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第10章 『経済学の船出』


『経済学の船出』(一月万冊、2021)の書評文

 該当書籍は私が今まで読んだ安冨さんの著作の中で一番、内容が入り組んでいました。他の著作も十分濃く、一章だけで一冊の本が書けるのは相変わらずなのですが、該当書籍はそれが一段と強いと云えます。分量が他の著作と比べて圧倒的に多いので無理もないのですが。一月万冊が特典動画をつけた理由がわかります。該当書籍の実践版が『生きる技法』と『あなたが生きづらいのは「自己嫌悪」のせいである』と云えます。
 さて、該当書籍が一番批判的に検証しているのが「何かを共有する」と云う発想は西洋独特の思考法である、と云うことです。安冨さんは西洋のありとあらゆる思想や哲学、学問は「何かを共有する」と云うことを前提にしている、と指摘し、「コミュニケーション」は西洋にしかいない空想の動物・ユニコーンのようである、と述べています。該当書籍で批判的に分析された経済学も同様の盲点を抱えている、と指摘されています。
 安冨さんは”Communication”に”Ex-”をつけると「破門」を意味する”Excommunication”になる、と述べています。であるから、「コミュニケーション」と云う単語にあるのは極めて宗教的な感覚であり、日本語で「コミュニケーション」がいつまでもカタカナ語であることは日本語の感覚にはないからだ、と述べています。安冨さんは「コミュニケーション」の背後にあるのは、キリスト教の失楽園神話で、「コミュニケーション」の原義である”Comm-”(共にする、共有する)は共に同じ信仰を持った人たちの間の関係を暗示し、「何かを共有する/共有しない」と云う二項対立的な図式はキリスト教神学にとどまらず、ありとあらゆる学問分野に顔をみせると云います。その一例として安冨さんは、スピノザの評伝を書いた清水禮子の『破門の哲学』が「伝統的社会/近代的市場」と云う二項対立で、スピノザの思想を分析してしまった、と述べています。この点に関しては、『複雑さを生きる』や『生きるための経済学』でも指摘していますが、今回はより踏み込んだ内容となっています。
 なお、該当書籍では触れていませんが、保守思想も失楽園神話を共有しています。と云うよりも経済学や言語学と云った学問よりもわかりやすいかもしれません。

 そもそも保守思想の父であるエドマンド・バーク自体がキリスト教や教会を擁護するために思想を構築したと云う経緯があります。バークは18世紀のイギリスの思想家で、『フランス革命の省察』と云う著作でフランス革命を批判しました。彼の理屈では、フランス革命を起こした活動家たちは人間の理性を過信しすぎている。理性に基づいて設計的な社会を構築することができると確信し、旧体制「アンシャンレジーム」とよんでいる社会秩序を批判し、破壊しようとしている。ちなみに、フランス革命前のフランスでは人間の身分は三種類にわかれていましたが、「貴族」と「平民」よりも優越すると考えられたのが「カトリックの聖職者」でした。ヨーロッパでは中世から、王の即位の儀式である戴冠式はカトリック教会が担ってきました。また教会は現在で云うところの住民の戸籍を記録する役割を果たしていました。教会は冠婚葬祭を担っていましたので、生まれた子どもは生まれた地域の教会で洗礼を受けていましたので、そのさいにつけられた洗礼記録が戸籍のような役割を果たしていました。他にも、マスメディアがなく、識字率も低かった時代でしたので、一般の人たちにとって教会での聖職者の説教がメディアだったと云えます。該当書籍では、人々のコミュニケーションの結節点を押さえると、富や権力が手に入る、と指摘していますが、ヨーロッパでは長らくコミュニケーションの結節点は教会でした。フランス革命の革命家たちはその点を批判していました。彼らはカトリック教会が不当に富を独占し、貧しい人々を虐げている、と批判しました。彼らは哲学者のルソーが人間に備わっている他者への同情心である”Pitie"(憐れみ)が大切で、当時のフランスの支配階級はそれに欠けている、と考えました。それが聖職者にとどまらず、貴族や国王にまで波及しました。その結果、旧体制の支配者側とされた人間は処刑され、聖職者は俗人に戻ることが強要され、社会は混乱に陥ります。
 バークがフランス革命を批判した時期は、革命がぼっ発したばかりでしたが、この革命は失敗に終わると予想していました。そのさい、彼の根拠になっていたのは、キリスト教の原罪でした。つまり、キリスト教の理屈では、すべての人間は原罪を抱えているから、必ず過ちを犯す。どんな人間のエゴイズムから自由ではなく、かりに正しいと思って行動しても罪は必ず犯すのだから、社会を変えたいのなら、社会の秩序を維持しながらゆっくりと改革すべきだ、と唱えます。またバークは人間の生活は伝統や常識によって支えられていると述べ、一気に社会を変えたら、それら伝統や常識が消滅し、人々は行き場を失い、野蛮に転じると述べます。彼は騎士道の伝統を重んじ、すべての男性が兵役につく徴兵制を批判しました。闘うと云うのは貴族の持つ特権であり、実際に戦争をしたことが少ない平民が行えば、功名心にかられ、無謀な行動をする、と述べています。
 バークの予言は半分あたり半分外れたことになります。フランス革命が恐怖政治で貴族や国王一家をギロチンにかけたことにとどまらず、革命家同士でも敵対した相手を粛清し、ロベスピエールの恐怖政治は有名です。その後、フランスは混乱に陥り、秩序の回復のためにナポレオンと云う独裁者が熱烈に支持されるようになったのも周知の事実です。もっとも、フランス革命によって身分的な特権が一度引き離されたことで、社会は身分制度ではなく、国民によって運営されるべきだ、と云う考えが広がり、現在の国民国家が誕生します。バークが住むイギリスも身分制度は維持しながらも、国民国家化していきました。
 バークの思想は、自身も明言しているようにキリスト教の神学思想に基づいています。なので、該当書籍で指摘されているようなキリスト教の神学の隠喩よりも直接神について語っています。その分、わかりやすいと云えるのですが、同時に、保守主義はキリスト教の発想が濃厚にある思想と云えます。もっと云えば、保守主義も一種の神学と云えます。ヨーロッパでは、フランス革命によって理性によって社会をより良くすることが可能と云う近代左派思想が生まれ、それのアンチテーゼとして保守主義が生じた、と云うことになっています。つまり、理性ではなく、伝統や慣習、常識を重んじる思想潮流が保守主義と云うことになります。なので、ヨーロッパの保守主義者はキリスト教を擁護する護教論を唱える人がかなりいました。例えば、20世紀に活躍したイギリスの作家のチェスタトンは「狂人は理性以外のあらゆるものを失った人」と近代理性を批判した『正統とは何か』と云う著作で、カトリックを擁護しています。

 そんな保守主義が日本に入ってくると、問題が生じました。バークは近代理性への批判はキリスト教の原罪が根拠になっており、彼が擁護しようとしたのはキリスト教会が中世から担っていた社会秩序の維持でした。しかし、明治維新を起こした明治国家はむしろ幕藩体制から国民国家と云う社会変革を行ないました。そのため、高等教育では、人間の理性を重んじるデカルトやカント、ヘーゲルと云った思想家の著作が読まれ、民間の自由民権運動ではフランス革命の思想的な根拠になったルソーが人気でした。そのため、近代日本でバークのような保守主義に接近したのは、社会の主流派ではなく、むしろ異端的な思想を持った人物ではないか、と云われています。
 評論家の河上徹太郎の『日本のアウトサイダー』では、上記のチェスタトンの『正統とは何か』で述べられているような「正統なもの」が近代日本では欠如しているのではないか、と指摘しています。チェスタトンによれば、「正統なもの」について以下のような小話で説明しています。
 あるとき、とある男が自分の土地が欲しく、船で大西洋沖に出ました。その船で航海中はさまざまな苦難に遭いますが、とうとう島を発見します。男は武装し、島に乗り込みます。言葉が通じないと思い、現地の人とは身振り手振りでコミュニケーションを取り、宮殿らしき建物にイギリス国旗を立てます。ところがよくよく調べてみると、島だと思ったのはイギリスのリゾート地で、宮殿だと思ったのはパビリオンでした。男は沖に出たと思ったら、流し返されただけと云うことに気づきます。もっとも、チェスタトンによれば、この男は素晴らしいと云うことになります。彼は見知らぬ海を渡り、かけがえのない自分の故郷にたどり着いたのだから、「イギリスを発見した」と云うことになります。そして、この男こそ自分だと云います。
 「青い鳥」のような話に聞こえますが、近代保守主義者にとって伝統や正統は自分で発見するものと云えます。この話を読んでお気づきだと思いますが、失楽園神話の逆バージョンだと云うことがわかります。ちょうど、該当書籍で批判されているエデンの園の隠喩である「伝統的社会」で「安心」に暮らしていた人間が地上の隠喩である「近代的市場」に出て「自由」を得るのですが、同時に「不安」に陥ると云う構造を反転させたお話だと云うことがわかります。
 そんなチェスタトンの思考を河上は日本に適用したわけですが、当然ですが、そんな図式に当てはまる人はいません。そこで、河上はむしろ異端的な人たちを描くことで、日本における「正統なもの」を描き出そうとします。しかし、河上の当初の予想に反して、異端的な人たちこそ、まともなことを云っていたことに気づきます。河上は反逆的な詩人たちが常識に訴え、近代的な功利主義を嘲笑していたことを知ります。例えば、三好達治と云う詩人は敗戦後の混乱で懸命に生きる靴磨きを称賛し、反対に小象が来ただけ喜ぶ大衆を批判していました。そんな象が来ても日々の暮らしに何も関係がないだろう、と。他にも、社会主義者で関東大震災で虐殺された大杉栄や共産主義者で貧困を憂い、実際に活動していた河上肇、近代的な価値観から日本美術を擁護しようとした岡倉天心は異端的であるがゆえに独立した個人を持ち、まともだった、と云います。ヨーロッパの文脈では、大杉や河上は本来、保守主義とは相容れない左派的な人間と云うことになるのですが、「正統なもの」が明確にない近代日本では彼らは保守的な感覚の持ち主と云うことになります。
 そんな河上は詩人の中原中也に注目します。中原はダダイズムの詩人で有名ですが、そんな彼には世の中の既存秩序は嘲笑の対象でした。彼は世の中の功利主義的な発想が馬鹿らしく、笑いが止まらなかったそうです。そんな彼は自分の感覚を詩に書き連ねることで、詩人になるわけですが、やがて彼はカトリックに接近していきました。河上によれば、中原は近代社会の持っている功利主義を批判していたわけですが、そんなエゴイズムを批判するための根拠として岩盤のような揺るぎないものを求めるようになり、それが中原にとってはカトリックだったと云うことです。もっとも、中原は信者になったわけではないのですが、キリスト教に一定の関心はあったようです。
 そこから、河上は日本を代表するキリスト者であった内村鑑三に注目します。内村の生涯はまさに異端的でした。であるがゆえに、既存の国家や社会に対して厳しい批判を続けていました。河上は内村が士族出身者で、論語に親しみ、論語に書かれている「義」を聖書に見出したことで、キリスト教へと接近していったと云います。内村は「二つのJ」、つまり”Japan”と”Jesus”は矛盾することはないと唱え、アメリカのキリスト教会に反発するかたちで、日本独自のキリスト教を打ち立てようとします。河上は明治維新により武士が否定されたことで、武士道がキリスト教とくっつくようになった、と云います。つまり、近代化により功利主義的なシステムが生じたことで、本来あるべき美しい日本の姿が武士道に仮託され、それがキリスト教の宣教師たちが持っていた信仰への純粋さと結びついた、と云うわけです。
 だから、河上は日本の保守主義はキリスト教と結論づけています。かなり突飛な結論と云うことになりますが、保守主義と云うヨーロッパ起源の思想を無理やり日本にねじ込ませようとするとそうなるわけです。一般的なイメージの保守とはだいぶズレているように思われます。

 なお、昭和の保守言論人たちは上記のような話を知っていました。とは云え、そんな神学的な話をしてもたいていの日本人には理解するのが難しいので、「近所のそば屋を守る」とか「常識に帰れ」「職人を大切にしよう」とか、なるべく親しみやすいことを云っていました。あるいは、文学的な感性で人間のエゴイズムを描くことをバークの原罪の代用としていました。以前、対談しました『生きるための日本史』では、山本七平が批判されていましたが、日本の保守論壇で現在も人気があるのは、彼がクリスチャンで、キリスト教に関する知識があったからです。少なくとも、クリスチャンだから、キリスト教に詳しいだろうとみなされたわけです。戦後の日本では長らく左派や革新の言論人が勢力を持っていました。それに異議申し立てするのが保守言論人とされていましたが、戦前の皇国史観のようなものを持ち出すわけにいかず、かと云って日本ではキリスト教の概念がほとんど通用しませんが、肝心の保守思想はキリスト教神学で成り立っているので、日本の保守思想はねじれた論理を持ち続けます。結果、日本の保守論壇はアンチ左翼と云う感覚が残り続けます。

 平成になるとソ連が崩壊したことで、左派や革新勢力が勢いを失い、保守論壇が盛り返しますが、「伝統」も「正統」も本来の日本語にない概念なので、混乱に拍車がかかります。平成の保守言論人を代表する西部邁はそんなジレンマや混乱を体現してしまったと云えます。西部は保守思想家のオルテガの『大衆の反逆』に影響を受け、戦後の大衆社会への批判を行ないました。彼が注目を集めたのは、90年代の政治改革を批判したことです。当時、自民党は政治腐敗により、与党から野党に転落し、政治改革が叫ばれました。その結果、政権交代可能な二大政党制を構築するために、中選挙区制から小選挙区制、派閥よりも党の執行部が決定を下せるようにするなどの改革が行なわれます。西部はそんな急激な改革は社会に混乱をもたらすと、保守主義の観点から批判を加えます。それはバーク以来の保守主義者が行なってきたことでした。彼はまたチェスタトンに影響を受けました。ちなみに、チェスタトンの『正統とは何か』の邦訳版には、西部のしるした「序」が収録されています。昭和の保守思想家や西部は保守主義は本来、ヨーロッパのキリスト教思想から派生していることを熟知していたわけですが、平成に入るに連れてそう云う感覚が薄れていきます。もっとも、保守主義の自体が一種の神学で、文化的な背景を持たない日本でその概念を振り回せば、よくわからないものになるのはある意味では必然と云えるかもしれません。ちょうど、該当書籍で触れられているマイケル・ポランニーが提唱した”Tacit Knowing”が「暗黙の知識」に誤解されたのと似ています。
 西部はやがて保守主義に基づいた雑誌「発言者」(後に「表現者」が後継し、現在の名称は「表現者クライテリオン」となる)を創刊し、政治家とも交流を行ない、新しい歴史教科書をつくる会に参加したりします。そんな西部の影響を受けた政治家の一人に、若手議員時代の安倍晋三さんがいました。西部がホストをつとめていたテレビ番組「西部邁ゼミナール」では安倍さんや稲田朋美さんが出演していました。西部は当初、安倍さんに期待していた節があり、第一次政権で失敗したあと、自身の番組に呼んで叱咤激励したようですが、政権に返り咲いた後、批判に転じます。ぜんぜん保守主義を理解していない、と。西部の弟子であった中島岳志さんは当初から安倍さんの政権運営の仕方が保守主義とは相容れないと述べ、政権を失ったのは必然だ、と批判していたのですが、当時の西部は「水に落ちた人を叩いてはいけない」とたしなめたようです。もっとも、第二次政権になってから「中島くん、君は正しかった」と語ったそうですが。
 西部が第二次安倍政権に批判的だったのは、教養人だった彼からみて勉強が嫌いで支離滅裂な日本語をしゃべる安倍さんの姿が耐えられなかったのもありますが、保守主義がかかげてきた「自由」”Liberal”とは相反するような政権運営を行なっていたからです。該当書籍では「共同体/市場」「伝統/近代」「強制/自由」などの二項対立は「エデンの園/地上」がもとになっている、と述べていますが、フランス革命を起こした近代啓蒙主義は「共同体」を否定することで「自由」が獲得できると主張していました。バークはむしろ「共同体」こそが「自由」を確保すると述べていますが、バークの述べている「自由」は「選択の自由」ではなく「寛容」のことでした。実際、「自由」と翻訳されている”Liberal”は”Liberty”の形容詞ですが、「気前のよさ、寛大な、心の広い、豊富な、紳士たるに適当な、教養のための」と云う意味が含まれているように、「高貴な義務」”Noblesse Oblige”を表していることがわかります。そのため、保守主義の「自由」は「選択の自由」ではなく、貴族的な高貴さや寛容さに基づいた「自由」でした。事実、西部の主著『リベラル・マインド』では「自分と異なる他者への寛容こそが自由だ」と述べています。そのため、生前の西部は思想的には相容れないはずの左派言論人や共産党とも対話を行なっていました。
 もっとも、そう云う論理は「エデンの園/地上」と云う二項対立的な図式が頭に入っていないと理解するのが難しく、「自由」とは「人間の理性に基づいた選択だ」と云う主張を知った上で、「いや、真の自由は伝統と共同体で培われた寛容だ」と云われて納得できないといけません。少なくとも、安倍晋三さんを含めた政治家やかなりの数の保守言論人は上記のような思想的な背景が理解できませんでした。事実、安倍さんは自身が保守主義に関心を持ったのは「アンチ・リベラル」と云う心情からだ、と述べています。
 現在の保守論壇では、「バークはイギリスの伝統に基づいて議論を展開したから、日本の伝統は天皇と皇室こそが保守だ。天皇を認めないやつは日本人ではない」と云う戦前の国体論の焼き直しのような議論がまかり通っています。あるいは「戦後の左翼は先の大戦に否定的だから、保守は先の大戦を擁護しなければならない。英霊を祀っている靖国神社を参拝するのが保守だ」「朝日新聞やNHKはかつての日本の戦争に否定的な報道を行なっていたから、反日メディアだ」と云うような議論が行なわれていたりします。他にも、いろいろ細かい議論はたくさんあるのですが、一般の日本人にはついていくのが難しいと思います。もっともそれはバークが述べていた「保守」と云う概念そのものがキリスト教神学由来の言葉で、文化的な背景が異なる国で無理やり議論しようとすると、めちゃくちゃになるわけです。映画「れいわ一揆」の冒頭で、自民党の丸川珠代さんが「ニッポン人に生まれて良かった」とか三原じゅん子さんが「野党の皆さん、恥を知りなさい」と云うようなバークや西部が述べていた「寛容」とは程遠い発言をしているのは、そんな保守論壇のめちゃくちゃな議論に影響を受けたからです。私は深尾葉子さんの提唱していた「魂の脱植民地化」の議論は大変納得がいきました。保守言論人の大半が無茶苦茶なのは、日本語にない概念を無理やり飲み込んでいるからだ、とわかりました。そんな保守論壇の実態にご関心がありましたら、作家の古谷経衡さんの『愛国商売』がおすすめです。「常識」を重んじるはずの思想を説いている人たちが一番常識はずれと云うパラドックスを見事に描いています。


 意外かもしれませんが、保守論壇ではけっこうな割合で内紛が生じます。古谷さんの小説ではその様子がおもしろおかしく描かれていますが、内紛が起こりやすい背景はただでさえめちゃくちゃな議論をしているにも関わらず、各人バラバラな意味で「保守」を使っているからだ、と云えますが、同時に、該当書籍で議論されているような「何かを共有する」「共にする」と云うコミュニケーションの論理を受け入れているからだ、と云えます。
 では、先ほど述べたように「コミュニケーション」に”Ex-”をつけると、「破門」になり、「何かを共有する」と云うことがかくも宗教的な意味を内在しているのは理由があります。それは聖書でイエスが弟子たちと食事を共有していたからです。この食事は一般的に「最後の晩餐」と云われ、イエスがローマ当局に逮捕され、処刑される前に取ったことで非常に大きな意味を持ちます。なお、レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」はこの場面を描いています。
 イエスは食事のさいに、弟子たちに次のように語ったと云います。

一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱えて、それを裂き、弟子たちに与えながら言われた。「取って食べなさい。これはわたしの体である。」また、杯を取り、感謝の祈りを唱え、彼らに渡して言われた。「皆、この杯から飲みなさい。これは、罪が赦されるように、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である。言っておくが、わたしの国であなたがたと共に新たに飲むその日まで、今後ぶどうの実から作ったものを飲むことは決してあるまい。」(新共同訳聖書、マタイ、26:26-29)

 イエスが語った「このパンは私の体だ。このワインは私の血だ」と云う言葉はその後、キリスト教では重要な儀礼となります。 初代教会でキリスト教の伝道師だったパウロはギリシャのコリントにあった教会にあてた手紙の中で、イエスが弟子たちと共に取った食事の再現について指示をしています。当時の教会では信者同士が集まっているものの内紛が耐えなかったそうです。この文章を読むだけでも「何かを共有にする」「共にする」と云うことが、いかに難しいことなのかがわかります。

まず第一に、あなたがたが教会で集まる際、お互いの間で仲間割れがあると聞いています。わたしもある程度そういうことがあろうかと思います。あなたがたの間で、だれが適格者かはっきりするためには、仲間争いも避けられないかもしれません。それでは、一緒に集まっても、主の晩餐を食べることにならないのです。なぜなら、食事のとき各自が勝手に自分の分を食べてしまい、空腹の者がいるかと思えば、酔っている者もいるという始末だからです。あなたがたには、飲んだり食べたりする家がないのですか。それとも、神の教会を見くびり、貧しい人々に恥をかかせようというのですか。わたしはあなたがたに何と言ったらよいのだろう。ほめることにしようか。この点については、ほめるわけにはいきません。(新共同訳聖書、コリント一、11:18-22)

 そこで、パウロは次のようにイエスの行なった食事の再現を指示します。一定のルールに基づいて行なうように述べます。

従って、ふさわしくないままで主のパンを食べたり、その杯を飲んだりする者は、主の体と血に 対して罪を犯すことになります。だれでも、自分をよく確かめたうえで、そのパンを食べ、その杯を飲むべきです。主の体のことをわきまえずに飲み食いする者は、自分自身に対する裁きを飲み食いしているのです。そのため、あなたがたの間に弱い者や病人がたくさんおり、多くの者が死んだのです。わたしたちは、自分をわきまえていれば、裁かれはしません。裁かれるとすれば、それは、わたしたちが世と共に罪に定められることがないようにするための、主の懲らしめなのです。わたしたちの兄弟たち、こういうわけですから、食事のために集まるときは互いに待ち合わせなさい。(コリント一、11:27-33)

 
 後に、イエスが行なった食事は儀礼となり、キリスト教の礼拝の大事な場面となります。なお、この儀礼のことを英語で、”Holy Communion”と云います。イエスの体であるパンと血であるワインを共に飲み食いすることで、「一致」”Union” することになります。もっとも、パウロが述べているように、「ふさわしくないまま」ではパンとワインはもらえないことになっています。つまり、この食事のあり方は宗派によって儀礼の仕方が別で、同じ信仰を共にしていることを確認する儀式でもあるわけです。もっと云うと、同じ宗派の信者だけがその宗派で定められてた方法で、食事をあずかれるわけです。
 例えば、プロテスタントも東方正教会も食事の前に祈りの言葉を唱えますが、映像をみると、だいぶ儀礼の仕方に差があるのがわかります。





 こう云うわけで、「コミュニケーション」に”Ex-”をつけると「破門」になるのは、キリスト教の文脈では一緒に同じ食事ができなくなると云うことになります。なので、宗派ごとに食事の仕方が大きく異なるわけです。ヨーロッパの思想や学問に「何かを共有する」と云う概念が強いのは、そう云う文化的な背景が強いからです。それは単に哲学や思想のような知的世界に留まらず、一般の人にも広く浸透している考えです。ある意味では、日本の七五三に近く、子どものときに教会で一緒に食事を取るのが習慣になっている、と云えます。
 例えば、2018年に公開されたポーランドのドキュメンタリー映画「祝福 オラとニコデムの家」では、機能不全家族(父親はアルコール依存症で、母親は失踪)で生きる少女・オラが自閉症の弟・ニコデムに最初の”Communion”を受けさせようとする姿を描いています。主人公のオラは信心深い人ではないのですが、教会で弟が食事を取らせれば家族が一つになると考えるのは、”Communion”の「共に一致して食事をする」と云うことがヨーロッパのキリスト教文化圏では社会を成り立たせている基盤と考えられているからです。もっとも、ヨーロッパを中心に海外では話題になったのですが、日本ではあまり話題にならなかったのはやはり文化的背景の差とも云えます。


 さて、該当書籍のタイトルは「船出」です。各章ごとの内容は難しく、前提知識も膨大に必要です。まさに、知の海を船出している、と云えます。もっとも、安冨さんが訴えたいことは明確です。それは、「欺瞞に満ちた世界から抜け出して、生きるための思索をしよう」と云うことです。該当書籍以後の10年代の安冨さんの言論活動の主軸は、そこだろうと思います。
 ここで、私なりに安冨さんが訴えている内容とかぶる映画を二つ紹介します。

 一つは、1957年に公開された黒澤明監督の「蜘蛛巣城」です。

 もう一つは、 2019年に公開されたホアキン・フェニックス主演の「ジョーカー」です。


 この二作は国も描かれている時代も大きく異なるのですが、共通点があります。
 それは、主人公が生きている世界が極めて欺瞞に満ちており、周囲にいる人間が主人公に絶えずハラスメントを仕掛け、事態が主人公本人が望んでいない方向へ暴走してしてしまうことです。
 「蜘蛛巣城」の主人公の戦国武将の鷲津武時は、蜘蛛巣城の主の座をめぐり、主君や友人を手に掛け、狂気に陥ります。
 「ジョーカー」の主人公の大道芸人のアーサーは、地味で目立たない凡人だったのですが、ふとしたきっかけで殺人を犯し、しだいに悪のカリスマ「ジョーカー」へ変貌を遂げます。
 鷲津もアーサーも当初は自分から望んで殺人を犯したのではないことです。鷲津は妻から「主君を殺さないと、あなたが殺される」とハラスメントを受け、半ば強引に主君を殺します。アーサーは、持病である自分でも望んでいないのに笑いが止まらくなくなる病気が理解されず、暴行を受け、たまたま持っていた銃で相手を殺します。
 しかし、鷲津もアーサーも当初犯した殺人が本人の意図を越えて周囲に解釈され、狂気に飲み込まれていき、周囲を巻き込んで暴走していきます。 
 鷲津は妻から一国の主から天下人になる野望を持たされ、アーサーはたまたま殺した相手が証券マンで、貧困層から支持を受けます。
 もっとも、映画のラストをみると、二人の運命は、異なるようにみえます。鷲津は味方に裏切られ、矢を全身に射掛けられて死にます。一方で、アーサーは「ジョーカー」として生きることで、はつらつとした姿をみせています。
 両者の運命の差について、私は該当書籍で議論されている「関所資本主義」から「ブランド」への移行が重要な示唆を与えると思います。
 「蜘蛛巣城」が公開された時代は、「関所資本主義」の全盛期と重なります。描かれている時代は、戦国時代でしたが、監督の黒澤が描きたかったのは「権力の持っている暴力性」であり、それは端的に「蜘蛛巣城」と云う城に象徴されます。そのため、同作では暴力の姿が非常にわかりやすく可視化されています。それは、「関所資本主義」の時代では、巨大な権力が必要だったことと重なります。
 一方で、「ジョーカー」の舞台は、80年代のアメリカです。ちょうど、該当書籍で指摘された「関所」から「ブランド」へ移行した時代に重なります。もちろん、インターネットやスマホはありませんが、描いているのはまさしく現代社会そのものです。劇中、アーサーは何度も暴行を受けるのですが、暴力はみえません。暴力が巧妙に隠蔽され、周囲から目視できません。アーサーが受けている暴力が認識しづらいのは、「関所」と云う目にみえるかたちで権力がなく、「ブランド」と云う目にみえないものが社会を動かすようになったことと関連すると云えます。当然、そうなれば暴力も権力も目にみえないかたちになるわけです。
 両者の運命の差は、鷲津は「関所」の主になろうとし、アーサーは自分を「ブランド」にしたこと、と云えるかもしれません。
 鷲津はどこまでも重々しく、アーサーはどこまでも軽々しいのです。該当書籍では、関所資本主義時代は技術が「重厚長大」だったが、コンピューターが出現してからは「軽薄短小」になった、と指摘しているのとかぶります(158頁)。
 それは、両作の劇中に流される音楽を聴き比べれるとわかります。
 「蜘蛛巣城」では、劇中の演出は能楽の様式美を参考にしており、音楽にもそれが表現されています。



 劇中の冒頭では、能で歌われる「地謡」のような男性のコーラスが出てきます。


 見よ、修羅妄執の城の跡 
 魂魄、未だ住む如し 
 それ執心の修羅の道
 昔も今も変わりなし

 一方で、「ジョーカー」では、劇中ではアメリカのエンターテイナーのフランク・シナトラの”That's Life"が流れてきます。

 「上手くいくときもあれば、失敗することもある。人生はそんなものだ。ぼくは上手くいかなければ、このまま死んでしまう」と云う歌詞の内容は陳腐さと深刻さが同居しているにも関わらず、音楽は軽快です。それはちょうど悲惨な運命に翻弄されているアーサーが殺人鬼になることで、生き生きとした姿になるのと重なります。


 劇中の演出に関しても両者は大きく異なります。
 「蜘蛛巣城」はどこまでも重厚で重々しく、強烈な印象を与えます。鷲津武時を演じる俳優の三船敏郎の表情は荒武者の亡霊の能面の「平太」を参考にしており、じょじょに死の世界へ向かっていく主人公を表現しています。特に、ラストシーンで、鷲津が味方に裏切られ、大量の矢を打ち込まれて狂死する姿はこれ以上ないぐらい重々しいです。ちなみに、使用されたのは実物の矢で、三船の表情は本物の恐怖です。
 一方で、「ジョーカー」はどこまでも軽々しく、軽薄です。むしろ、その軽さが爽快感のようなものを与えます。大道芸人であるアーサーは劇中で何度もダンスを踊ります。そのダンスは道化師が踊るパントマイムのようで、滑稽です。しかし、ジョーカーになるにしたがって、その滑稽なはずの踊りが謎の輝きをみせます。特に、階段を下るさいのダンスは強烈です。まるで、ありとあらゆる呪縛から解き放たれ、生き生きとしているかのようです。


 なぜ、鷲津の最後が悲惨で、アーサーの姿が輝いてみえるのか。
 それは、「関所資本主義の重さ」から「ブランドの軽さ」への移行と云うことで説明できるかもしれませんが、一方では、欺瞞のかたちが黒澤が生きていた時代と現代では大きく異なることを表現しているとも云えます。
 安冨さんは、特典動画で現代はシステム自体が虚無主義化しており、ありとあらゆる人が虚無的で、虚無主義者は普通の人にみえる、と指摘しています。「虚無主義」はニヒリズムのことで、哲学者のニーチェが述べた「神は死んだ」と云う言葉で説明されることが多いですが、私は元東京都知事で国際政治学者の舛添要一さんの『ヒトラーの正体』での議論が参考になると思います。

 
 舛添さんは、「ニヒリズム」の意味は「破れかぶれ」「やけっぱち」と云うほうがしっくりくると云います。なぜなら、「ニヒリズム」自体に何か思想や価値観があるわけではなく、極めて場当たり的な行動をするからです。舛添さんは、ヒトラーの政治行動は「ニヒリズム革命」と評し、何か具体的な理論があったわけではなく、場当たり的に政策決定を行なっていた、と云います。
 現代社会の欺瞞の根源は、社会自体がやけっぱち化しているからだ、と云えます。
 黒澤の映画作品は、彼の怒りを表現している、と云われています。黒澤について調べて気づいたのですが、彼は極めて左派的な思想に共感を持っていた人物でした。黒澤は、映画監督になる前は画家を志望しており、戦前はプロレタリア芸術運動に関与しており、地下活動に参加した経験があります。黒澤の作品はヒュマーニズムに溢れた内容でもあるのですが、同時に人間を抑圧する存在への厳しい批判が込められています。「生きる」では形式的な官僚主義が批判され、「蜘蛛巣城」では権力の横暴が批判されているわけですが、それらの背景にある「世の中、そうなっているのだから仕方がないだろう」と云うニヒリズムへの怒りの表明とも云えます。
 黒澤が生きていた時代は、社会への怒りをストレートに表現することで、作品をつくりあげ、それが支持されていたわけですが、現代は黒澤が生きていた時代と比べてニヒリズムがより深くなったことで、怒りを表現しても空回りしたり、観客に届かなくなった、と云えるかもしれません。
 アーサーの行動は極めてニヒリズム的なのですが、それが輝いてみえるのは、彼の周りにあった隠蔽された暴力に対して、目にみえるかたちで暴力を振るうことで、彼が解放されたかのようにみえるわけです。もちろん、それは「ニヒリズムA」に対して「ニヒリズムB」でもって対抗しているのに過ぎないのですが、それだけ現代社会では暴力のかたちが隠蔽され、人間がやけっぱち化しているからだ、と云えます。
 もちろん、暴走の構造は「蜘蛛巣城」と同じなので、最後は死が待っているのですが、座して死を待つよりも自分から死に向かうことで、皮肉にも自分らしく主体的に行動しているようにみえるわけです。アーサーは欺瞞に満ちた自分の生きる世界を、ジョーカーと云う自分自身がつくりあげたわかりやすい欺瞞の顔で破壊しようとした、と云えます。それが輝いてみえるのは、私たちが生きてる社会は巨大な蜘蛛巣城で、目にみえない矢が大量に飛んでいるからだ、と云えるかもしれません。
 安冨さんの思索は、いかに「蜘蛛巣城」から抜け出し、やけっぱち化しないで生きるべきかを探っていると云えます。
 該当書籍では、その理論を体系的に探ったと云えます。



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