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りあるマザーファッカーの告白

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”りある”マザーファッカー★ノンフィクション★アルコール依存症克服【出生】1977 年新宿【教育】歌舞伎町・都営団地【中毒経験】アルコール(寛解※通院中)・軽ドラッグ(寛解)・ギ…
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#ノンフィクション

カット・タン・マイセルフ(B)

激アツなオートミール 人間ドッグで着るようなお召し物に着替えさせられ、集合部屋に入れられた。 ひたすら泣いている人、 誰もいないのに必死に話している人、 絵をずっと描いている人、 家族がお見舞いに来て嬉しがっている人、 入ってすぐに、ある男がオレのもとにきた。 絵を見せてくる。 どうやら衛生を通じて誰かと話しているらしく、 テレパシーとか、暗号とか、 一生懸命オレに説明をしてくれた。 彼は大真面目だ。 オレも大真面目に聞いた。 自分も描きそうな絵もあ

死のうと思い、舌を3センチぐらい根元から切りました(C)

高いところから飛び降りる それしかないと決断するが、土地勘がないので、 バンクーバーで1番高いタワーに登った。 お金を払って登った。 強化ガラスを硬いもので割り、飛び降りようと。 そんな事ふつうに考えればできるわけないのにぶっ壊れている脳が指令を出し、 タワーに登った。 混んではいなかったが、適度にお客さんもいた。 何かやらかせば大騒ぎになる。 タワー全体をガラスが取り囲んでいるが割るものもなければ、割ろうとしても割れそうなガラスは存在しなかった。 高層の

死のうと思い、舌を3センチぐらい根元から切りました(B)

主張をできる人できない人・比べる人、比べない人 危険な環境が好きな割には、そんな振り切れた悪をやってきたわけでもなく、世間で有名になるぐらいの武勇伝を持っているわけでもないが、この頃までは、誰が来ても、どんな状況に置かれても、自分だけは生き延びて、その経験を糧にもっとさらに大きな刺激を求めて生きていくんだろうと思っていた。 最近までそんな感じだったので、失敗も多くあり、痛い思いも、恥ずかしい思いもしてきたのだ。 そういう思考に至った原因は、幼年期の環境と逆境体験が大きく

死のうと思い、舌を3センチぐらい根元から切りました(A)

ソーソーなバンクーバーに到着2005年5月。27歳。 タトゥーを生涯の仕事にしようと動き出していた時、カナダのバンクーバーに向かった。 1人で向かった。 ひとり旅はアムステルダム以来で、とにかく何か違う自分になりたいという想いと、カナダのWEED文化にも興味があった。 昔の話だ。今は全く興味がない。 当時は、むしろ後者の方が興味があったのかもしれない。文化に興味があった。 ネットで調べ上げ、合法非合法で闘っているショップが一件あって、そこではネタも普通に買えるし、

人生で一度だけビビったこと

大久保ばあちゃん大久保ばあちゃんから電話が入った。 「まーくん助けて。。。じいちゃんが怖くて。。。来てくれる、、、?」 大久保ばあちゃんが泣き言を言うのは珍しく、 というより初めて聞いたかもしれない。 大久保ばあちゃんは、その名の通り、自分がばあちゃんを認識した時、 大久保に住んでいて、それで名付けた名前だと記憶している。 一番古い記憶の中では、 百人町にある少し築年数のいった白いマンションに住んでいた。 その部屋にもお決まりのように重厚感のあるしっかりとし

テキ屋家業

引っ越し小学校5年生の5月頃、念願の都営住宅に当選し、 戸山ハイツ33号棟の最上階14階に引越した。 眺めは最高だ 小学5年生の5月ごろ。 丁度、西向天神のお祭りと引越し日がぶつかって、新居で荷ほどきをしている父親にどうしても祭りに行きたいと伝えた。 大した荷物の量もないのだが時間に追われながら淡々と作業をこなしている不機嫌で余裕のない父親に何度も交渉した。 そして渋々了承した父親にいただいた1000円を握りしめ、少し歩けば歌舞伎町という立地に立つ小学校近くの

腐った死体<母親>が死んだ

給食後、担任から告げられたアッパーカット病院に運ばれてから、母親のもとへ行きたがらなかった父親も病院に向かったみたいだ。オレが学校に行ってからだったのか、その前に出ていたか、覚えていない。 オレは救急車で運ばれた次の日も普通に学校に行った。 学校では普通に過ごし、普通に給食を食べ、 20分間の昼休みに外に遊びに行こうと思っていたら、 教卓から担任に呼び止められた。 深妙な顔を浮かべて話し出した女性担任は、 オレに向かって驚くことを言い放った。 お母さん、亡くなら

腐った死体は仲間を呼んだが現れなかった

限界 両親はアルコール依存症との戦いの末に、オレの環境を重視して父親が離婚を切り出し、それに母親が応じる形ですんなり離婚が成立した。離婚はしたが自宅近所に部屋を借りた母親は、少しでもオレに会いたいと思っていたに違いない。 このコラムは、ある荒廃した家庭に挑んだ、1人の青年の記録である。新宿に生まれ育った無垢な小学生時代に、アルコール依存症とバイセクシャルという特異な両親に囲まれ、酩酊した母親と強制的に初体験をさせられ、その後30年近くに渡り自身もアルコール依存症に苦しみ、

腐った死体が現れた

母親が体育の時間に突然現れた。 校庭で薄汚れた日常を忘れてスポーツ万能少年が躍動的に運動している時に。 何らかの理由で授業参観に出られなかった母親をオレが学校で1番輝いている体育の時間に呼んでくれた。 気を利かせてくれた担任の計らいだったが、戸惑いと羞恥が襲ってきてかなり混乱した。 とにかく母親をなるべくみんなに見せたくなかった。 このコラムは、ある荒廃した家庭に挑んだ、1人の青年の記録である。新宿に生まれ育った無垢な小学生時代に、アルコール依存症とバイセクシ

まんびき団【中学生編(A)】

無敵のジャンパー 授業と授業の合間、黒板にリアルでグロいナニの絵を枠からはみ出すぐらい大きく描き、女子の目線をかっさらう友人は<無敵のジャンパー>で狙った獲物を逃さなかった。 漫画レイプマン(今では考えられないタイトル)が大好きな<カラテマン>はエロに対してオープンだった。小学校の時、エロ要素をひた隠しにしてきた自分にとっては衝撃的で、新鮮で、とにかく誰も傷つけない笑いが大好きだった。オレはやっちまっているし、ひたすらしごきまくっている時期だったが、ムッツリではないエロ

まんびき団【小学生編】

大昔、大好きだった志村けんが 「抜弁天」「抜弁天」「ぬけべんてん」 とテレビで音の響きを楽しんでいた。 エロい響きなのか、行きつけの店があったのか、女がいたのか。 どうなのか。色々想像できる。 志村けんは当時オレの中の神様だった。 ※正式名称は「厳嶋神社」であるが、苦難を切り抜けたと云う由来や、参道が南北に通り抜けできる事から、古くから「抜弁天(ぬけべんてん)」と呼ばれ親しまれている。江戸時代には江戸六弁天の一社に数えられ、現在は新宿山ノ手七福神の弁財天を担う。近

悪魔再降臨

入院 母親は、オレが小学校3、4年ぐらいの時に女子医大に入院した。 たぶん入院した時は母親の病気は前向きに捉えていた時期だから、3年生ぐらいだと思う。色々調べれば正確な時期はわかるが、頭の中には残っていない。たしかあの担任の先生時だったと思うぐらいの記憶だ。 (これまで書いてきた出来事との前後関係は覚えていない。) 父親の苦肉の策だった。 母親を説得し、納得させた上で前向きに病気に向き合った。 少なくともオレと父親は心底向かい合った。 母親も瞬間的にだが今後の人

りあるマザーファック(F)

あの睨まれた朝から 台所の母親の睨み(にらみ)。 これはかなりダメージがあった。 何が正しいのか、何がダメなのか、何をすればよいのか、 完全にわからなくなった。 小学生にして社会不適合者のできあがりだ。 オレに向けた目つき。 一般社会と隔絶するような母親の睨みは、 母親不信に変わった。 植え付けられたのは恐怖というより不信だった。 だが99%不信に思っていたオレは、 自分の挿入勧誘で開始することになる。 4回目の話。 もう一度やりたいと思ってしまっ

りあるマザーファック(E)

こういう下世話な身の上話を展開する事自体全然問題なく、大したことはない。とっくに乗り越えたし、とっくに消化していると思っていたが、数日間完全に精神がぶれている。ある方に言われた症状がそのまま出ている。だが、今まで乗り越えてきた諸々の経験と自分がしっかり見据えるビジョンのために今日も書くことにした。不思議と書いている最中は落ち着いている。 2回目マザーファックの次の朝。 悪いことをしているのか、していないのか、わからない。 完全にはわからない。 でも、やっぱり友達には言