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腐った死体が現れた
母親が体育の時間に突然現れた。
校庭で薄汚れた日常を忘れてスポーツ万能少年が躍動的に運動している時に。
何らかの理由で授業参観に出られなかった母親をオレが学校で1番輝いている体育の時間に呼んでくれた。
気を利かせてくれた担任の計らいだったが、戸惑いと羞恥が襲ってきてかなり混乱した。
とにかく母親をなるべくみんなに見せたくなかった。
このコラムは、ある荒廃した家庭に挑んだ、1人の青年の記録である。新宿に生まれ育った無垢な小学生時代に、アルコール依存症とバイセクシャルという特異な両親に囲まれ、酩酊した母親と強制的に初体験をさせられ、その後30年近くに渡り自身もアルコール依存症に苦しみ、その中で設けた我が子との絆を通じ、寛解するまでと、その原動力となった信頼と愛を余すところなく完全実話で書き下ろしたものである。
友達の家族の母親の年齢より10ほど歳をとっているし、アルコールの影響で肌ツヤも良くなく、少し笑えば歯もまばらに生えていることがバレる。
ドラクエのモンスターで例えれば、
腐った死体。
ゴメン、お母さん。
でも、そんな感じだ。
美容院なんて定期的に行っている感じもなく、黒か紫のゴム1つでミドルの黒髪を後ろで雑にまとめていた。
どう考えても外見もライフスタイルも自慢できるものではない。
若い時は美人でモテていたと周りの人が言っていて、その面影も少しあるのはわかるが、酒に心身共にやられてしまっている母親は、拉致監禁放置プレイしたいぐらい外に出てきて欲しくなかった。
申し訳なさそうに校庭に入り、申し訳なさそうに授業の様子を見ていた。
何に対して申し訳なく思っていたのかはわからないが。
今でも忘れない。
おそらく母親も1番大変な時だ。
生きる事、明日の自分に怯えていたと思う。
母親の現状を父親が担任に話していたのかわからないが、気を遣ってくれたのは確かだ。
元気に学校で過ごす子供を見せてくれた担任。
感謝の念もあるが、どことなくヨソヨソしく、どことなく哀れんでいるようにも感じていた。
その優しさのような哀れむような段取りに想像力が働いてしまう。
きっとそうなんだろうなって、
国語の教科書とは違う大人の気遣い物語を頭で作り上げていた。
水沢全は逃げ出した。しかし、回り込まれてしまった。
永遠に逃げ出せないで、このままオレは毒に侵されて精神を腐らせていくんだろうと思っていた。いや、そんな事思ってない。
ただただ恥ずかしかった。
水沢全は逃げ出した。しかし、回り込まれてしまった。。。
<写真>昭和54,55年頃・母親とス○ローのママ・横浜マリンタワーにて。
苦しんでいる人に向けて多くのメッセージを届けたい。とりあえず、これから人前で話す活動をしていきます。今後の活動を見守ってください(^^)