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企業がほしいのは「自律的人材」ではないという事実と、その理由

人事評価制度やマネジメント、採用などのお仕事をさせていただく際にほとんどの企業トップが共通しておっしゃることがあります。
それは、「自律的人材、自分の頭で考えて判断して動ける人間を増やしたい」ということです。
なお、本稿における「自律的人材」の定義は下記のように設定しておきます。

自律型人材=自分自身の価値観や信条・意思に基づいて、何をすべきかを考え判断・行動ができ、業務を主体的に遂行していける人材のこと。特に企業においては、上司からの指示を待つことなく自ら課題発見・解決に取り組むことができる人材を指す。

こんな夢のような人材が増えれば、企業自体も大きく成長していける…のではないか。しかし、私はこれはちょっと危ない言葉のように思います。危ないというか、それだけでは誤解を招く言葉なのではないかと思うのです。


日本における組織開発の沿革


今のように企業が自律型人材を求めることになった理由として、過去からの組織開発の歴史があることをまず押さえておきたいと思います。

日本における組織開発の沿革を見ると、1960年代にクルト・レヴインが提唱した「Tグループ」というグループ・コミュニケーションの理論が産業界に導入されたのがその最初期のものになります。アメリカで生まれたこの理論は西海岸でST(感受性訓練。周囲にいる人の気持ちや集団のダイナミズムを感じとり社会的感受性を高める訓練であり、受講者の主体性を尊重するもの)と紐付けられて実施されていたこともあり、日本ではしばらく組織開発=STとして理解されていました。1970年代初頭まではこの流れが続き、職場でグループワークを行う「ファミリートレーニング」などの技法が人気を博しました。

その後、1970年代後半からはQC運動やZD運動などの小規模な組織内の品質改善行動、現場改善を目的とした組織開発が開始されます。この手法は特に製造業で効果を発揮しました。製造工程の無駄を省き、欠格品を作らないような作業方法の見直しをし、あるいは会社の掲げるミッションに沿っているかどうかという観点から課題抽出する組織開発のありかたは、次第に企業の労働力、部品としての人材という視点を生み出すことになります。そのため、本来企業が収益構造改善を行う過程全般を指すはずの「リストラ」という言葉も整理解雇を意味するものになってしまったのです。
会社のボトルネックになっているもの、成長を阻害するもの、抽出された課題に対してどのようにそれを解消していくかという点に重きを置いた組織開発の方法を診断型組織開発といいますが、この流れは1980年代中盤、バブルの崩壊後、業績低迷に陥った企業の立て直し策として、より急激に推し進められました。人事評価制度でさかんに成果主義、能力・実力主義的な指標が導入されたのもこの頃です。
このような組織開発のあり方は短期的業績の回復には寄与しましたが、組織のソフト面の根幹であるべき人材や組織文化といったところを少しずつ損なっていきました。

その反省として今注目されているのが、対話型組織開発と呼ばれるものです。
診断型組織開発が「結果」を重視するものであるのに対し、対話型組織開発は「対話のプロセス=過程」を重視し、メンバーの主体的な変化を求めます。組織の中のメンバーはこの対話を通して問題点を自ら発見し、改善することを目指すのですが、そのためには「対話の質」が最も重要な要素になります。なぜかといえば、このアプローチではメンバー自身がその組織をどう意味づけし、現状の環境のなかでどこを課題として定義するのかという点が大切だからです。その過程において、組織のメンバーたちは組織文化を知り、自分ごととして内面化します。この組織開発のあり方は、そのような行動の中の過程を通じて有りたい組織に近づいていくことを目指しているのです。

しかし、そのためには自ら「語る」ことができる人材が必要です。
また、語りを集約し、一つの大きなストーリーに集約する事ができるリーダーがいなければ個別の小さな組織のイメージが散らばってしまいます。組織には、対話の中から導かれる本質を把握し、組織に定義づけて実質的に解決する存在が必要ーーなのですが、このような人材はやはりそんなに多くはおられない。さらに言えば対話をするだけですべての問題が解決するわけではもちろんなく、QC運動的なアプローチはやはり必要なのではないか、少なくともソフトとハード両面からのアプローチをしなければ組織は良いものにならないのではないかという現実が浮かび上がってきました。
つまり、診断型組織開発と対話型組織開発のハイブリットな実践が求められ、そして必要なのではないか、というところが2021年現在の日本の状況として言えるでしょう。

そもそも、なぜ企業トップは自律的人材を求めるのか


さて、それを踏まえて、そもそも論としてなぜ、いま企業は自律的人材を熱望しているのでしょう。
理由はいくつかありますが、大きなところでいうと下記のような理由によると考えます。
1)COVID-19を始めとした、先の見えない不確かな時代への変化の度合いが大きいから
2)特定のスキル・技能を軸とした専門職への需要が高く、その教育を社内では実施しきれないから
3)個々人のフレキシブルな働き方に法律が対応しきれていないから

これを順番に考えていきたいと思います。

1)COVID-19を始めとした、先の見えない不確かな時代への変化の度合いが大きいから

日本だけを限定的に考えても、この2020年‐2021年の2年間は非常に社会変化の大きい時期であったと思います。コロナ禍の影響はもとより、消費者のライフサイクルの変化、ITを始めとする技術の革新速度の速さは、過去と比較すると圧倒的に早くなっています。
(私の個人的感触だと、このドラステイックな変化速度は幕藩体制から明治維新を経て廃藩置県が行われるまでの感じと近いのではないかと思っています。でも明治維新だって大政奉還から廃藩置県までは4年かかっているわけで、今の世界で4年あればだいぶ技術革新が進んでいるんじゃないでしょうか。更に余談ですが、我が家に置いて私が最も頼りにしている1軍家電のルンバは2011年発売の700シリーズですが、その2年後に発売された800シリーズは700シリーズに比べ吸引力が5倍だそうで…買い替えたい…!!)

だからこそ、「今、何をすべきか」を自分で考えられる人材のほうが、変化に早く対応ができます。経営トップが考えて、発信して、部長がそれを元に自分の部署にあわせてブレイクダウンして、課長に課題として提案させて…という時間の流れでは、変化の早い社会情勢から出遅れていってしまうのです。

当然、企業トップから見ると、自律的人材が多いほうが自分で考えるべき脳のリソースの割当量が減りますし、そもそも指示を出す労力が減りますので、他に考えるべきことに注力できる。
したがって、自律的人材がほしい、という理屈になります。

2)特定のスキル・技能を軸とした専門職への需要が高く、その教育を社内では実施しきれないから

こちらについては、本質的には日本の企業が終身雇用を維持する組織体力がなくなってきているからだと私は考えています。

今までの雇用モデルはメンバーシップ型×終身雇用で、新卒で入ってきた無垢な人材を自社で高額な教育コストを掛けたとしても十分元が取れました。定年まで約20年ひとつの会社で働き続けてくれる人ばかりなら、教育に対して投下した費用は回収できるからです。更にメンバーシップ型であれば人材はどこにでも配置できるため、人の能力を高めることが会社の組織の能力を高めることに直結しました。出来る人の能力は部門を問わず発揮してもらえるので、非常に教育効率が良かった仕組みだと思います。
また、終身雇用を前提として教育プログラムを組んでいるので、ごく小さな会社にしても「あいつはもううちで5年働いてくれてるから、次のステップとして主任にあげよう。主任になったら原価計算の仕組みぐらいわかっててほしいから、今の主任から教えさせよう」くらいの教育は用意されている。

しかし、現在、大きな企業であればあるほど、終身雇用のモデルの維持は困難です。
2019年にトヨタ自動車という日本のトップメーカーの豊田社長が、日本自動車工業会の会見で「雇用を続ける企業などへのインセンティブがもう少し出てこないと、なかなか終身雇用を守っていくのは難しい局面に入ってきた」と述べたことはやはり衝撃ではありました。


これは実はトヨタ自動車がどうこうという話ではなくて、自動車メーカー一般の話ではありましたが、要するに日本の産業の一翼である自動車産業ですら終身雇用の維持、特に年功序列制度の維持(長く在籍した人全員に対し、インセンティブとしてポストと役員報酬を用意し続けること)は難しいということを顕にした発言であったと思います。

ということは、自社で教育を施してその費用を回収できない可能性が高い以上、企業としては「もうある程度育っている」人に対して追加の教育投資を行うか、「自分で自分のスキル・技能を育てられる人」を雇うか、という二者択一の選択が発生する。
その場合にも、やはり自律的に、自分で自分のスキル・技能を勉強してくれている人のほうがいいわけです。そのほうが社内で教育コストを掛けるにしても、報酬という形で社外から集めるにしても、費用対効果がいい。
育休中の社員がMBAをとったり、会社員が自ら英会話を学ぶなど業務に生かせる勉強をしていることを称揚する文脈というのもここから来ているのではないでしょうか。

3)個々人のフレキシブルな働き方に法律が対応しきれていないから

このコロナ禍で一気に広まったテレワーク・在宅勤務。
フレックスタイムや副業、パラレルワークといった企業と個人の間の働き方だけでなく、プラットフォームを介して個人同士のやりとりで仕事を請け負うような業務委託、業務請負の方式も増えてきました。
しかし、これらの働き方は少なくとも労基法制定時には想定されていませんでした。日本の労働法は1911年に制定された工場法を嚆矢とし、1947年に労働基準法が制定され、1987年にフレックスタイムなど労働時間に関する大きな改正が行われています。その後も断続的に改正は行われており、直近の2020年改正まで実に7回の改正がありましたが、法律は現実を追いかけて変わっており、多様な働き方のなかでどこからどこまでが労働者性を認められるのか、どこからどこまでが「雇用」でありそうではないのか、という事実認定が現行法ではまだ難しくなっているように感じます。


例えば、在宅勤務で8時間仕事する建前であつても、出社しているときのように8‐17時(休憩一時間)という働き方をしたり可能である環境の方もいれば、1日の中で任されている業務量を好きなときに集中的にやる、という方もおられるでしょう。子どもが小さかったり、介護する家族がいたりすれば後者の働き方のほうが労働者の利便性はいいわけですが、現行法は残念ながらそのような働き方を規定できておらず、便宜的に事業場外みなし労働時間制を利用したり、またはフレックスタイム制を導入したりするなどして対応されているのが現状です。

このような状況下では、出社しているときのように目の前に先輩や上司がいるということではないので、「相談する」「指示を出す」ということのコストやハードルがあがる可能性があります。例えば相談内容をテキスト化してチャットに入れて返信をまったり、送られてきた相談・指示内容を吟味して質問したりするなどの間にタイムラグが発生する(質問集中タイムを設けるなど工夫されているところもありますが、その場合はその時間まで待つことになる)わけです。
この時間的な差を埋めるために、ある程度は自分で現状の情報を元に判断・整理して動ける人材が必要と考えられている、と私は理解しています。

が。このように自律的人材が増えてきたとして、それで会社は本当にうまく回るのでしょうか?大きく成長していけるのでしょうか?

私は、残念ながらそうではないと思います。理由は2つあります。
1つ目は、自律的判断と企業の方向性・信念が異なっている場合があること。
2つ目は、自律的だからといって、本質的な課題発見・解決能力があるかどうかは別な話だからです。

自律的人材は、「自分の軸」で判断してしまうこともあるという問題

自律的人材の定義を冒頭でしましたが、自律とは自分で課題を発見し、自分の価値観、思想、考え方、経験をもとに判断を下して業務を遂行します。つまり、 ベースとして判断の軸になるのは自分です。ここが企業の掲げるパーパス、ミッション、社是・社訓と一致していなければ、自分で判断をしているだけ方向性にズレが生じてくる可能性は高いです。

これを防止するためには、企業トップが考えている「会社」というものの方向性、軸が組織の末端に至るまで浸透していなければなりません。自分の軸ではなく、組織の中に所属している人材である以上、「組織の軸で」仕事は行われるべきですが、この点が手薄な会社様も多いように見受けられます。

では、どうやってそれを浸透させていくか?

弊社は人事評価制度を用いてこの思想浸透をお手伝いしておりますが、企業トップが考えている「自社」と社員のみなさんが考えている「自社」のズレが多い企業ほど、自律人材の定義や扱いは難しいように感じています。
つまり、自律的人材を欲しがる、育てようとするのならば、その前にこのズレを解消しておくべきなのです。

自律的人材=本質的課題発見・解決能力をもっている人材ではない、という問題

2つ目の問題としては、自律的人材であるということと、問題の本質的把握能力や解決力、求められている仕事へのパフォーマンスが高いかどうかとううことはイコールではないということです。
これは全く別の問題で、自律的人材であることをスタイルとするなら、課題解決・把握・対応の能力はスキルの問題ということになります。

もちろん、自律的に考えていった結果、自律的スタイルの方がスキルを身に着けていく、能力として獲得することはあるでしょうが、これは同じものではありません。
クリティカル・シンキングやデザイン思考といった脳の働かせ方や7Sモデルのようなフレームワークの活用法はスキルとして身につけることが出来るものですので、他律的人材であったとしても習得は可能です。

ですが、私達は無意識にこれらのことを同一視してはいないでしょうか。

自律的であるならば、当然のこととして問題そのものの把握の仕方を間違えるはずがない。そんな思い込みをしているということはないでしょうか。

この対策としてはやはり教育しかないわけですが、会社の経費として行うか、または「自律的に」自分で自分にお金をかけて学んできてくれるのか、という点から見れば後者の人材のほうが会社にとってはありがたいわけで、その意味でも自律的人材(であり、問題解決能力も有する人材)を熱望する企業が後をたたないのは当然のことと言えます。

翻って、自分の職業人生において「自律的」に生きたいと思うとき、私達は2つの選択肢があることに気が付きます。

自律的に、組織の中で生きるか。
自律的に、組織の間を浮遊して生きるか。

この2つは両立しえます(後者が前者の枠組みで働くことはできる)が、前者は会社に雇用されているという身分があり、後者は自分を商材として就転職を繰り返すことになるため、身分の安定性は低いと言えるでしょう。
もっとも、前者であったとしても先の終身雇用に関する経済界の発言を考えると身分が安泰とは言えません。

私自身の価値観としては他律的人材として生きる道もあっていいと思いますが、上述した理由により、自律であろうと他律であろうと組織の中で生きていくのであれば組織文化の理解、パーパス・ミッションの理解と受容は今まで以上に必要なことになるのではないでしょうか。

2022年は、組織に属していくということの意味が、これからますます問われる時代になると思います。

企業トップは自分の考える自社のパーパスやミッション、社是をどのようにして社員に理解・受容・浸透させるか。
社員たちはそのことをどうやって自分ごとに取り込んで、組織内での自分の自律性を担保していくか。
しないのであればそのように自分のキャリア形成を行うのか。

個人と組織の関わり合い方が多様になった今だからこそ、必要な視点なのではないかと感じています。
そしてそのことに対する支援を行っていくことが、キャリコン社労士としての私の仕事であり、使命だと考えます。


#私の仕事

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