写真の撮り方(我流なりで思うこと)
なんで写真を撮るんだろう?
たまに、そんな事を考える時もあります。
まぁ確かに撮らなくたって誰も困らないし、誰かのためになっているわけでもない。
仕事じゃないし(というか撮らないといけない。ってなったら撮らなそう)
お金になるわけでもない。
子供の写真とかを撮るのは、記録というか、記憶のためかなぁ。
写真を撮ることで、その時の想いだったり、幸せ?(安易すぎるか?)だったり、充実感とかを、その写真を見返した時に、フワッて思い返す事ができるから、撮っているような気がする。
子供の写真以外で写真を撮るのは風景を撮るのが多いかな。
建築の仕事してるのだから建築の写真は?と思われるかもしれませんが、撮るは撮るけど少ないですね。特に自分が設計した建物は。
もうそれは、ある意味仕事に片足突っ込んでいるんで。
逆に好きな建物を見に行ったときは、たくさん写真を撮るかなぁ。
良いなぁと思えば。
でも機会、回数でいうと少ないので。日常ではなく特別な時な気がするなぁ。
風景の写真は、季節や時間、その日その日で移り変わり、「その日」の「その景色」は、ホント当たり前なのだけれど、その時しかない。
だから、より惹かれるのかもしれない。
まぁ、そんな事言いだすと、なんでもそうでしょって感じですが、そう感じているので、否定はできないです。
また、話が脱線ぎみですね。
題名の「写真の撮り方(我流なりで思うこと)」
ですが、写真を撮るのは好きですが、カメラ・写真の事について深く勉強したり、教わったりした事は無く。
ほんとに自分がどう思っているかなので、そのテイで読んでもらえるとありがたいです。
上にも書いたように、こんな感じの写真をいついつまでに撮ってねって言われたら、たぶん撮れないというか、撮ろうとも思えないかな。
ほんと自分の気持の問題で、「あ~、なんか今日の空キレイだなぁ」って思って、なんとなく撮っているだけだったり、
あ!あそこまで歩いていって、あの方向の景色とったらキレイそうかも!って思って撮っているだけなんですよね。
撮る事の意味ってなんだろう?ってコレ書きながらぼやっと考えてますが、ホントなんなんだろう。
誰かとその景色を共有したいのかな?
誰かにも見てもらいたいのかな?
Instagramにあげてる写真は、そんな思いもあったりするかもしれないですね。
自分が撮った写真に対して、いいねって言ってもらえて共感してもらえたら嬉しいからかな?
もっと言うとそれはその写真に対してというより、自分が良いなって思うもの対しての反応を期待しているのかな?
話は変わって、いつ撮るのか?
仕事の最中とか、納期が迫っているときとか、アレやらなきゃ!コレやらなきゃ!ってアタフタしている時に、「あ~いい景色だなぁ、写真撮ろう!」
とは、ならず。
やっぱり少し気持ちに余裕があったり、どちらかというとポジティブな心もちの時の方が、写真を撮るタイミングになる事がわたしは多いですね。
だから、写真を撮っている時も
この景色に、この風景に気づけた。
そんな自分のこころ。それ、そのモノが嬉しいなぁって思う。
うまく言えないけど。
どんなに素敵な景色や、場所に居ても、自分がそのモノゴトを素敵だなって感じなかったら、それはその時には、素敵なコトではなくなってしまう。
当たり前じゃん。って思いますよね。ホント。
あたりまえのコトがあたりまえに見れなくなって来ているなぁって感じる時がある。(自分のはなしです(笑))
でも、あたりまえのコトをあたりまえに見れるようになる、というか、見る方法というか、感じる方法を「写真を撮る」という行為を通して、忘れないようにしているのかもしれない。
自分は自然のなかに身を置き、自然を感じることで、「あたりまえ」を見失わないようにしている時がある。
たぶん、これが自分が写真を撮るコトの意味なのかなぁなんて、思いました。
ご拝読ありがとうございました。
まる。
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