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50代になったら「自分の脚本」を書き直せばいいんじゃない。

こんにちは。散髪に行ってきましたが、年々髪の毛に張りが無くなっているような気がします。もうそろそろですね。


50歳。まだ半分。

先日「50歳からは、「これ」しかやらない」という書籍を音読しました。自分自身五十路の半ばに差し掛かろうとしているなかで、このような本に巡り会えること自体が嬉しい。中身も「なるほど!」と感じられる内容になっているので色々と考えさせられた。だから聴き続けることができましたね。

人生100年時代を迎えるなかで、まだ半分しか生きていないことに愕然としながらも、この先を考えていかなければならない苦悩が50代にあります。何を支えにこの先のライフをエンジョイするか。セカンドキャリア、サードキャリアに向けて如何に今の会社人生を謳歌するか。選択の時期ですよね。

自分自身の第一の創造者になる。

7つの習慣の「第2の習慣:終わりを思い描くことから始める」のなかのパーソナル・リーダーシップ原則には自分の葬儀の話が出てくるのですが、その前に仕事・職場との別れについて同様に考えていく必要があります。その瞬間に、誰がどのように自分を送ってくれるのか。一体、何を残せるのか。

7つの習慣セルフコーチングでもここでかなり躓きます。毎日を懸命に生きてきた会社員人生だっただけに、この終わりのシーンをどのように描いていくのか。ここではまさにスティーブン・R・コヴィー博士のいう「脚本を書き直す」イコール自分自身の第一の創造者となることを問われています。

こんな書籍があったの、初めて知った・・・。アマゾンでポチった。

「ナラティブ」アプローチ。

先日、ある大学の教授とお話をしていたのですが、ふたりの共通点は「ナラティブ」。物語を組み立てることが脚本にはとても大事なんですよね。しかしながらそれがあまりうまくない。その要因も「小説をあまり読まない」ってところにあるのではないか、という仮説を、お互いで認識し合いました。

そしてもうひとつは「アウトプット」すること。文章でもレゴ作品(どうしても結びつけるんだなと言わないで)でもいいのですが、「ナラティブ」アプローチで自分自身の脚本を書き直していく(作り直していく)ことこそ、50代の方における残り半世紀の生き方の創造と呼べるのかもしれませんね。

すべて「現在進行系」。

とはいえ、この年代の方々は俯瞰して見るのがとても得意なので「ストーリーテリング」することはお薦めしないです。何事も「自分ごと」にする必要があります。「ナラティブ」では自分自身が主人公であり、物語の中心であり、そして、それらがすべて「現在進行系」で進んでいくものなのです。

素直な気持ちでこのシーンに向かうのが良いですね。コヴィー博士も第2の習慣の冒頭で「邪魔が入らず一人になれる場所で静かに」「頭を空っぽにして」「すべて忘れて意識を集中させる」と書いています。これまでをアンラーニングして新たな一歩を踏み出す準備。セルフコーチングしてみませんか。

最後に。

散髪屋さんで「幕末の歴史」の話で盛り上がってしまいました。こうなったらセカンドキャリアは「幕末研究家」にでもなろうかな、そんなことを思い始めています。

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