定する前に、担任のケイコ先生と面談があった。

「なぜこのルールにしたいの?」と聞かれて、ぼくは答えられなかった。

「ラーメンは好き?」と先生が聞いた。
「好きですけど、カレーのほうが好きです」
「じゃあ、チャルメラはどこから来たの?」
「なんとなく」

そう言うしかなかった。

本当のことを言うと、これまでの「6年生の日」のヒットを超える面白いルールを作りたかったのに、思いつかなかった。あれもこれも全部、過去の6年生にやられている。

チャイムに手をつけたルールは、ぼくが入学してからは、なかったはずだ。チャイムをいつもと違うやつにしたら面白いかも。そこまでは思いついたけど、どんな音にしたらいいか、アイデアが浮かばなかった。なんで「チャルメラ」と書いたのか、自分でもよくわからない。

そんなことをぽつりぽつりと話すと、

「チャイムとチャルメラって似てるもんね」とケイコ先生が言った。

「似てますか?」
「チャイム、チャイム、チャイム、チャイム」とケイコ先生は何度か繰り返して、最後に「チャルメラ」につなげて、「ほらね」と笑った。

「無理矢理だなあ」とぼくもつられて笑った。笑ったら少し力が抜けた。

「ほんとは、6年生の日がすごく楽しみだったんです。でも、近づいてきたら、終わって欲しくないなって思って」

ケイコ先生が黙って聞いてくれるから、ぼくはどんどんしゃべった。言葉の蛇口がゆるんで、せき止めていた気持ちがあふれ出した。

「これが終わったら、あとは卒業だなって。そしたら、6年生の日なんかなければいいのにって思えてきて」

「そっか。終わりはさみしいよね」とケイコ先生が言った。

「でも、その日が始まりになった子もいるんだよ」

先生はそう言って、ぼくに聞いた。

「どうして6年生の日が始まったか、知ってる?」

知りませんとぼくは答えた。ぼくが入学したときから当たり前のようにあったから、「始まり」を想像したことがなかった。

「6年生になるまで学校でほとんど誰とも口をきかなかった子がいてね、教室に入れなくて図書室で本を読んで過ごす日が多かった」

ケイコ先生が、ある6年生の話を始めた。

「教室は、その子にとって遠い場所だった。一日も早く卒業したかったけど、このまま友だちもできず卒業するのは、なんだかつまらないなって思っていた。卒業したら、一番最初に忘れられちゃうんだろな。もしかしたら今だって、クラスの子は教室に姿を見せないわたしのことなんて忘れているかもしれないなって」

さみしさとあきらめをランドセルに背負っていたその6年生がたった一人、気持ちを打ち明けていたのが担任の先生だった。

その先生がある日、不思議な質問をした。

「もし、一日だけ、『自分の日』にして、その日一日だけの学校のルールを作れるとしたら、どんなルールにする?」

「一日だけのルール?」とその子が聞くと、「いつもの学校をちょっとだけ変える小さな魔法みたいな感じかな」とその先生は言った。

その子は何日も考えて、こんなルールを作った。

今日一日は、「教室」に別な名前をつけて呼ぶ。いい名前を思いついたら、図書室にいる6年生に知らせる。

「教室に別な名前をつける。そんなこと考えたことなかったな」

その担任の先生は面白がって、「よし、やってみよう」と言った。

「やってみるって?」

「学校に小さな魔法をかけよう」

「一日だけルール」が玄関に貼り出されたその日も、その子は教室に入れず、図書室にいた。

1時間目と2時間目の間の休み時間。誰も図書室に来なかった。足音が近づくと、もしかしたら、誰かが「教室」の別な名前を思いついて知らせに来てくれたのではと本から顔を上げたけれど、足音は図書室を通り過ぎて行った。

2時間目と3時間目の間の長めの休み時間。本を借りに来る子は何人かいたけれど、誰も「図書室にいる6年生」に話しかけなかった。

わたしのことが他の子には見えていないのかもとその子は心配になった。毎日のように図書室にいるうちに、壁の一部みたいになじんでしまっているのかもしれない。

もしかしたらいろんな学年の子たちが自分を訪ねて来てくれるのではと膨らんでいた楽しい空想がしぼむと、さみしさが押し寄せた。

あんなルールを出したせいで、自分は誰にも相手にされない本当のひとりぼっちなんだと、知りたくなかったことを知ってしまった。

「教室に別な名前をつけるって、何それ?」

「あの図書室の6年生が考えたんでしょ?」

「友だちいないの、わかるー」

自分のことを噂している心ない会話を想像して、その子はへこんだ。

4時間目が終わって、今日はもう帰ろうと思った。これ以上学校にいて、来ない人を待ち続けるのは耐えられなかった。

図書室を出ようとしたとき、同じクラスの学級委員の女の子が入ってきた。銀のトレーに2人分の給食をのせて。

「今日、ここで食べていい? 一緒に」

学級委員の子が言った。

「いいけど」

学級委員の子と、その子は向かい合って給食を食べた。

「先生に言われたの?」

おそるおそる聞いてみると、

「これ、見てもらいたくて」

学級委員の子が封筒を差し出した。中に、文庫本ぐらいに小さく切った紙が何十枚か入っていた。

その一枚一枚に鉛筆で短い言葉が書かれていた。

《机といす置き場》

《休み時間になるとうるさくなる部屋》

《3階のろうかのつきあたり》

《給食を食べるところ》

《大人養成所》

《クラスルーム》

《修行部屋》

《トイレのとなり》

《先生劇場》

《四角い箱》

書かれていたのは、「教室」の別な名前だった。

《友だちに会う場所》

《6年集合場所》

《あと105日行けるところ》

「とりあえず、うちのクラスの分だけ。他は手分けして昼休みに集める」

学校の誰ともほとんど口をきいたことのなかった図書室の6年生は、「教室に別な名前をつけるとしたら?」の質問で、みんなとつながっていた。

その日、その子は、あきらめとさみしさのかわりに、学校中から集まったいくつもの名前をランドセルに入れて、うちに帰った。

次の日から、図書室ではなく教室に行った。

一日も早く卒業したかった学校が、一日でも長くいたい場所になった。

「一日だけのルールで学校に小さな魔法をかけたあの日から、その子の小学校生活が始まった。そのときの担任の先生が、今の校長先生」とケイコ先生が言った。

「その子はどうなったんですか」

「小学校の先生になったよ」

図書室の6年生だったケイコ先生は、そう言ってから続けた。

「あの『わたしの日』がなかったら、きっと、なってなかったね」

ぼくが当番の「6年生の日」当日。いつもの金曜日よりもさらに早く、家を出た。学校の玄関にランドセルの背中が集まっていた。ぼくが考えた「一日だけルール」が貼り出されているのを見ている。

今日一日、チャイムの音をチャルメラにする。チャルメラに隠された秘密に気づいたら、当番の6年生に知らせること。

「チャイムがチャルメラだって‼︎」

やった。ウケてる。

「チャルメラってなあに?」と聞いた1年生の女の子に、「おれも知らない」と4年生の男の子が答えている。「キャラメルの間違いじゃないかな」と言っているのは、5年生の男の子だ。

え? チャルメラ知らないの⁉︎

そこに始業10分前のチャイムが鳴る。今日のメロディはチャルメラだ。校長先生が音を探してくれた。友達にラッパで吹いてもらったらしい。

チャルメラが流れると、途端に「知ってる〜」「聞いたことある〜」と口々に声が上がった。

ぼくの学校では、一日に15回チャイムが鳴る。今日は15回チャルメラが鳴る。そのたびにあちこちの教室から笑い声が聞こえて、こだまするのを想像した。

6年生のぼくの教室を、いろんな学年の子が訪ねて来て、「チャルメラに隠された秘密」を聞かせてくれるのを想像した。

ぼくだったら、どんな推理をするだろう。

「学校のどこかにいる仲間との通信に使う暗号」
「ラーメンが給食に出ますようにというおまじない」
「ラーメンが好きな女の子に告白している」
「チャルメラを流すと、朝顔がよく育つ」
「チャルメラを聞くと、校長先生がヘビみたいに踊り出す」

もっとヘンテコなことを考える子がいっぱいいるはずだ。ぼくの学校は、ヘンテコに慣れているから。一番ヘンテコなことを考えるのは、校長先生かもしれない。

自分が考えたルールに、自分でワクワクしている。

「ぼくの日」は始まったばかりだ。

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コメント (4)
6年生の数だけ、ぼくらは小さな魔法をかけられ、一日限りの夢を見る。みんなで見る昼間の夢。


自分の提案をきちんと聞いてくれる大人(目上の人)がいて、みんなもそれを全肯定し共有もしてくれる…
いいなぁ…うらやましい…そんな学校(組織)のメンバーに私もなりたい!と思いました。
私だったら、どんなルールにするだろう…みんなでくだらない〜と笑いあえるのがいいなぁ…文末に「ぶん太郎…!」をつけるとか⁈
みんなで特別を笑いあいたいぶん太郎…!
ああ、今、私は「みんなで笑いあう」にすごく飢えているんだ…と、このコメントを書きながら気付きましたぶん太郎…!
こんにちは。またまた、声を押し殺して大笑いさせていただいたところがたくさんありました。カニ歩き!恥ずかしくて、ギャロップしちゃうような子もいるんじゃないでしょうか。
でも、そうしたら、きっとやり直しさせられてしまうのでしょうか。
殿の座を追われたでござると言うユーモアのある校長先生が、1日だけがいい、と言うのも意味深で現実に戻ってくる、はかないかなしみを覚えたりしました。
「じゃあ、チャルメラはどこから来たの?」
「なんとなく」
と言うところも、すごくいいなぁと思いました。
何かがそこにあるんですよね。自分ではつかみとれないのだけれど。
なんとなくのもの、って面白いものがたくさんあるような気がしました。
そうしているうちに、最後の図書室の子のお話のところではじーんとしてしまい、、、、
教室、、と言う名前も、確かにそろそろ呼び名、変えてもいいかもしれませんね。
そういえば、こちらではそう言う呼び名は全部クラス、としか言いません。
クラスの友達、体育館からクラスに戻る。場所もグループも同じ呼び方です。どうしても場所を示したいときは、このグループの「部屋」と言う呼び方で示します。
鏡心の短歌⭐︎麻千子さん

そうなんですよぶん太郎。
「もし自分が一日だけのルールを作るとしたら?」の妄想は、自分に足りないものを気づかせてくれるんですよぶん太郎。
ちなみに「今日一日は、言葉の最後に◯◯をつける」というルールを登場させようとして、気のきいたのを思いつかなかったんですが、「ぶん太郎」にすれば良かったぶん太郎。
使い方合っているのかぶん太郎。
Paprikachordさん
「はい」「いいえ」でくくれない「なんとなく」を受け止めてくれる(はっきりしなさい」と言わない)、言葉にすらできないモヤモヤをくみ取ってくれる先生がいること、とても大事だなと思っています。
話を聞いてくれる、自分を受け止めてくれる人がいるだけで自分を好きでいられる、と。

子ども心を忘れず、大人の寛容さを持った校長先生は、「こんな先生いたらいいな」です。

「クラス」が場所であり所属であり、というのは興味深いですが、ここだけを見ると日本的な発想(場所が所属も縛る)にも思え、何事も光の当て方で見え方が変わるなと感じています。

考えてみれば、教室なんてただの箱で、ろうかや校庭にとってかわられるし、リモートだと自宅が教室になるし、「動かないたしかなもの」から「可動式」になりつつある今、「図書室が教室」でも良いわけですね。
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