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ネット利用者の2%に過ぎないネトウヨの威力の「なぜ」

先日、出版編集者とのやりとりで「ネトウヨ」勢力の話題になった。「ネトウヨってわんさかいるイメージがあるけど実際はどうなんだろうね?」と。

たとえば、近著『ネット右翼とは何か』(樋口直人など著、青弓社)にその数字が出ている。ネット右翼の定義を「インターネットで右派的・排外的書き込みや情報の拡散を行う人」とする同書では、2017年実施の「市民の政治参加に関する世論調査」(東北大学・永吉希久子らによる)から、インターネット利用者に占めるネトウヨの割合を

1.5%

と提示した。また、この界隈の研究でよく目にする大阪大学・辻大介氏の調査(2014年実施「計量調査から見る『ネット右翼』のプロファイル」考察より)では

1.8%

という数字が出ていた。私も個人的に過去数年さまざまな調査を見てきたが、概ね2%前後(それより下回る見立てが多い傾向)だった。

「意外と少ないね」という印象を抱いた人も多いかもしれない。

東北大の調査によると、ネット利用者のうち「ネットで政治的な議論をする人」は20.2%程らしい。この割合を見た瞬間、私はパレートの法則(80:20の法則)を思い出した。「組織全体の利益の大部分は20%の人が出している」という経験則的なテーゼだ。仮にこれを「ガチ勢」と「ガチほど熱量がない勢」とで分けた場合、「ガチ勢」が20%となる。ネットで政治的な発言をする人が20.2%なので、(たまたまだと思うが)同法則に近似的なものを感じる。

ともあれネトウヨは希少である。そして恐らく、ネトウヨに反論している人も割と希少と思われる。昨年『ネトウヨとパヨク』(物江潤著、新潮新書)という書籍を読んだが、やり合いを繰り広げているネトウヨの相手≒「パヨク」は定義が難しく裾野も幅広い。ネトウヨに絡む人は皆「パヨク」とも呼べてしまう。だが、パヨクが何であれ、激論をかます人は極々少数と見て間違いない。

そう、口角泡を飛ばして政治を語る人は、実は超マイノリティなのだ。

そして残念なことに、彼らの“喧嘩”の「語法」はタコツボ化している。端的に、その語法は共感されていない。

ただ厄介なのは「彼らが語るテーマ」だ。もちろんそれは「政治」で、下品さをたたえた「語法」を取り払った先の「議題=政治」そのものは「共感フック」を多数持っている。私たちの生活に地続きだからだ。なので、ネトウヨ・非ネトウヨに限らず、彼らの意見そのものは、読み手がもつ「支持/不支持」への反応欲求を喚起する。Twitterなどで読者に「リツイートしたい」と思わせる力がある。たとえ界隈への関心が、うっすーい人にとっても。ウヨ思想の拡散を目的としない人にとっても。

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ネトウヨはなぜたくさんいるように見えるのか

以下「人数の割にネトウヨが目立つ」理由を少し書く。

先に確認。日本人は実は、政治に無関心なわけではない(そう簡単には言えない)。

先般発表された平成30年度「我が国と諸外国の若者の意識に関する調査」(内閣府調べ)を見ると、「今の自国の政治にどのくらい関心がありますか」の設問に対し、「非常に関心がある」「どちらかというと関心がある」と答えた人は43.5%だった。これは諸外国に比して「やや低め」といった感じである。ちなみに5年前の同設問では50.1%という「特段、低いともいえない」数字が出ていた。

加えて、同調査の「社会をよりよくするため、私は社会における問題の解決に関与したい」という設問には42.2%の人が「そう思う」と回答した。

日本人も(若者も)それなりに政治に関心があり、社会問題に関与したいと思っているのだ。

ところが、「積極的に政策決定に参加したい」(これも同じ調査による)という意思を問うと、途端に「そう思う」が33.2%にまで下がり、諸外国に比して「相当低い」レベルになってしまう。「政策や制度については専門家の間で議論して決定するのが良い」との設問では、「そう思う」はたった7.8%(「どちらかといえばそう思う」と合わせても38.8%)で、ここまでくると諸国とは比べものにならない低さになる。

これらの結果から窺えるのは

「関心はあるし、関与したいとも思うけれど、行動まではいかない」という日本人の(若者の)多さである。また、もし仮に上記の「専門家」に政治家も含まれるのなら、それはそのまま「政治不信」の表出とも受け取れる。ならば、それが「国政選挙で過半数が投票に行かない」という現況につながっているとも解釈できる。「関心はあるけど、任せても、ねぇ」といった感じで、だ。

投票行動を通じて自治を代表者に委任する行為は、割と「重い」。だから「動く」までには至らない。でも、気軽に手軽にコミットできる手段があるのなら「それは使いたい」と考える人は、たぶん多い。

だとすると、だ。

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その人たちは「支持/不支持」への反応欲求を持っている(確率が高い)と考えられるので、もし仮に自分と似たような主張を(Twitterなどの)手軽な手段を通じて目にしたら、RT・シェアで関わろうとするかもしれない。ネトウヨの言説にだって「語法には共感できないが意見には同意」くらいの意識で反応したくなるだろう。

ネトウヨの意見は、そういった人々の意思表示のきっかけになる。特に、ネトウヨとパヨクが罵り合いを始める「前段階」の、オーガニックなネトウヨのツイートは「穏健に見える」ことが結構あるので、RTされやすい。加えて、その後もし誰かとの喧嘩が始まったり、筆が滑って過激な言葉を発したら、それもまた炎上要件になり得るので、広まりやすい。

こうしてネトウヨの意見がネット界隈で「拡大視」される。

「自分が投票したって政治・社会は変わらない」という意識から脱していくには

先に、「今の自国の政治にどのくらい関心がありますか」の設問に「関心がある」と答えた日本人が50.1%だったという過去の話をした。ちなみに例えば、同時期の同じ問いに対し「関心がある」と答えたスウェーデン人は46.4%だった。これは日本人より「低い」数字である。

ところが話題を「関心」から「投票率」に移すと状況は一変する。

スウェーデンの国政選挙(2014年)における30歳未満の若年層投票率は何と

81.3%

だった。

……もう一度言う。

81.3」%

である。

時を同じくして日本では衆議院議員選挙があった。若年層投票率はどれくらいかというと

32.6」%

だった(参考記事は末尾に)。

「政治に関心はあるけれど投票には行かない」という日本人の態度の広さというか奥ゆきを感じてしまうのは私だけだろうか。

これは、政治学者・鈴木賢志氏が指摘しているように、諸外国に比べて「自分が投票したって、政治・社会は変わらない」と日本人が思いがちな、その心象の現れだと思う。

だから――。もし政治にコミットして何らかの意思を政策に反映しようと思うなら、まずは「こうやって関われば政治・社会は変わるよ」という信憑を作ることから始める必要がある。そして、それを共有する必要がある。

もちろん、信用されていない政治家の「信用回復」と同時並行で。

「信憑」生成には色々な方法が考えられる。SNSもそうだし、デモも「大規模であれば」向くかもしれない。しかしダントツで大事なのは、(これはよく言われることだし、実践的にはつらい現実だが)草の根の語らいである。それは前稿でも書いた「カフェでのお喋り」的なもので、政治思想家アレクシ・ド・トクヴィルが語った以下の信念にもよる。

「感情と思想があらたまり、心が広がり、人間精神が発展するのは、すべて人々相互の働きかけによってのみ起こる」(『アメリカのデモクラシー』松本礼二訳、岩波書店)

一対一に基礎を置くくらいの地道な活動を継続的に。これは堅持したいところだ。世界で成功しているデモのほぼ全ては草の根運動の派生で、デモが大規模になる民意が「既にあった」ことが勝因なのだから。


参考[日本の子供はバカにされている。若者の投票率が低い理由をスウェーデンと比較してわかったこと。]
https://www.huffingtonpost.jp/entry/young-generation_jp_5c5a5125e4b012928a3017b0

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