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りあるマザーファック(F)
あの睨まれた朝から
台所の母親の睨み(にらみ)。
これはかなりダメージがあった。
何が正しいのか、何がダメなのか、何をすればよいのか、
完全にわからなくなった。
小学生にして社会不適合者のできあがりだ。
オレに向けた目つき。
一般社会と隔絶するような母親の睨みは、
母親不信に変わった。
植え付けられたのは恐怖というより不信だった。
だが99%不信に思っていたオレは、
自分の挿入勧誘で開始することになる。
4回目の話。
もう一度やりたいと思ってしまっていた自分がいた。
あの睨まれた朝から、入れようとするまで、
どういう気持ちがオレの中を流れて4回目に至ったのかわからないが、
寝ている母親にかぶさって入れようとした。
仰向けの母親にかぶさった。
その行動に気付いてはいたが寝たふりをしていたのかわからないが、
残っている記憶では寝ていた。
細かいことは覚えていない。
どうにかミッションを遂行しようとしたが、
自分のソレは母親のソレにたどり着くことができなかった。
もっと脚を開かないといけなかったのか、
しっかり服を脱がさなければいけなかったのか、
正しいやり方をオレは知らなかった。
エロ本からの情報をその当時のオレは活かしきれていなかったと思う。
本能と母親の手引でやっていたに違いない。
だが、母親の反応は全く無かった。
オレの失言を恐れたのか、我に返ったのか、今更の罪悪感なのか、
今でもよくわからない。。。。
悪戯の全てを背負った感じ
「〜〜〜ちゃん、あそぼー」
どのタイミングで来たかわからないが、
母親といる部屋のすりガラスの窓奥(2階の住人の部屋に上がる階段から)から友達の声が聞こえた。
近くに住んでいる友達が遊びに来た。
頑張っている最中に。
オレは用事を済ませたらすぐに出るから、
公園か、神社か、家で待っててと言ったか覚えていないが、
その場をやり過ごすため、
窓を開けないまま友達を一度追い払っている。
人間の欲求はすごいと思う。
そして再度挑戦したはず。
だけどダメだった。
そういう一連のやり取りをやらなくて良かったと思えたのは中学1年で彼女ができた時。それまではアレが何だったのか受け止めることができずにいた。
それより何より、最後に母親はオレを拒否したと思っている。
手引をし、3回も性的虐待をしたのに、
4回目は無視した。
残りの1%の不信が加わった。
完全に理解不能な母親に成り果てた。
オレだけが悪戯の全てを背負った感じがした。
オレはワルにされて、母親は逃げた。
そんな感じだった。
<写真>昭和53,54年頃・場所不明
苦しんでいる人に向けて多くのメッセージを届けたい。とりあえず、これから人前で話す活動をしていきます。今後の活動を見守ってください(^^)