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【感想】アニメーション・ドキュメンタリー映画『FLEE フリー』

本作を知らない方向けに、まずは海外でどういった評価を受けてきたのか?という話題から。

お披露目となったサンダンス映画祭2021でワールド・シネマ・ドキュメンタリー部門のグランプリを受賞。
(ちなみにこのサンダンス映画祭2021で史上最多4冠を獲得&Apple TV+に史上最高額で落札されたのが『コーダ あいのうた』)

さらにアヌシー国際アニメーション映画祭2021では最高賞に当たるクリスタル賞を獲得。
(アヌシー映画祭はカンヌ国際映画祭からアニメ部門を独立させる形で誕生した歴史ある由緒正しきアニメ専門映画祭)

さらにさらにアニメ界のアカデミー賞ことアニー賞でもインディペンデント作品賞を受賞。

アニー賞を知らない方も『ミッチェル家とマシンの反乱』を評価できる賞レースという時点で信頼して頂けるのではないでしょうか。

2021年のアニメ映画は『ミッチェル家とマシンの反乱』と『FLEE フリー』が席巻していた。
どっちもアカデミー賞は逃したけど。

ただ、アカデミー賞は受賞こそ逃したものの

  • 国際長編映画賞

  • 長編ドキュメンタリー賞

  • 長編アニメーション賞

の3部門ノミネートという史上初の偉業を達成している。
映画祭や賞レースを合計すると136ノミネート82受賞。
先日フジテレビの水曜NEXT!枠で放送された『もっと評価されるべき審議会』で佐久間Pが映画『ドロステのはてで僕ら』を「海外20冠、国内無冠」と紹介していたが、同じように数で表すなら本作は82冠になるw

ちなみに『ドロステのはてで僕ら』も超面白い映画ですので悪しからず。

批評家からの評価も総じて高く、

米メディアのIndieWireによる世界中の批評家187名が選んだ2021年のベスト映画で

  • ベスト作品部門7位

  • ベストドキュメンタリー部門1位

  • ベスト国際映画部門4位

他にもポン・ジュノやギレルモ・デル・トロら錚々たる映画監督が絶賛。

そろそろこんなnote記事を読んでる暇あったら映画館に行くべきと思えてきたでしょう?w

アニメである意味

一般的にドキュメンタリーというとインタビューなどの取材映像を編集した実写作品をイメージするが、本作は全編アニメ(実写映像を挿入する演出はある)で構成されている。
HBOドキュメンタリーの『殺戮の星に生まれて/Exterminate All the BRUTES』のように当時の状況をがっつりドラマとして見せる作品はあるが、アニメはまだまだ珍しいように思う。

ただし、世界初というわけではない。

やはり2008年のこの作品がエポックメイキングということになるのかな?

本作が表現手法にアニメを採用した理由は至ってシンプル。
主人公であるアミンの亡命は全てが合法的な手段ではなく、彼が顔を露出してそれを喋ってしまうと逮捕や強制送還など身に危険が及ぶ可能性があるから(アミンという名前も仮名)
なので出発点は「アニメでやりたかった」よりは「アニメにせざるを得なかった」の方が近い。

それもあって日本のアニメ作品や昨今のディズニー、ピクサー、ソニーといった海外メジャーの作品を見慣れている人からすると絵の情報量は少ない。
絵が縦横無尽に動くアニメ的快楽や物量で攻める演出もほぼ無い。
しかし、本作は要所で取材対象の心象風景をアニメによって実現している。
つまり「客観的にどういう状況だったかは関係なく、少なくとも彼にはこう見えていたしこう感じられていた」という映像表現。
途中で何箇所か絵が写実的でなくなって表現的に飛躍するシーンがあるのだ。
これは実写の再現ドラマではリアリティラインが崩壊するので絶対に不可能な演出。

個人的には片渕須直監督の『この世界の片隅に』の時限爆弾が爆発するシーンを思い出しながら観ていた。

ちょうど『アルピーテイル』や『芸人アニメ監督』といったバラエティ番組で芸人のネタや発想をアニメ化するという試みが放送されているが、普段実写で行なわれていることをアニメに変換することでアニメ表現の可能性がまた新たに開いていくということを改めて思い知る。

もちろんその最高到達点は庵野秀明とウェス・アンダーソンになるわけだが。

ドキュメンタリーとアニメ

そうなってくると本作はドキュメンタリーそれ自体の本質にも迫ってくる。
実写のドキュメンタリーとは撮影した膨大な素材をどう編集するか、すなわち削る作業。
ところがこれがアニメになるとゼロから描かないといけないので、削るどころか作る作業になる。

だとすれば、よく言われる「ドキュメンタリーといってもそこに100%客観的な事実・真実が映っているわけではなく、編集する過程で作り手の主観や主義主張が必ず入り込む」という話はアニメだとより顕著になるのではないか?
偶然映り込んだとかは起こり得ないわけだから。

念のため書くと、僕は本作を捏造だとか客観性を欠いているだとかで批判したいわけではない。
そもそも監督と取材対象は20年来の友人だそうなので、むしろアニメを用いたことで監督が彼の何を知ってほしいと思っているのかがより色濃く出たように思う。
(それと合わせて、本作の鑑賞中に「そもそもドキュメンタリーとは何なのか?」を思わず考えさせられたという話です)

冷徹なまでの自己言及

本作は難民やLGBTといったテーマを描いている。
いわゆる社会的な題材であり、本作を通じて(特に日本の観客は)知る・学ぶことも多いと思う。
今この時代に観る意味は間違いなくある。
なので「観て良かった」という感想は理解できるし、自分もそう思う。

ただ、そう思いながら鑑賞していたところ頭をぶん殴られるように入ってきた台詞があった。
それは中盤ぐらいにあった「海外のテレビ局が取材に来たけど彼らは番組に必要な映像を撮ると帰ってしまい、僕らの置かれた状況は何も変わらなかった」という台詞。
冷徹なまでの自己言及である。
この映画が公開され、世界中で多くの人に観られても「観て良かった」で満足されたら問題は何も解決しない。
本作は「で?あなたは何か出来るの?」とスクリーンの向こう側から問うてくる。
その直前に描かれていたのは豪華客船の上から難民たちの写真を撮る人々。
まさに我々観客のメタファー。

これをブラックに笑い飛ばしたのがアダム・マッケイの『ドント・ルック・アップ』

映画を観て社会問題を知った気になり満足する意識高い系(笑)と馬鹿にしてもらえたらまだ楽だった。

本作はそこにも逃がしてくれない。
だから僕は「観て良かった」と安易に言えない傑作とこうして文章を書きながら向き合うのである。

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