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りあるマザーファック(E)


こういう下世話な身の上話を展開する事自体全然問題なく、大したことはない。とっくに乗り越えたし、とっくに消化していると思っていたが、数日間完全に精神がぶれている。ある方に言われた症状がそのまま出ている。だが、今まで乗り越えてきた諸々の経験と自分がしっかり見据えるビジョンのために今日も書くことにした。不思議と書いている最中は落ち着いている。


2回目マザーファックの次の朝。


悪いことをしているのか、していないのか、わからない。

完全にはわからない。

でも、やっぱり友達には言えない。

不安は消えなかった。

母親との悪戯<タイマン>の数々はそれだけではないし、

全部、母親のアレコレを口外できない。

ランドセルが似合わないことをしてしまったことは確かだ。


だけど家族の中では言って良いのか悪いのか。

わからない。たぶんダメだ。

ダメなことを母親はオレにしたのか。

母親には話して良い??

当事者だけど、そういう事は話しちゃいけないのか??

。。。。。。


いろいろ考えて昨日の性的虐待話をオレは父親の前で堂々と話そうとしていた。

だけど話せない。


と思いながら歯磨きをしに台所へ向かった。

そこに母親が近づいてきたから思わず、


「またしようね。昨日やったやつ」


と言ってしまった。にこやかに。

父親は数メートル先でタバコを吸って座っていたと思う。

だが父親には聞こえなかったと思う。

その後、何も聞いてこなかったから。


「またしようね。昨日やったやつ」


それを聞いた時の母親の顔を今でも忘れられずにいる。

言った瞬間、見たこともない形相でニラマレタ。。。

完全に虐待の目だ。

オメー言ったらぶっ殺すぞ!!!!!!!!!!

という目だ。


心の底から怖いと思った母親の目つきを受け止められず、

目をそらし、無言でうがいをして学校に向かった。


何事もなかったように。


誰にも言えない。

そんな事。

相談できないし、相談するものでもないと思っていた。

当時のオレの知識の中では、相談窓口なんてどこにもなかった。

あったとしても言えなかった絶対に。羞恥、恐怖、意味不明。

そしてアルコール依存症を抱える家族特有の秘密保持があるからだ。

まともに母親のことは家以外で話せなかった。

しんどい。


だけど、3回目、オレは母親が寝ている身体を触り、続きをしようと試みた。

はず。。。記憶が曖昧だ。だけど、オレから仕掛けたのは間違いない。

りあるマザーファック(F)につづく

<写真>昭和52年渋谷区病院にて














苦しんでいる人に向けて多くのメッセージを届けたい。とりあえず、これから人前で話す活動をしていきます。今後の活動を見守ってください(^^)