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りあるマザーファッカーの告白

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”りある”マザーファッカー★ノンフィクション★アルコール依存症克服【出生】1977 年新宿【教育】歌舞伎町・都営団地【中毒経験】アルコール(寛解※通院中)・軽ドラッグ(寛解)・ギ…
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#歌舞伎町

人生で一度だけビビったこと

大久保ばあちゃん大久保ばあちゃんから電話が入った。 「まーくん助けて。。。じいちゃんが怖くて。。。来てくれる、、、?」 大久保ばあちゃんが泣き言を言うのは珍しく、 というより初めて聞いたかもしれない。 大久保ばあちゃんは、その名の通り、自分がばあちゃんを認識した時、 大久保に住んでいて、それで名付けた名前だと記憶している。 一番古い記憶の中では、 百人町にある少し築年数のいった白いマンションに住んでいた。 その部屋にもお決まりのように重厚感のあるしっかりとし

テキ屋家業

引っ越し小学校5年生の5月頃、念願の都営住宅に当選し、 戸山ハイツ33号棟の最上階14階に引越した。 眺めは最高だ 小学5年生の5月ごろ。 丁度、西向天神のお祭りと引越し日がぶつかって、新居で荷ほどきをしている父親にどうしても祭りに行きたいと伝えた。 大した荷物の量もないのだが時間に追われながら淡々と作業をこなしている不機嫌で余裕のない父親に何度も交渉した。 そして渋々了承した父親にいただいた1000円を握りしめ、少し歩けば歌舞伎町という立地に立つ小学校近くの

腐った死体<母親>が死んだ

給食後、担任から告げられたアッパーカット病院に運ばれてから、母親のもとへ行きたがらなかった父親も病院に向かったみたいだ。オレが学校に行ってからだったのか、その前に出ていたか、覚えていない。 オレは救急車で運ばれた次の日も普通に学校に行った。 学校では普通に過ごし、普通に給食を食べ、 20分間の昼休みに外に遊びに行こうと思っていたら、 教卓から担任に呼び止められた。 深妙な顔を浮かべて話し出した女性担任は、 オレに向かって驚くことを言い放った。 お母さん、亡くなら

悪魔再降臨

入院 母親は、オレが小学校3、4年ぐらいの時に女子医大に入院した。 たぶん入院した時は母親の病気は前向きに捉えていた時期だから、3年生ぐらいだと思う。色々調べれば正確な時期はわかるが、頭の中には残っていない。たしかあの担任の先生時だったと思うぐらいの記憶だ。 (これまで書いてきた出来事との前後関係は覚えていない。) 父親の苦肉の策だった。 母親を説得し、納得させた上で前向きに病気に向き合った。 少なくともオレと父親は心底向かい合った。 母親も瞬間的にだが今後の人

りあるマザーファック(F)

あの睨まれた朝から 台所の母親の睨み(にらみ)。 これはかなりダメージがあった。 何が正しいのか、何がダメなのか、何をすればよいのか、 完全にわからなくなった。 小学生にして社会不適合者のできあがりだ。 オレに向けた目つき。 一般社会と隔絶するような母親の睨みは、 母親不信に変わった。 植え付けられたのは恐怖というより不信だった。 だが99%不信に思っていたオレは、 自分の挿入勧誘で開始することになる。 4回目の話。 もう一度やりたいと思ってしまっ

りあるマザーファック(E)

こういう下世話な身の上話を展開する事自体全然問題なく、大したことはない。とっくに乗り越えたし、とっくに消化していると思っていたが、数日間完全に精神がぶれている。ある方に言われた症状がそのまま出ている。だが、今まで乗り越えてきた諸々の経験と自分がしっかり見据えるビジョンのために今日も書くことにした。不思議と書いている最中は落ち着いている。 2回目マザーファックの次の朝。 悪いことをしているのか、していないのか、わからない。 完全にはわからない。 でも、やっぱり友達には言

りあるマザーファック(D)

MJ いま文章を書きながら思い出している。 母親とのフェスについて。 おそらく回数は4回だ。 性交渉と呼ばれるのは4回。 1回目はMJを握られた。それで終わりだった。 2回目は「お尻に入れてみて」だった。 2回目のあとの話がよく思い出せないのだが、3回目、自らそういう行為をやりたいと自分が思った記憶がある。 おそらく3回目は自分から行為におよぶように促したと思う。 すんなりと了承を得て、おしりに入れようと頑張ったが無理だったので、 母親が 「お口に入れて

りあるマザーファック(C)

菊のラビリンス 2回目は母親の目的がはっきりした握り込みだ。 実の子のちんちんを立たせ、自分の快楽のために使用するマジカルスティック(MJ)にするためだ。 オレの視点だとMJの目的は定かではなかったが、しっかり反応し、生物としての性を全うしていた。 「おしりに入れてみて」 かな。 重要な言葉をよく覚えていないが、ファミコンではしゃいでいる小学生に、母親の言葉は非合法に認定して欲しいほど性暴力極まりなく、人生を変える強烈な淫語だった。 とにかく菊のラビリンスへの

りあるマザーファック(B)

3年生の終わりか、4年生の始めか、いつ頃だろうと思い返すたびにいつなのか正確な時期がわからない。 正確な年齢がわからない。 夏なのか、冬なのか、わからない。 時間帯はわかる。 毎日繰り返される睡眠の時間は、何が起こるかわからない予測不能の魔の時間であったが、その日は何事もなく六畳の部屋に布団を並べて母親と寝ていた。 2人とも右を向いて押入れの方を見ながら寝ることが多く、その日も同じスタイルで右向け右で寝ていた。父親は、狭いアパートに似つかわしくない上段にベッドが付

りあるマザーファック(A)

オレはやっちまっている 小学校の時、友達の家に行くと胸が絞られるような違和感を覚えた。 幸せそうな家族がオレの心を締め付けた。 仲良さそうな夫婦に、3つぐらい上の兄貴、まだ幼稚園に通っていた妹、そして三階建の一軒家。友達の家は当時日本テレビのゴルフガーデン横、新宿5丁目にあった。 数分で四季の道の入口だ。かなりのところに建っていた。そんな立地とは思えないぐらい柔らかく、しなやかな時間の流れ。遊びに行くと今でも忘れられないぐらいの締め付ける感覚が毎回あった。 その経験は

アル中のトマトケチャップの使い方(C)

グダグタなアル中痛がる母親を見て不安と焦りが入り混じる。 解決できず、近所のにいちゃんばあちゃん宅に逃げ込んだ。 大量出血じゃないし、母親は大人だし、救急車を呼ばなくても解決できるはずだから、その場を離れても大丈夫。 そんな感じだったと思う。とにかく不安と見えない先々で最悪だった。 このコラムは、ある荒廃した家庭に挑んだ、1人の青年の記録である。新宿に生まれ育った無垢な小学生時代に、アルコール依存症とバイセクシャルという特異な両親に囲まれ、酩酊した母親と強制的に初

アル中のケチャップの正しい使い方(B)

漆黒の時空間はエンドレス 母親との喧嘩がヒートアップしてくると、二段ベッド上から母親のお腹めがけて飛び降りたり、蹴ったり殴ったり、髪を引っ張ったり、とにかく必死に闘っていた。 大人も 子供も 男も女も オカマも バイも レズも ゲイも 関係ない。 きっと、この時期に暴力を覚えたんだろう。 女に手をあげるな。 親に暴言、暴力はいけない。 友達を叩いてはいけない。 話し合いで解決しなさい。 そんなマトモな教えは全く存在しない。 むしろやり返さないとオレは

アル中のケチャップの正しい使い方(A)

失禁と古銭小学校3,4年の時はよく母親と喧嘩をしていた。 お酒を飲んで壊れる母親を認めるわけにはいかなかった。 一緒に外出するとどこでも泥酔するまで酒を飲み、人に絡んだり、大声をあげたり、とにかく恥ずかしい思いを何度もしていた。 当然、酒の入った状態で母親と出かけたくなくなる。 大好きだったが、恥ずかしい親というのは子供にとってかなりのストレスになる。 このコラムは、ある荒廃した家庭に挑んだ、1人の青年の記録である。新宿に生まれ育った無垢な小学生時代に、アルコー

面前DVエブリナイト

ド派手なDV鑑賞会オレンジ色の豆電球の薄明かりの中、泥酔の母親が毎日包丁を振りかざし、父親の首を刺そうとしている真夜中は、 別に大したことない。 普通のやりとりだ。 大人の喧嘩はこうなんだ。。。 刺す気はない、本気じゃない、男のお父さんの方が力が強いから絶対に刃物が首に到達する事はない。。。 薄眼を開けながらド派手なDV鑑賞会。。。 それが毎日続く。毎夜毎夜つづく、、、 このコラムは、ある荒廃した家庭に挑んだ、1人の青年の記録である。新宿に生まれ育った無