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〈書評〉小石川真実『親という名の暴力』



 私が本書の存在を知ったのは、Youtube番組・一月万冊が2021年12月12日に公開した動画の中で、東大教授で経済学者の安富歩氏が紹介したのがきっかけである。


 

本書の内容


 著者は、小石川真実と云う1957年に福岡県久留米市で生まれ、1982年に東京大学医学部を卒業した女性である。本書は著者の幼少期から1996年までの39年間を回顧した内容となっている。本書は2001年に構想されたにも関わらず、最終的に刊行されたのは2012年であった。

 なぜ、小石川氏はそこまで時間をかけて自身の半生を回顧したのか。

 理由は、彼女が抱えていた壮絶な親子関係と卓越した記憶力にある。あまりにも緻密に自身の半生を回顧したことで、本書の分量は500頁を超える大著となっている。

 向上心の強かった彼女の両親は、娘が東大を出て医者になるように強く促し続けた。自分のこどもがエリートになり、出世することを強く求め、ありとあらゆる手段で彼女をコントロールしようとしたと云う。その姿は壮絶で、現在で云う教育虐待を行ない続けた。その結果、高校時代から小石川氏はうつ病の症状が出るようになる。

 やがて、小石川氏は自分が何をしたいのかがわからなくなったと云う。親の希望通りに医者になるも、現場では上手くいかず、とうとううつ病で体が動けなくなり、閉鎖病棟に押し込まれる。精神病薬が手放せなくなり、自殺未遂を繰り返す。

 小石川氏は両親が自身を虐待し続けたのは、両親自身もこどものころから虐待を受け、その事実を否認し続けたからだと云う。虐待された事実を否認する代わりに、社会的な成功や自分のこどもに当たり散らすことで、自身の苦しみを糊塗しようとしたのだと云う。

 私は途中で、あまりの内容の壮絶さに文章がねじれるような感覚になり、場面場面がバラバラになるような不思議な感覚に陥った。東大に合格したエリートの書く文章であり、著者本人も非常に論理的な思考の持ち主であるにも関わらず、文章の内容が頭に入らなかったのだ。

 結局、彼女は長い闘病生活の末に、2011年に両親と絶縁することを決意する。


私の感想

 本書を読んで、私は精神科医の信田さよ子の『国家と家族は共謀する』で述べられていた「家族は力関係が露骨に出る政治の場」と云うのを思い出した。近代社会では私的領域とされる家族はともすれば、法の支配よりも露骨な力関係がものを云う空間と化すからだ。ときには「愛情」と云う言葉で修飾しながら、家族の中での弱い立場への暴力や暴言が許容されがちになると云うことだ。信田氏は長年、カウンセラーとしての経験から心理学よりも政治学の視点で家族の支援を行なってきたと云う。
 本書は、小石川氏個人の心の問題ではなく、政治的な闘争をつづった書物と云うことだ。

 本書を読んでもう一つ感じたことは、小石川氏は赤裸々なまでに自身の生育歴から親子関係を述べているが、客観的にみて東大の医学部を卒業したエリートである。そして、卓越した頭脳の持ち主でもある。
 しかし、決して順風満帆で幸福な人生を歩んだとは思えない。

 ふと、この国は彼女と同じ東大のような有名大学出身者たちがエリートと呼ばれて、社会を指導している事実に気づいた。小石川氏自身は、医師になったものの、挫折と転職を繰り返し、エリートコースからドロップアウトをして非正規で働いている。
 しかし、彼女とは別に、ドロップアウトしなかったエリートたちは現在も日本のありとあらゆる分野を指導していることも事実である。

 今回のコロナ禍で、社会の歪みが噴出しているのは周知の通りである。官僚や政治家の不祥事や有名企業関係者による汚職がニュースで目立つ一方で、貧困による格差の存在をまざまざとみせつけられている。私自身、コロナ禍によって可視化したのは、直接的な権力や財力を持っていないはずの知識人の世界である。
 学生時代から読書を好んでいた私は、知的な世界に憧れていた。日本で有名な言論人の大半は、有名大学出身者で、生まれてこの方仙台を出て生活したことがない人間にとって華やかな世界に感じられた。
 だが、コロナ禍以降、有名言論人や知識人のTwitterなどを頻繁にながめているとよくわからない感覚に陥った。不平不満が溢れ、ときには暴言や誹謗中傷の言葉が溢れかえっている。書いてある内容の大半は無意味か意味不明で何を書いていたのかは一時間後には忘れてしまうが、時間だけは過ぎていく。本当によくわからない感覚に陥った。何故か同じ知識人同士で嫌いあっていることも印象深かった。
 それは思想の右左を問わず、寛容や理性を掲げるはずのリベラルでも同様だった。学生時代から憧れていた世界にも関わらず、どうも自分には理解できない気味の悪い世界のように感じられようになった。そのとき、日本の言論人や知識人の大半は大卒で、たいていは小石川氏と同様東大などの有名大学出身者だと云うことに気づいた。

 小石川氏は東大を出てエリートになるように両親に強要されたことで、魂が死んだと告白している。私は東大のような有名大学を出た人たちが全員小石川氏のような悲惨な家庭環境だったとは思わないが、コロナ禍以降の知識人や言論界の言説をざっと眺めていると奇妙な符合を感じる。エリートとして生きることは、何かを抱えることと同義であることに気づいた。その何かは小石川氏のような親子関係だけとは云い切れないが、一般人には抱えきれない何かを抱えなが生きているのではないのだろうか。

 本書では小石川氏は両親からの精神的な支配への反発から数々の奇行を行なったことが述べられている。さすがに、すべてのエリートの言動が小石川氏のように親子関係が原因で説明できるとは思わないが、どうも奇怪な言動の背景には本人の今までの生い立ちが深く関わっているように感じられた。

 私がそう云うことを考えるようになって、学生時代にあった出来事をみる目が変わった。私は大学時代に縁あってか、東大の学生が中心で主催して全国の温泉を巡るサークルに参加した。受講した講義の先生がたまたま講義中に紹介し、今回は宮城県の温泉地を訪れると云うことで、深く考えずにそのサークルに参加した。
 サークルの参加者の大半は首都圏の大学生で、東北の大学に通う人間は、私一人だった。もっとも、高校までは東北に住んでいたが、大学進学と同時に上京した人が多かった。云うなれば、エリートの卵のような人たちで、私はすごい人たちと知り合いになれたと思った。
 旅行自体は楽しく、宮城県出身者にも関わらず、今まで行ったことがなかった県内の温泉地を楽しむことができた。いつも観光客でごった返している秋保や松島とは異なり、景観が良くて落ち着いた雰囲気があった。地元の人は親切で、神輿を担がせてくれたり、いろいろな名湯に案内してくれたり、美味しい料理を振る舞ってくれて、良い思い出ができた。
 ところが今考えると、奇妙なことが度重なっていた。
 
 あるとき、読書用に持参してきた光文社古典新訳文庫版のプーシキン『スペードのクイーン』を読んでいたとき、件の東大生たちが興味を持ってくれた。私の持っている本は何なのか、と尋ねてきたのだ。私は「プーシキンですよ」と返事をしたところ、「プーシキンとは誰ですか?」と訊かれた。
 私は意外に思った。なぜなら、プーシキンは近代ロシア文学の礎を築いた人物とされ、日本でも有名なドストエフスキーやトルストイはプーシキンが開拓した近代ロシア語の表現に影響を受けて、自身の文学を発展させたと云われている。日本で云うなら、夏目漱石や森鴎外、正岡子規が活躍する以前と以後では日本語における文学表現に大きな差があるのと似ている。
 そんなわけで、私はさほど文学を読む人間ではないが、プーシキンぐらいは東大生なら知っているだろうと思っていたが、どうも知らないことがわかった。もっとも、そのときは私は「あ、そうですか」と特に気にも止めなかった。

 その後、温泉サークルに参加した東大生たちといろいろと話をしたが、どうも参加者の多くは、地元では「天才」や「秀才」と云われ、地元よりも東京で暮らしたいと考えていたそうだ。だから、東大に難なく合格したそうだ。しかし、一ヶ月すると、地元に帰りたくなったそうだ。温泉サークルに参加したのもそんな望郷の念からだと云う。そんな話を聞いたときは、私は「そんなことがあるのか」と深く考えなかった。
 
 あるとき、地元の公民館のようなところに招かれて、地元の人との交流会が催された。若者が都市部に流入しがちな地域にとって、東京からの大学生がほとんどだったので、大変歓迎された。やがて、学生一人ひとりと直接語りあおう、と云うことになると、明らかに、私よりも東大生たちのほうが人だかりができていたのが覚えている。そこに関しては、人見知りの激しく、知らない人が大勢いる場が苦手な私にとってはむしろありがたい限りだった。
 やがて、学生と地元の人たちが語りあったことをなぜか共有しようと云うことになり、私はこの地域は人間関係が濃厚で、仙台のような都市部で育った人間からすると温かいものがある、と月並みな答えをした。実際に、その地域は家に鍵をかける必要がないくらい、住民同士が顔見知りだと云う。仙台の郊外に育った私からすると、外出するときに、自宅に誰もいないときは必ず鍵をかけるのが当たり前だったので、大変新鮮だった。そのとき、東大生たちがどう答えたのかは覚えていないが、一緒に語っていた地元の人たちによれば、将来、社会に貢献するために官僚や政治家になると云う「高い志」を語ったと云う。私は以前にも、何度か東大生たちと話をしたことがあったが、そんな話は聞いたことがなかった。とは云え、私は「さすがは、東大生だ。立派な志があって、ちゃんとした答えができるものだなぁ」と感心していた。

 やがて、温泉地滞在の最終日になり、私たちは地元の商工会議所に招かれた。温泉旅館の関係者が多数出席しており、私たちに地域振興の意見を尋ねてきた。どうやら、客足が少ない当地域に、どうやったらお客さんが来るのかを外部の人の意見が聞きたかったようだ。私は困惑した。私たちは、年齢は19-20歳ぐらいで人生経験が浅い大学生で、数日しか滞在していない人間にそんな重要なことを訊くのは酷だと思った。もっとも、いろいろもてなしてくれたので、断るわけにはいかない。今考えると、他所の人間をあそこまで手厚くもてなしてくれたのは、この会議のためと云えるかもしれない。
 困惑し、なんとかそれっぽい話を考えている私を尻目に、東大生たちはある人はパソコンを開き、ある人は積極的に意見を述べていたのに驚いた。私はせいぜい、移住してきた女性がWifiがないからネットが使いづらいと云う話を聞いたので、Wifiが使えるようになったら良いのではないかとか、大変静かな環境だから読書に最適、と云うようなことしか云えなかった。しかしそんな私のしょぼい話よりも「マーケティング」や「より効果的なPR戦略」、「都会の人間受けするような広報の仕方」などをよどみなく答える姿をみて、大変感心した。やっぱり、こう云う人たちがエリートで、先日の交流会で語ったように、官僚になって国をひっぱてくれるのかと思った。そんなわけで、私は実質、東大生たちにおんぶ抱っこされるかたちで、無事会議を乗り越えることができた。

 ただ、冷静に考えてみればわかるが、私たちはほとんどノーリスクの立場で意見を述べている。その会議が終われば、その地域を離れてしまう。そうなれば、その地域のことは頭の片隅から消えてしまう。そんな人たちが地元振興のための建設的な意見など云えるはずがない。当事者じゃない人間がいくら立派な意見を述べていても、それはあくまで絵に描いた餅に過ぎない。なぜなら、実際に商売をしてリスクを取るのは地元の人たちだからだ。有り体に云えば、私たちは身銭を切っていないのだ。そんな人たちが云うことなんて、端っから無意味なのだ。

 後日、私は社会起業家の木下斉氏の著作を手に取った。木下氏は長年、地域振興の現場に携わった人間で、客足が少なく経済的にひっ迫している地域が私たちのような外部の人間を招くのはよくある珍しくないことだと云う。そう云う地域振興を専門にしたコンサルタントがおり、一定の受容があると云う。もっとも、そのようなコンサルタントの意見はほとんど参考にならないと云う。理由は、その人たちはリスクを取らないから、いくら意見を採用しても地域振興の役に立たないと云う。むしろ、そう云う外部の人が役所の会議に招かれ、その人の意見が採用され、その事業に税金が投入されると、赤字が出ても辞められず、さらに補助金で補填しようとして、かえって地域の負担を増大させてしまうと云う。そう云う赤字公共事業のことを木下氏は「墓標」と呼んでいる。

 結局、ドラッカーが指摘するように、利益がないと事業は続けられないが、一方で利益は何をすれば良いのかを教えてくれない。では、何をすれば良いのかは現場にいる経営者がその場で考えて判断するしかない。その手引として、彼のマネジメント論が重要な意味を持つわけだ。もっとも、そんなことは学生の私たちに求めるのは最初から無理な話だったわけだ。

 私は小石川氏の本を読んで、そんなことを思い出して考えた。
 
 エリートや学歴と云う言葉は現在、否定と称賛が混じった不思議な言葉になっている。エリートの不作為や不祥事は絶えず批判され、学歴が格差や不平等を生じさせて、もうエリートや学歴は不要であると云う意見も目にする。しかし一方で、どうやったらエリートのようになれるか(最近では「エリート」と云わず、「育ちが良い」と形容する)や東大などの名門大学に受かった人の勉強法は一定の需要が存在する。私たちはエリートや学歴を嫌いながらも、どこか華やかな世界を期待するわけだ。

 そんな相反するエリートや学歴について、実際にそれがどのようなものなかについて当事者本人がしるした本書は大変貴重な一冊になっている。私たちは等身大の学歴エリートたちをみなければならないのだ。


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 現在、私はnoteのマガジンで、東大教授で経済学者の安冨歩さんの著作書評の連載を、長崎大学技術員の野口大介さんとともに行なっています。
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