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MARS VOLTA : 解散と復活の裏で暗躍したサイエントロジーというカルト宗教

「ファンを失うことは、僕らの計画に組み込まれている」

2013年の解散でファンに衝撃を与えた THE MARS VOLTA のセドリック・ビクスラー=ザヴァラとオマー・ロドリゲス=ロペス。サイエントロジー教会がいかにMARS VOLTA を追い詰め、解散へ導いたか、そしてサイエントロジーへの反発がいかにニュー・アルバムの原動力となったのかを明かす Guardian 誌のインタビュー。(翻訳記事)

セドリック・ビクスラー=ザヴァラが2009年にサイエントロジー教会に入会したとき、彼はそれを "ヨガのクラスか自己啓発グループに申し込む" くらいに軽く考えていました。妻 (TV スターのクリッシー・カーネル) や友人の紹介で、米国のロックバンド THE MARS VOLTA のフロントマンは、週1000ドルのマリファナ中毒に対処するための入会プロセス(1日中サウナに入る厳しいセッションを1ヶ月続ける)を受けたのです。彼は、サイエントロジーが代償を伴うことに気付くまでは、それが役に立つと考えていました。サイエントロジーはやがて習慣になり、信者にとっての"松葉づえ" になってしまうのです。「サイエントロジーに関わったことで、多くの親しい友人たちから疎外されることになった」

この友人リストのトップこそ、テキサス州エルパソにおける幼少期からの友人であり、MARS VOLTA 唯一の不変のメンバーであるオマー・ロドリゲス=ロペスでした。オマーは率直にこう語っています。「セドリックがサイエントロジー教会に入ったことが、MARS VOLTA の解散の一因になったんだ。彼が信じ始めた絶対主義的な考えのために」

セドリックは、この宗教が自分を "雲の上の存在" にしてしまい、宗教を持たずに "行き詰まっている" と考える周囲の人々を見下すようになったことを認めています。

2013年にバンドが解散したとき、ファンは唖然としたものです。2001年にパンク・バンド、AT THE DRIVE-IN の灰の中から MARS VOLTA を結成して以来、2人はジャズ、メタル、ラテン音楽、プログを融合した、悪魔のように複雑なコンセプト・アルバムを6枚もレコーディングしてきました。休止期間中、2人は再結成した AT THE DRIVE-IN と広範囲に渡るツアーを行い、スーパーグループ、ANTEMASQUE を結成していました。そして、この夏、遂に再結成を発表したのです。2人が2019年から秘密裏に制作していたセルフ・タイトルの新作は来月リリースの予定。

それだけつかず離れずの関係を保ちながら、二人とも、サイエントロジーの話になると歯切れが悪くなります。実はサイエントロジーは2人が別れた理由の1つであるだけでなく、彼らの新しいアルバムのテーマにもなっています。2016年と2017年、セドリックの妻カーネルを含む4人の女性が、サイエントロジー教会の会員で米 "ザット'70sショー" のスターだったダニー・マスターソンに00年代初頭にレイプされたと告発。カーネル(当時マスターソンの共演者であり恋人)は、これらの暴行のうち1回で意識を失ったと主張しています。刑事裁判は今月末にカリフォルニア州で始まり、マスターソンは有罪となれば最高で45年の禁固刑に処されることになるのです。彼はすべての訴因を否定していますが、女性たちはまた、司法妨害の共謀の疑いでマスターソンとサイエントロジー教会を別に告訴しています。女性たちは、教会の代理人から尾行、嫌がらせ、監視を受けたと主張し、カーネルも、彼女の犬2匹が殺されたと主張しています。マスターソンと教会の両者は、すべての疑惑を強く否定していますが…。

つまり、セドリックは民事訴訟の原告でもあるため、言葉を慎重に選ぶ必要があるのです。
「このアルバムで書いているのは、妻とその(霊的な)姉妹が大変な目に遭ってきたことについて。僕は彼女たちの言葉に耳を傾け、感情的な犠牲を分かち合い、"君たちは一人ではない" とこのアルバムで言っているんだ。MARS VOLTA はクレイジーで戦いが好きな人たちという見方があるけど、あの感情は人間の心の暴力的な部分から来るもので、ここで僕はただ感情的なサポート役をしているんだ」

重いテーマを扱うことは、"自分たちのルーツに敬意を払い、死者に敬意を払う" ことを結成の使命としたグループにとって目新しいことではありません。しかし、以前こうしたストーリーは抽象化されたり、空想的な物語に変換されたりしていました。セドリックの新しい歌詞は、少なくとも彼にとっては、珍しく明快で要点を押さえたものだといいます。"四つん這いの犯人に一番黒い光を当ててやる "と、シングル "Blacklight Shine" で彼が歌うように。


今回の彼らには、軽快さがあります。MARS VOLTA の再結成で、彼らが迷宮のようなヘヴィな特徴を排除した、比較的ポップな曲で戻ってきたことは一部のファンにはショックでしょう。"Blacklight Shine" は、70年代半ばのデヴィッド・ボウイや、ラテン風な STEELY DAN を思わせる物憂いファンク・グルーヴに彩られています。たしかに MARS VOLTA は解散前から "ポップ化" の一途をたどり、それが解散のもう一つの要因でもありました。2007年にオマーがポップスの実験に言及したとき、セドリックはそのアイデアを受け入れなかったと言います。
「僕はジャンルにとらわれない。音楽で何かを感じられるかどうかだけが重要なんだ」

"Blacklight Shine" と "Graveyard Love" のビデオ下のコメントは、圧倒的にポジティブなもので占められていますが、セドリックは少数のネガティブな反応を気にしないようにしています。
「この変化を裏切りだと思う人もいるかもしれない。ヨット・ロックと呼ぶ人もいる。でも、ヨットロックはヒップホップのプロデューサーがよくサンプリングするほど、ハードなスラップなんだぜ?」

オマーは、「ファンを失うことは、僕らの計画の中に組み込まれている」と言います。「自称ファンを失うこと以上に大きな幸せはない。真のファンとは、バンドに今起きていることに興味を持つ人のこと。バンドのやることをコントロールしようとしたり、自分の意見を投影しようとする人は離れていいんだ。僕はそういう押し付けに嫌悪感を抱いているから。まるで学校と同じように思える。それか政府みたい。警察のようでもあるね。そして残念なことに、自分がファンだと思っている人の多くが、結局はそういう考えを持っているんだ」

思ったほどのよう反発がないのは、彼らがいない間に音楽産業が大きく変化を遂げたからかもしれません。MARS VOLTA が活動休止していた10年で、ポップはアヴァンギャルドの戦場と化していたからです。 セドリックは、「僕らにできる最も革命的なことは、ポップなレコードを作ることだ」と言います。

それがセルアウトのためではないという証明は、新曲の質の高さにかかっています。シングル曲の"Vigil" は、Hall & Oates、80年代半ばの Peter Gabriel、初期の TALK TALK の間に位置する、MARS VOLTA 史上最もキャッチーな楽曲で、"Shore Story" は、まるで彼らがずっとこの音楽を演奏してきたかのような原始的な R&B。セドリックはテキサスでメキシコ人の両親のもとに生まれましたが、R&B も "自分の" 音楽だと言えます。「R&Bは僕たちのDNAにとって異質なものではないんだ。むしろ刻まれている。僕が子供の頃、両親が聴いていた音楽だから。スケボーセッションが終わって家に帰ると、Sunny & Sunliners や Penguins がたくさん流れていたよ」

セドリックが妻のトラウマに直接反応したことが新たな創造的成熟を物語っているとすれば、オマーも姿勢の変化を共有しています。このギタリストはプエルトリコ出身で、故郷の植民地時代の歴史に光を当てることに興味を持ち、MARS VOLTA の新しいビデオを作りました。かつて彼らの映像美はエキゾチックでシュールで派手でしたが、"Blacklight Shine" に収録された11分間の映像は、プエルトリコで録音されたパーカッショニストとの即興ダンスによるボンバで、この島の先住民文化と奴隷制度のルーツの両方を語っていました。"Graveyard Love" のショートフィルムでは、さらに踏み込んで、島の植民地時代の歴史に関する長いリストと、1954年に米国連邦議会議事堂を武装襲撃した自由の闘士ロリータ・レブロンのエピグラフを示しています。
「私は誰も殺しに来たのではない。プエルトリコのために死にに来たのだ!」

この "血" という考え方は、グループの和解に役立ちました。2013年にセドリックが双子の父親になったとき、オマーは友人の子供を初めて抱いたのは「息を呑むような瞬間だった...きっとそれが二人の呪いを解くのに役立ったのだろう」と語っています。

オマーは今でも1日に5回は死んだ親族や友人の名前を挙げて自らのルーツや血を確認します。
「それは音楽よりも深いもの。アメリカ人は死ぬことを病的に恐れているが、彼らが理解していないんだ。死はすでに起こっている。それは避けられないことで、常に僕たちと一緒なんだ。でも、死に近づけば近づくほど、生に近づいていく。その方が健康的だ」

「日常生活には、悲しみを受け入れ、サイエントロジーが無視するように教えているある種の感情を受け入れることが必要だと思う」とセドリックは結論付けています。


MARS VOLTA から離れたことも重要でした。AT THE DRIVE-IN や ANTEMASQUE での活動が、再結成への道を切り開くことになったのです。「MARS VOLTAは聖地であり、遊び場でもある」とオマーは言います。「そこでの僕の想像力が開花するためには、すべての要素が正確に整っていなければならなかった。そして、それは時間が経つにつれて自然に起こっていったんだ」

セドリックは、彼らが当分の間活動を続けるつもりだと語ります。「僕らはこれまで長い間、密かに取り組んできた。オマーは、MARS VOLTA は望めば何にでもなれると言った。それは、僕たちが古い曲に依存した伝統的な活動をやらないという意思表示で、新鮮だった。自分たちが何者であるかを再定義し、前進していくことができるのだから。僕らが結成時に元々感じていたのは、何でも可能だということで、今一度、それが可能になったんだ」


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