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ライブ盤の絶滅を許すな!

僕は途方も無いロマンチストだ。気持ちが悪いくらいの夢追い人だ。うどんとロマンには誰よりもうるさい。

そんな短気は損気 石井はカールスモーキーな浪漫飛行芸人の僕がここ20年くらい、唇を噛み続けて血まみれになりながら、夜も寝られず徘徊と脱糞を繰り返す狂ったナマハゲになるほど悔しいことがある。ライブ盤の絶滅だ。

「オマエはいくつになってもアホだなぁ。オマエが追っているのはロマンでも夢でもナマハゲでもなく生ハメだろうが!ライブ盤は別に絶滅していないよ!」

おっしゃる通り。いや、僕は生ハメを追い求めたことはないし、人生ここに至ってハメよりもハムを追い求めるぽっちゃり真人間にはなっているんだけど、そこは別にどうでもいい。ムッシュムラムラじゃないんよ。たしかに、ライブ盤のリリースが潰えることはない。だけど、アンちゃん、そこにロマンはあるのかい?という話でね。

かつてライブ盤は、バンドのフラッグシップ的な存在だった。少なくとも僕はそう捉えていた。

だってそうでしょ?DEEP PURPLE の代表作は? "Made in Japan"。MSG の代表作は?"Live at Budokan"。MOTORHEAD の代表作は? "No Sleep 'Til Hammersmith"。最近、アラン・ホワイトが亡くなったので "Yessongs" をヘヴィロテしているんだけど、やっぱりあのアルバムも YES の代表作だ。

そうなんだよね。かつてライブ盤は、バンドの代表作足りえたんだ。

ライブ盤がなぜ人気だったのか。なぜ代表作足りえたのか。

まずは、その時点でそのバンドにとってのベスト盤的な選曲がなされていること。これはたしかに大きな理由の一つだろう。サブスクなんてなかったから、ヤマハのスピーカーの下に隠されていた親父のパチンコ資金をしばしばクスねていた金欠メタル少年にとっては、ありがたい作品の趣旨にはちがいない。

ただ、まあ、大事なのはそこじゃないんだよね。

例えば、Ozzy Osbourne の "Live & Loud" ね。僕はこのアルバムがザック・ワイルドの最高到達点だと思っている。とにかく、リフもソロもザックの創意工夫、アドリブが冴えわたっている。ランディ、ジェイクの面影を追うザックも最高なんだけど、やっぱり "War Pigs" ね。こんなに重くて、ダイナミックで、カタルシスを与える "War Pigs" はこのバージョン以外にない。本家を超えてる気がする。で、それって結局、ランディ・カスティロやマイケル・アイネズの助演男優賞なしでは成り立たなかったわけで。

つまり、ライブ盤って、スタジオ盤で演奏していた人とは別の人の演奏を楽しめる、もし大好きなあの人が大好きなあの曲をやったらどうなるんだろう?という "If" の世界を叶えてくれる夢の国だったんだよね。

そういう意味では、ROYAL HUNT のダブル・ライブ・アルバム "1996" もまさに夢の国だったよね。ヘンリクでは叶わなかった D.C. の伸びやかな高音で、1st, 2nd の名曲がオリジナルを超えて存分に楽しめたわけだから。

同様のことは、カバー曲にもいえる。やはりライブのセットリストにカバー曲を盛り込むのは定番なわけで、だからこそライブ盤ではグッとくるカバー・バージョンが聴けることが多い。

DREAM THEATER はライブにおけるカバーの意味や楽しさを伝えてくれる、数少ないバンドの一つ。後に、まるまる一枚のアルバムをカバーするライブ盤も出すようになるんだけど、"A Change of Seasons" に収録されたカバーの数々は素晴らしかったね。バンドの好きな曲を演るわけだから、納得できるルーツもあれば意外なルーツもある。まず、勉強になるんだよね。実際、僕もこの作品を聴いて、エルトン・ジョンを聴き漁ったからね。加えて、彼ららしいアレンジを施したり、歌や楽器の個性も楽しめたりする。応募でもらえた、RUSH の "Tears" は絶品だったよ。

そして何より、CD とは異なる演奏。前もってアレンジしていても、インプロヴァイズでもいいんだけど、ライブではやっぱり CD で聴けない挑戦を見たいんだよね。DREAM THEATER でいえば、"Once in a Livetime" の "Take the Time" のインストパートで聴けるポートノイの神フィルインとかね。それスタジオ盤でやってよ!みたいなやつよ。

マイケル・シェンカーやゲイリー・ムーアはもちろんスタジオ盤でも神なんだけど、ライブでは神を超えている。シェンカーだと "Live at Budokan" の "Armed and Ready" とか、"Strangers in the Night" の "Rock Bottom" とか、スリルの度合いがさらに爆上げされているからね。やっぱりライブだと、感情を司るチョーキングのニュアンスが、より生々しく伝わってくるね。ゲイリーの "パリの散歩道" はやっぱりライブ盤がベストだよ。あのチョーキング一音だけで場内を熱狂の渦に巻き込む場面ね。あれこそが、ライブ盤の奇跡なんだよ。ありがとう オリゴ糖 おめでとう ふきのとう。

別に音楽は人生を変えないけど、僕をこの奇妙でステキなメタルの世界に引きずりこんだきっかけの一つは、間違いなく Mr.BIG の "Raw Like Sushi" シリーズだ。まさに "生"。あのシリーズには、ライブ盤のライブ盤たる所以がすべて詰まっていたよね。カバーもやっていたし、手を替え品を替えスタジオとの差別化を図っていたし、何よりソロタイムが衝撃的だった。余談だけどビデオだと、ビリーとポールが互いの楽器を弾きあったり、マキタのドリルが炸裂したりもっと楽しい。

やっぱりね、楽器をやる人にとって、ステージに一人だけになって10分間もソロをやるって一番の夢なんだよね。ポールやビリーのソロタイムには、あの頃の最高のテクニックやアイデアが詰まっていたよね。パットは "Yesterday" を歌いながら叩いていたけど、爽やかすぎて好き付き合いたいってなったよね。

エディの "Live Right Here, Right Now" とか、イングヴェイの "Live in Leningrad" もそうだけど、あれほど長いソロタイムを飽きさせずに演れるってすごいことだよね。30秒、美味しいとこだけ切り取りましたじゃないんだから。今、アレを演る気概というか胆力のあるアーティストなんてほとんどいないんじゃないかな。

そりゃ、YouTube や SNS、ストリーミングは便利だよ。新しいメンバーの実力もすぐに測れるし、珍しいカバーをやったとなればすぐに視聴できる。どんな人なのかな、どんな声なのかななんてミステリアスなバンドにワクワクする間も無く、SNS で好きなアーティストの昼ごはんまでわかってしまう。わざわざベスト選曲のライブ盤を買わなくても、無料で全作聴くことだって可能だ。

だけど、そんなすぐに全てが明るみに出てしまうロック世界にロマンはあるんだろうか?僕はね、価値ある作品としてのライブ盤がほとんど消えてしまったのは、ライブ盤がファンだけのためのコレクション・アイテムに成り下がってしまったのは、その辺に理由があると思うんだ。

ライブ盤は、ミステリアスなバンドの "生" を、素顔を垣間見られる重要なチャンスだったんだ。だからこそ、アーティストもスタジオ盤を越えよう、カバーでアイデンティティーを見せつけよう、ソロパートにすべてを注ぎ込もうとしてきたわけでしょ。

だからね、若旦那。全てが白日の下に晒されているのはわかる。勝手に撮られてネットに上げられてるのに、わざわざライブ盤を作る気がしないのもわかる。わかるんだけど、それでもネットが発達して以降の "メタル2.0世代" のアーティストたちには、そうした作品としてのライブ盤、演奏、構成、アドリブなどの創意工夫でスタジオ盤を超越したライブ盤の制作を願ってやまない。ただ "しっかり演奏しました!" みたいなライブ盤はもういらないから、音楽本来の楽しさを伝えてほしいな。うん、やっぱりライブ盤は大事、板東は英二。






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