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【視覚障害】当事者がされるよくある質問(弱視)

先天性弱視が世の中に発信したいことを書くメモ①です。

「この世の不利益はすべて当人の能力不足で説明がつく」

 こちら『東京喰種』という作品の名言だそうで、個人的に好きな言葉です。
 結局、当事者の問題は当事者が自発的に解決するようにしていかないと、最終的に自分の不利益になると、理解しています。そして、それが上手く解決できない場合、ある程度当事者の能力不足が原因という訳です。

 昨今、ダイバーシティ気運の高まりなどにより、マイノリティが世間に認知されるようになってきていると思います。
 たとえば、HSP(ハイリー・センシティブ・パーソン)、境界知能、場面緘黙、吃音、発達障害…などなど。これらが世間に認知されるようになった背景の一部には、少なからず当事者の自発的な発信があったと思います。

 マイノリティを持った当事者が発信していくことで、その認知が広がり最終的には自分の利益になると思います。私も、これを18歳のころ思いついたのですが20年間放置していたので、今から始めようと思います。

よくある質問

幼少期から現在までに感じた、弱視に対する認知が広がっていないと思うことを3つ挙げます。

目が悪ければ眼鏡かければよくない?

 弱視の人なら必ず言われたことがある質問だと思います。
 答えは、眼鏡をかけても視力が矯正できないので、眼鏡やコンタクトで解決できるという問題ではないです。
 こういった質問の根底にあるのは、眼鏡をかけて視力が矯正できない人がいることを知らないということが原因です。
 眼鏡をかけても視力が矯正できない人がいます。
 そういう人は、弱視と言われたり、視力障害で障害者手帳を持っていたりします。

 私の場合ですと、生まれつき網膜(眼の奥の組織)が萎縮していていることが原因で視力の矯正ができません。通常、眼鏡で視力を矯正する方法は、水晶体の働きをレンズで補助することで矯正していると思いますが、私の場合水晶体は正常なのですが、カメラでいうところのフィルムの働きをする網膜の中心部分にある錐体細胞の機能が悪いため、いくら度の強いレンズを通しても物が良く見えるようになりません。(裸眼でも矯正しても視力は0.1です。)
 錐体細胞は、主に視力、色覚、羞明(まぶしさ)の調整を担っています。ですので、錐体細胞の機能不全は、視力低下、色覚異常、日中の羞明などの症状を引き起こします。
・・・ということが眼鏡をかけても解決しない理由なのですが、これを日常会話で一人一人に説明するのは、大変ですよね。。

手術すれば治るんでしょ?

 これもよく聞かれます。
 答えは有効な治療法はなく、手術しても治りません。
 こういった質問の背景には、自分が治療できないような大きな病気になったことがなかったり、現代医学はほとんどの病気を治せると思っている場合があると思います。
 アトピー(私もアトピー持ちですが)など、長年有効な治療法がなかったりや完治がしずらい病気を持っている人は、医学が万能ではないことは理解していると思います。
 現代医学では治せない病気は、結構たくさんあります。
 治せない病気を持って、それが日常生活や仕事に支障がある場合、国や自治体が定めた基準にあたるなら、難病と認定されたり、障害者手帳がもらえたり、障害者年金や各種手当の給付、障害者控除などが使えるようになります。つまり、治療法がないので障害になっているのです。
 治療法があり治せていれば治すので、障害ではないということです。

 私の場合、錐体ジストロフィーという病名で診断をされています。有効な治療法は確立されておらず、人工網膜の移植など研究されていますが、実用段階ではないです。(錐体ジストロフィーの患者数自体、正確な数字はありませんが、数千~一万人に一人くらいの割合らしいので、研究が進みにくいということもあると思います。)
 ・・・といっても「手術すればいいじゃん問題」はなかなか理解してもらえないことがあるため、錐体ジストロフィーと似ている網膜の病気で、黄斑ジストロフィーや網膜色素変性症などがあり、これらは難病指定されています。難病というと、「治療法がないんだ」と分かってもらいやすいので、「難病だから治らない」と伝えても極論よいのかと思っています。
 
 難病認定も国が患者の数を把握したい側面でやっているところもあり、難病であるから大変で難病でないから大変じゃない、ということはないと思います。
 私自身、黄斑ジストロフィーで難病認定できるかもと医者に言われたことはありますが、難病にしてもらうメリットがあまりない(医療費がかかっていない)のでしていませんが、そのくらい難病と難病指定されてない病気の境界は曖昧であるということで、本心を言えば難病の有無で自分の障害の程度を判断されたくはない、というのはありますが。

車の運転どうするの?

これは結構言葉につまる質問です。
答えは、車の運転はできません。
(一部視力の矯正ができる視覚障害の方もいるので、すべての視覚障害者が運転できないわけではないと思いますが。)

 この質問の背景は、世の中に身体的な理由で車の運転ができない人がいる、ということを考えたことがないためだと思います。
 ここで車の運転ができないとなると、運転もできないようなかわいそうな人なんだ、となってしまってなんかさみしい感じになるのですが、そもそも弱視ですと、キャッチボールなどの特定の遊びができなかったり、視力を使う実験の研究室で働くなど仕事の制限もありますし、できないことはたくさんあります。
 ただ、車の運転という誰もが普通にできることに対する「できない」というインパクトは多少なりともあるのかなと思っています。
 (自動運転などで運転できる日がくると良いですね!)

 もう一つこういった質問で思うことは、たとえば、車いすの人に階段しかない道を通らないといけないとき、「こういうときどうするの?」という質問をしているのと同じだと思いました。
 答えは「できない(一人では通れない)」になるのですが、たとえば、ビルの屋上から飛び降りたらどうなるのか、大人であれば考えればわかることであり、想像できることだと思います。
 こういった質問をする人が悪いという気持ちは一切なく、当事者である私(たち)が、周囲の人に想像力の地平を提供できていなかったことが原因であると思っています。

最後に、エピソードを交えて

我が家の犬(キャバリア2歳)

 この犬は机の上に乗っていますが、机の上に乗ってはいけないことを知らないので、乗っています。
 障害も同じで、障害を理解していない人が悪いのではなく、理解してもらうための行動を起こしていない当事者が足りていないのです。

 小学校低学年のころこんなことがありました。
 私は日中遮光眼鏡(サングラス)をかけないと歩けないので、その日もサングラスをかけて横断歩道を渡っていました。そこに自転車に乗ったおじさんが来て、よく見えなかったのでぶつかりそうになりました。
 その時もどもどしている私におじさんが言ったこと
 「こんなのかけているから見えないんだ!」
 おじさんは子供が遊びでサングラスをかけていて、そのせいで危なくなっているんだ、気をつけろ。みたいなことを言いたかったのだと思います。
 子供だった私はその場で、サングラスをかけている理由を説明することができず、説明したところで分かってもらえる気もしなかったので、その場は適当に謝って去りました。
 子供ながらくやしい気持ちになりましたが、同時にどうしたら分かってもらえたのだとうと考えました。
 一般的に子供が遊びでサングラスをかけて歩くと危ない。でも私は外ではサングラスをかけて歩かないともっと危ない(まぶしくて真っ白になって何も見えない)。白状を持っていればよかったのか、障害者手帳を出してサングラスをかけている理由を説明すればよかったのか。それとも「関係ないだろ!」とおじさんと喧嘩すればよかったのか。・・・答えは出ませんでした。
 今思うとあの場は、仕方ない状況だと思います。
 おじさんも悪気があったわけではなく、視覚に障害あってサングラスをかけて歩かないと外がまともに歩けないような子供が存在することを知らないだけ、だったのです。
 それを知っていれば、もう少し違った対応になったと思います。
 30年近く前の話ですが、それを知らなければこれからも同じようなことは起こるかもしれません。
 起きないようにするには、もっと障害のことを知ってもらうしかないと思っています。
 そのためには当事者が発信するしないです。これほどマイノリティが意識されるようになった時代でも、たとえば周りに弱視の人がいなければ、知りようがないことはたくさんあると思います。

我が家の犬(キャバリア2歳)

このように机に乗ってはいけないことを教えれば(知れば)いいことです。
一つ一つ知っていくだけのことで、
一見簡単なことのようですが、一番大事なことなんだと思います。

お読みいただき、ありがとうございました。

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