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カット・タン・マイセルフ(B)


激アツなオートミール


人間ドッグで着るようなお召し物に着替えさせられ、集合部屋に入れられた。


ひたすら泣いている人、

誰もいないのに必死に話している人、

絵をずっと描いている人、

家族がお見舞いに来て嬉しがっている人、


入ってすぐに、ある男がオレのもとにきた。

絵を見せてくる。

どうやら衛生を通じて誰かと話しているらしく、

テレパシーとか、暗号とか、

一生懸命オレに説明をしてくれた。

彼は大真面目だ。

オレも大真面目に聞いた。

自分も描きそうな絵もあって、その絵には絵心もあって。

なんとなくわかる気がして。


少しすると、看護師さんらしき人が来て、

口腔内の様子見と、薬などを出してくれた。


その後は食事だ。

アッツアッツのオートミールが出た。

激痛。

激痛。

の繰り返し。


舌を切った断面がむき出しになっているから、

当然触れれば痛いが、

痛み止めを絶対にもられていたので、

多少の傷みには耐えることができた。

だが、アッツアツのオートミールは口に運ぶ度に、

痛恨の一撃をくらう。


アレはやばかった。


だけど、お腹がすくから残さずに食べた。

味はそんなに悪くなかった。


あなたはまだ帰れない。そして妻が来た。


看護師さんやスタッフと


「もう帰りたい」「Sorry,,,」

「舌はなくなった。それでもいいから帰してくれ」「Sorry,,,」

「手術で舌はまた元通りになるか?」「NO,,,」

「妻に連絡をしてくれ。ドクターなんだ」「We already called,,,」


みたいなやり取りをしていた。


時には目の前に電話があったから電話帳で日本人の名前を見つけ、そこに電話して帰れないから帰れるように病院に説明してくれと頼んだこともあった。

一度、親切な日本人のおばちゃんが対応してくれた。

病院のスタッフとしっかり話をしてくれたが、

「あたなはまだ帰れないんだって、、、力になれなくてごめんね。。。」

と返答がきて落胆した。

(あの時の日本人女性の方、丁寧に親切に、、、ありがとうございます。)


電話はもうしなくなった。


時間は過ぎるが何も進展しない不安はずっとある。

たまに来る看護師さんと話すぐらいで、あとは何もやることがない。

でも薬の効果か、気分の落ち込みもそこまでなく、

なんとなく過ごしていた。


ある日、

偉いであろう病院の先生と、

その他、通訳、書記、

自分の状態に興味がある医師やスタッフなど10人ぐらいに取り囲まれて、

個室で問診?面談?

なんて説明されたかわからないが、

取り調べのような感じでバンクーバー旅行の一部始終を話した。


不安だったが、自分がどういう状態であるか説明するチャンスだったし、

オレはもう大丈夫と言いたかった。


だが、帰してはもらえなかった。


日本人通訳さんと話せたことは嬉しかったし、

意思疎通がしっかりできることは幸せな事だと痛感した。



気が付いたら1週間ぐらい経っていただろうか、

出産間際の妻が病室に現れた。


妊娠8ヶ月、気圧の変化が激しい飛行機に乗ってはいけない時期だ。

だが理解してくれる人が現れ、正直ホッとした。


全てに感謝した。




苦しんでいる人に向けて多くのメッセージを届けたい。とりあえず、これから人前で話す活動をしていきます。今後の活動を見守ってください(^^)