その努力、プライスレス。
【ラジオ体操148日目】
こんにちは。
結果が全てだ!というと、プロセスの方が大事なんだと怒られることが多いので、自分は間違っているのかと思っていたけれど、納得できる説明をもらって、救われた気がしているコマリストです。
今日は『結果なのか、プロセスなのか』というテーマで書いていきたいと思います。
皆さんに質問です!
結果が全てだと思いますか?プロセスを評価すべきだと思いますか?
この質問、永遠のテーマみたいなところがあって、人によって意見が分かれると思うんです。
ちなみに私は、絶対的に結果主義。
結果が出なければ、何もしていないのと同じだというくらいに考えてきました。
この永遠のテーマに、私を納得させてくれる話題が1日に2つも提供されたので、しっかり胸に刻んでおくように言われた気がして、noteに書いておこうと思ってます。
プロセスを評価すべき?
さて、プロセスや、努力を評価すべきだという皆さんに、考えていただきたい事例があります。
あなたは、とあるプロジェクトの責任者を任されました。
そのプロジェクトの中で、動画の作成が必要になったとします。
そこで、プロの業者に外注することにしたあなたは、1か月納期で料金20万円の業者に依頼しました。
3週間後、業者から提出されたドラフト版に、納得がいかなかったあなたは、修正の依頼をします。そこから何度か修正を繰り返して、納期の1か月を超えて、2か月目を終えようとしたある日のこと。
業者側から、”すでに予定納期も超過して、仕様がコロコロ変わる状態なので、弊社はお手上げです。この案件から引かせてください”と言われました。
相手側の手を引きたいという意思は固いので、あなたも別業者を探すしかない状態となった。
そんなあなたに追い打ちをかけるように、業者側から連絡が入ります。
”これまで2か月間、何度も修正を繰り返し、一生懸命努力してきました。正規料金を請求させて頂きます”
さて、あなたは料金を支払いますか?
相手の言い分は、満足のいく成果は出せなかったけれど、努力したんだから料金を支払ってほしいというものです。
努力を評価するんでしたよね?
恐らく、このケースで料金を支払うという選択をする人は少数派だと思います。
しかも、支払う人は”これ以上この業者に時間を取られたくない”という気持ちの方が大きいはず。
努力を評価するのは誰?
少し、気分が悪くなった方もいるかもしれません。けれど、支払わないという選択をするのは”あなた”です。
では、努力を評価するというのは間違いなのか?というと間違いではないと思います。
自分の子供が一生懸命勉強して、難関高校の受験に挑戦したとします。
この挑戦の結果、受験に落ちたとしても”子供が努力していたこと”を評価してあげるはずだと思います。
けれど、世間はどうかというと、この子が一生懸命に努力していたということを評価してくれないですよね。
どの高校に進学したのか?という結果だけを聞いて、〇〇さんのお子さんはA高校に進学したんですよね~。というだけ。
つまり、努力している過程を評価してくれるのは『親』と『先生』と『本人』だけなんです。
そして、ここからが重要な話ですが、受験前の段階で親としては頑張っている子供の合格を願ってもいいけれど、その願いを子供に伝えてはいけないんです。
親は、子供の受験の結果が合格・不合格に関わらず、努力している姿勢を認めて評価してあげる存在です。
先ほど書いた通り、親と先生しか努力を認めてくれないんです。
なので、親が一生懸命に『合格してほしい』と伝えることは、合格という結果を求めてるというメッセージを伝えることになる。
この状況で受験に臨む子供たちは、『自分のため』ではなく『親のため』に努力する人間になってしまうそうです。
なぜなら、合格すれば親が喜び、不合格なら親が悲しむから。
結果がどうあれ、学生時代を親のために努力する時間として過ごさせてしまうことは、親である皆さんは望んでいないはず。
自分のために一生懸命努力できた子は、結果がどうあれ、将来も自分のために努力できる人間に成長するんです。
親としての関わり方。これも考えさせられますよね。
ということで、私の結論です。
ビジネスにおいては、結果が全て
努力を評価してくれるのは『親』と『先生』だけ
あくまで、私の最近の学びによる結論なので、参考程度にしてください。
じゃ、またね!
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