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アル中のケチャップの正しい使い方(B)


漆黒の時空間はエンドレス


母親との喧嘩がヒートアップしてくると、二段ベッド上から母親のお腹めがけて飛び降りたり、蹴ったり殴ったり、髪を引っ張ったり、とにかく必死に闘っていた。


大人も
子供も
男も女も
オカマも
バイも
レズも
ゲイも

関係ない。

きっと、この時期に暴力を覚えたんだろう。


女に手をあげるな。

親に暴言、暴力はいけない。

友達を叩いてはいけない。

話し合いで解決しなさい。


そんなマトモな教えは全く存在しない。

むしろやり返さないとオレはマトモな生活が1秒たりとも送れないからだ。
バトルから逃げれば漆黒の時空間はエンドレスに追ってくる。

このコラムは、ある荒廃した家庭に挑んだ、1人の青年の記録である。新宿に生まれ育った無垢な小学生時代に、アルコール依存症とバイセクシャルという特異な両親に囲まれ、酩酊した母親と強制的に初体験をさせられ、その後30年近くに渡り自身もアルコール依存症に苦しみ、その中で設けた我が子との絆を通じ、寛解するまでと、その原動力となった信頼と愛を余すところなく完全実話で書き下ろしたものである。


血が出た

夕食にコロッケ一個でしのぐ日もある。
親からのそんな暴力もある。
食べさせないわけではない。
虐待ではないが、単純に酔っ払って忘れている。
まともに腹を満たせない日もあったが、ケンカだけはきっちり満腹だった。

毎日殴り合い、引っかき合い、罵り合い、首の締め合いだった。
こういう例えは戦争経験者に申し訳ないが、銃をなくした戦争兵みたいに取っ組み合い、取るか取られるか、小学生のオレにはそんな感じだった。


この頃、仲の良い友達ともケンカをしていた。少しでもオレの琴線に触れれば手が出た。時代的に許される範囲のケンカだったが、何回もあったケンカの大半を今でも覚えているという事は、それなりに意味のあった戦いだったんじゃないかと思う。

直接的な暴力だけではない。

言葉の暴力、関係性の暴力のほうが割合は多かった。

母親を馬鹿にされたケンカは徹底的に任務を遂行した。

オレにとっては正義の戦いだった。

聖戦だった。

今でもオレにやられたことを理解していない、気がついていない友達も多くいると思うが、オレのリベンジは100%遂行された。



母親とのバトル。

もちろん、やってはいけないこと、正しいとされるルールは理解し、頭の中にはあるが、学校の道徳やマトモな大人が教えてくれる正義のルールは、母親とのタイマン勝負には全く機能しなかった。


ヒートアップし過ぎて彫刻刀の切り出し刃で母親の左肩を刺したこともあった。


酒を絶たず母親らしい生活を送っていない母親に対して学校で使い古した彫刻刀を数本投げていたらキレた母親

キレるのは当然だ。それもこっちの狙いだから。オレが本気だという事をわかってもらいたいだけだった。

こういう行き過ぎた言動の反射行動は脳へのダメージとして残り、後々アルコールの病気が進行し、記憶を無くした時に現れることになる。

その後どう言う経緯か覚えていないが、彫刻刀が母親の左の乳房付近に少し刺さってしまった。

刺したか、刺さったかどうなのか。

血が出たから、かなり動揺した。


複雑な気持ちになるもんだ。

母親を刃物で刺して血が出ると。


アル中のケチャップの使い方(C)につづく

<写真>3歳ごろ保育園にて




苦しんでいる人に向けて多くのメッセージを届けたい。とりあえず、これから人前で話す活動をしていきます。今後の活動を見守ってください(^^)