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心の正常はある日突然「異常」になる|連載『「ちょうどいい加減」で生きる。』うつ病体験記

本文中に、うつの症状に関する記述があります。そうした内容により、精神的なストレスを感じられる方がいらっしゃる可能性もありますので、ご無理のない範囲でお読みいただくよう宜しくお願い致します。

忘れもしません。私が初めて不調を感じたのは2004年、23歳になったばかりの秋でした。当時わたしは、新聞記者をしながら、国際人道支援などを手がけるNGO等とともにさまざまな活動に参加していました。また、多種多様な方々の相談に乗る「人生相談室」もウェブとリアルで開いていました。毎日が充実していたのをよく覚えています。

ある日突然、不調に襲われる

ところが、です。NGOの打ち合わせに参加するため、車で会場に向かっていたある日のこと。私は会議でプレゼンをすることになっていたのですが、急に不安にかられました。胸が圧迫される感じがして、呼吸も荒くなっていきました。手足もわずかにしびれています。私は慌てて路肩に車を停めました。同乗していた先輩が思わず身を乗り出して語りかけてきます。

「なんだ正木、不安そうな顔をしてるぞ」
「あ、いえ、なんだろうな。胸に圧迫感みたいなものを感じてます」
「何? これからのプレゼンで緊張してるってこと?」
「そうかもしれません」
「なっさけねぇなあ。今回のプレゼン程度でビビってんじゃねぇよ」
「すみません」
「臆病な心がでてるんだろ。気合い出せよ。プレゼン無しとか、あり得ないからな。運転しろ。間に合わなくなるぞ」

こののち、私がNGOに顔を出せなくなるのに時間はかかりませんでした。まず、人と話すのが億劫(おっくう)になりました。億劫というより怖いと言った方が正確でしょうか。たとえば「自分の発言で誰かに嫌われるかもしれない」「俺の話で場がシラけたらどうしよう」「何の腹案もなしに会議に参加して信頼を失ったら……」などと、いろいろに想像しては恐怖しました。

そして、やがて胸の圧迫感が動悸に変わります。かかってくる電話にも、ビクッと反応して通話ができません。人から注目されるのも地獄です。電車にも乗れなくなりました。不安と恐怖で押しつぶされそうになるからです。そのため、NGOの活動は休ませてもらうことにしました。

胸の圧迫感が動悸に。不安と恐怖にとらわれ


困ったのは仕事です。自宅から勤め先までは40分の電車通勤を必要としましたが、その電車に乗れないのです。そもそも、それまでの間に職場でも不調をきたしていたので、上司などからは怪訝な顔をされていました。ケアレスミスがつづきましたし、記憶違いで指示通りに動けないこともしばしば。また、会議でトンチンカンなことをつぶやくこともありました。パソコンに向かっていても仕事はまるで進みません。緊張状態がつづきました。

ある朝、さすがに職場に行くのが億劫(怖)すぎたので、私は上司に相談をしました。

「今日、休ませていただけませんか」
「なんだ、最近調子が悪そうだが、病気か何かか」
「わかりません。熱も痛みもありませんが、何となく不安なんです」
「何? 不安? 心の問題なのか?」
「わかりません」
「心なんて、気合いだ。早く出勤しろ」
「それが、電車に乗れないんです。どうしても」
「じゃあ歩いて来い」

取りつく島もないとはこのことです。歩いて職場まで行くのはさすがに……と思った私は、電車に乗って会社に向かいました。しかし、毎日朝起きると、やはり何もかもが億劫です。電車にまた乗らなければならないのか、と悲壮感にも襲われました。這いつくばるようにしての通勤です。数日で限界がきました。私は電車のなかで卒倒し、嘔吐してしまいました。駅員室から、病院へ。そのことを職場に報告すると、「しっかり診てもらいなさい」との指示が返ってきました。

電車で卒倒。病院へ。診断は……?

ところが、内科の医師は首をかしげます。「異常は見られませんね……」。血液検査や尿検査、エックス線? 検査など、その場でしてもらえる検査はことごとくしましたが、やはり不自然なところはありません。私は、戸惑いと落胆の感情を抱きました。個人的には若年性健忘症(記憶障害の一種)を疑っていましたが、医師は「そんなことはない」と言います。また、これは不思議なのですが、病院にいる時の私はわりと正常で、不調が前面に出てきませんでした。ですから、医師からみて異常があるように見えなかったのかもしれません。

以後、私は、不調で倒れては診察、倒れては診察を繰り返しました。さまざまな科をまわりました。そしてそのうちに担当医師からこう告げられます。

「これは、精神の方かもしれませんね」

そう聞いて、私は顔を上げました。

「心療内科に話を通しましょう。紹介状は書きます。一度、診てもらった方がいい」

唖然とする私を横目に、医師はカルテらしきものに走り書きをするため筆を執りました。

心療内科を勧められる

心療内科……?

なんだか恐ろしい世界に飛び込むような気がしました。心療内科が厚生省(当時)に標榜科として認めらたのは1996年です。歴史のきわめて浅い科なのです。とはいえ、私は、自身が開いていた「人生相談室」で精神疾患をもつ人の相談にたくさん乗ってきました。病気であること自体に特段の偏見があるという自覚はありません。むしろそういう"世界"のことは"わかっている"という気すらしていました。それなのに、自身が精神疾患を患うことは想像だにしていませんでした。なぜなら

「自分だけは病気にならない」

とどこかで確信していたからです。いつも明るく元気で自信に満ちていた自分がうつ病にかかるとは思えなかったのです。そんな気持ちでいたにもかかわらず、よく平気な顔をしてうつ病の人たちの相談に乗っていたなと、今から考えるとゾッとします。

おそらくですが、私はうつ病当事者の相談に乗りつつ、対岸の火事を見るようにしていたのです。病は大変だ。苦しみには寄り添おう。でも、自分が病にかかることはない、と。要は「自分ごと」として病気を受け止めていなかったのです。何なら「精神疾患にかかる人は何か問題を抱えている人なのだ」と思っていたのかもしれません。うつは心の弱い人がなるものだ、とかね……。

ひどい偏見です。ですが、当時の私は「自分にはそんな偏見はないだろう」と思いこんでいました。まさに自身が当事者になるまで、その偏見に気がつかなかった――この経験をとおして、うつ病が「理解されにくい病気」だと言われるゆえんを思い知った気がします。

私は、自分の足に妙な重さを感じました。その足を引きずって、私は恐る恐る、心療内科の門をたたきました。

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