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変わるために、知っておきたい。〈12/1000〉

【ラジオ体操317日目】
『ニコチンレス生活38日目』

こんにちは。
自分にはできないと初めから諦めるようなことは絶対にしたくないという負けず嫌いなので、出来ないことはない!やったことがないことがあるだけだと言い聞かせているドМ気質なコマリストです。


今日は『見ている世界は広くないが、世界はもっと広い』というテーマで書いていきたいと思います。


皆さんは「ホメオスタシス」という言葉をご存じでしょうか。


中学生の理科の授業で聞いたことがあるのを覚えているという人もいるかもしれません。


これは、辞書的な意味で言うと、
生物および鉱物において、その内部環境を一定の状態に保ちつづけようとする傾向のこと。


ちょっと何言ってるかわかんないですよねw


例を挙げると、
・気温にかかわらず、体温を36度程度に保つ。
・身体のなかに細菌などの異物がない状態を保つ。
・怪我をしたり風邪をひいても、時間が経てば健康な状態に戻る。
・塩分濃度や血糖値など、体液の組成を一定に保つ。
・体内の水分量を一定に保つ。


一言でいえば、人間が持っている生命維持装置みたいなものです。


つまり、「生き残るために、変わりたくない」という本能が人間には備わっているということ。


今日は、ホメオスタシスを騙して、変化・成長するために必要となる要素についての考察です。


少しだけややこしい話になりそうな予感がしているので、時間を取って読んで頂くことをおススメします。

見えている世界

さて、いきなりですが結論から書いていきたいと思います。


変化・成長するために必要となる要素とは、
『自分の世界の広さを正確に知ること』


何だか良いこと言ってそうで、中身がなさそうな内容にも感じると思います。


これは、今年1年間をかけて”中学生と仕事”というテーマで教育に関連した活動を続けてきたからこその気づきです。


社会人になってしまうと、理解しづらい内容なので、中学生になったつもりで考えてみて下さい。


多くの中学生は、『勉強』『部活』『学校』『家庭』『習い事』の5つの世界で生きています。


もちろん個人によって、それぞれの濃淡はあるし、習い事をしていない場合には4つの世界になることもあると思います。
#そのあたりは理解して

異世界人としての”大人”

でね、この中学生に向けて私自身が持ち込もうとしたテーマが『職業としての仕事』だった。


このテーマは、遥か昔から多くの方が取り上げていて、様々なカリキュラムが存在しています。


それぞれのカリキュラムの善し悪しについては置いておくとして、このカリキュラムは誰が考えているのか?


”誰が”という視点で言うと、色んな人になりますが、少なくとも、”当事者である中学生ではない”ですよね。


そうです。考えているのは『大人』です。


同じ世界で生きていない大人たちが、”将来のため”とか”成長のため”という具体的な目的をもって開発・提供しているのがカリキュラムとなっている。


私が企画したカリキュラムも多分に漏れずこれに該当します。


ここで視点を中学生に戻してみましょう。
中学生が見ている世界は先ほど挙げた5つです。


その中には、『仕事』が存在しないんです。
つまり、自分が住んでいる世界とは別の世界の出来事に見えている。


さて、自分が知らない世界の話を、”正しいこと”として持ち込もうとしてくる大人たちは、中学生から見たらどう見えているでしょう。


異星人?
異世界人?
正しい表現が分かりませんが、少なくとも”仲間”として認識されていなさそうな気はしますよね。


ということで、大人たちがどれだけ熱心に、どれだけ真剣に子供たちのことを考えて、カリキュラムを作りこんだとしても、当の本人たちが自分たちの世界のことであると認識しない限りは響かない。

受け止めて変化するために

この1年の中でも、自分自身が実施したものも含めて、色んなカリキュラムに参加した子供たちの声を聴きましたが、みんな本当に良いことを書いているし、優等生だなと感じる感想が多い。


これを素直に受け取らないのも、ひねくれているのかもしれませんが、どこか他人事であるかのような感想が圧倒的大多数を占めているのを見ると、響いていないということを感じざるを得ない。


これは、仕方がないことだと思います。そもそも自分が生きている世界に存在しないものを強制的に認識しようとしても”ホメオスタシス”が働くので、心から受け入れることなんてできない。


本当に大人たちが期待するような効果を生み出したければ、時間をかけて、中学生たちの世界の中に『仕事』を持ち込んでいくしかない。


これをせずして、単発のカリキュラムで”将来のため”とか”成長のため”を自分事として受け止めるのは生存本能的に不可能なんです。


私自身がこれを理解し、自分に落とし込むには本当に時間がかかりました。それだけ、バカみたいに苦労させてもらいました。


実際、本人たちから話を聞いて、教員から話を聞いて、教育委員会から話を聞いて、それでも期待する成果の半分にもいかなかったと思います。


苦労したからこそ気づくことができたことでもあるので、良かったとは思っていますが、もっと早く気付けば心が楽だったとは思いますw

世界の広さを正しく知る

たとえ話として挙げた”中学生と仕事”の話が長くなりすぎてしまいました。


ここで、話を大人に戻します。


”もっと大きな成果をあげたい”
”今年こそは〇〇できるようになりたい”


こう考えている人が、最短最速でうまくいくためには『今の自分からの変化』が求められます。


というのも、今の成果や、今の○○ではない状態というのは今の自分がもたらした結果だから。


これと比較して、より大きな成果みたいなものを求めるのであれば、変えなければいけないのは”今の自分”ですよね。


で、この時に弊害となるのが、『自分が見ている世界』に理想とする成果を上げる自分のライフスタイルが存在しないというケース。


頭では”こうしたい”と思っているのに、いざとなると足踏みしてしまったりするのは、掲げる理想に至る『道筋』が見えていないし、見ようとしていないから。


しょうがないんです。今の自分には見えていないし、見えていないということは存在しないということなんです。


これ自体は全ての人がそうなので、何の問題もないと思います。


ただ、今の自分が何を見ていて、何を見ていないのかを把握している状態であることは、変化するための最高の資源になると思います。


というのも、今の自分が見ている世界の広さを正しく把握できている状態であれば、”足りないものが何か”ということに早く気付くことができるし、自分に必要だけど見えていない要素を持っている相手に不快感を持つことなく、受け入れやすくなる。


知らない世界の住人のことは、なかなか受け入れにくい。だからこそ、理想とするような人の集まりに呼んでもらえた時なんかは、ものすごく違和感を感じたりする。


この違和感を感じられることこそが、重要な要素だと思うんです。なぜなら、この違和感こそが、今の自分に足りない『見えていないもの』だから。


何だか分かりにくい話になってしまいましたね。


あ~この話、誰かと語り合いたい!!!
ということで、コマさんと語ってきまーす(笑)

じゃ、またね!

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