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助けてほしい

 「うつ状態が辛い」そう母に告げたとき、「じゃあ、病院行け」と言われる。

 「うつ病のような気がしていたけれど、朝方はそんなにつらくない。夜になるにつれて気分が沈む。だから、もしかしたらおれは非定型うつ障害かもしれない」ネットで調べた浅い知識を持って母に相談したときは、「みんなそういうもんでしょ」仕事が終わって疲れている母に言われる。

 当時は気づかなかったけれど、たぶん私は母に助けて欲しかったんだと思う。病院に行って見ず知らずの他人に「どうされましたか?」と心配されるよりも、母に「どんな風に?」とか「いつ頃からよ?気づかなかった」と心配されたかった。自分のこの「つらさ」だけを見て欲しかった。

 そんな精神病らしきものを会話の種にするのは、私なりの救難信号だったのだと思う。病院に行きたいという目的のためにそういう相談をしたというより、母に心配して欲しい、母に助けてほしいという目的だったと思う。あまりにも自分という人間が頼りなくて、自分以外の人間に依存してないと不安。なんとなく自分が頼りない。


 誰かから助けてもらえる時もあるし、助けてもらえない時もある。恐らくこの世にいつも自分を助けてくれる人間がいるとすればそれは自分という人間だけだろう。頭でわかっているつもりでも、どうしても自分以外の誰かに助けを求めてしまう。

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