#重症筋無力症
A Bit Away from Human
世の中が窮屈である。どうにも窮屈である。
原っぱだろうと雑居ビルの谷間であろうと、北海道にいようと東京にいようと、どうもこの事情は変わらない。
テレビか何かで、マナー講師が誰かのありきたりの振る舞いをファナティックに非難すれば、今度はそのマナー講師を、第三者がネット上でファナティックに非難する。
YouTuber の愚かな振る舞いを叩く。
スポーツ選手の不品行を叩く。
ちょっとそぐわないと我先
魔法はまだ続いているから
百円の魔法使いは、とっきゅうのれっしゃに乗って帰っていった。
昨夜遅くから、病状はほぼ最悪だった。首と胸元が苦しくてうまく眠れず、何度も何度も乾いた咳をして妻を起こしてしまう。北の大地の北の山際が明るみはじめたころ、私はようやく眠りについた。
「った」
妻の声で目が覚めた。娘が、お地蔵さんのような顔で、私の胸元に眠っていた。すぐに蹴る毛布を着せ、おとおさんのさっぽよに興奮して眠りの浅い
重症筋無力症により馬鹿になった話
何十もの先行研究をサーチしたが、重症筋無力症と《頭の悪さ》の連関は言及されていないようだ。それはしかし、クリスチャンにとってア・プリオリに《神は存在する》ように、私にとっては疑いようもなく《連関している》、あるいはこうも言えようか
《重症筋無力症とは、馬鹿になることである》。
なにも、またぞろ suffering の特権化を論おうとするのではない。誰もが各々の suffering をかかえ
考えないよう考え詰めてしまう日に
手の巧緻性が落ち、だいたいは眼球に入る目薬が、外れてしまう日がある。
それは今日。
豊満な涙袋に黄色い泪を滴らせながら、
「目薬もちゃんと注せんとか……」
と
「目薬一滴、高々20銭、どんまい!」
を、マイエモーションが右往左往する。
このような想念のちらつき、不安定さ、揺れ動きやすさ、は、元々の私のパーソナリティの中にもなくはなかったけれど、それが、ある一連の作業や思念を寸断するような