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中学生の私がインディアンに「すこし」救われた話

とても印象的な言葉があった。

「ボディーマインド」それは体がちゃんと生き続けるように働く心。

「スピリットマインド」それはちょうど筋肉みたいなもので、物事をきちんと理解する事に使えば使う程大きく強くなっていく心。

人間は誰でもこの二つの心「ボディーマインド」と「スピリットマインド」を持っている。
でも人は自分の欲の為に人を傷つけたり、相手を利用してもうけようと
「ボディーマインド」を悪い方に使って欲深になる。
すると「スピリットマインド」はどんどん縮んでしまう。

人間が死ぬ時、「ボディーマインド」も一緒に死んでしまうけれど
「スピリットマインド」は生き続け、また生まれ変わる。
でも、生きている間に欲深になり小さくなってしまった
「スピリットマインド」しか持っていない人は、生まれ変わっても、人や物事を深く理解する事ができない、生きているくせに死んでいる人になってしまう。

これはリトル・トリーが祖母から学んだことである。

著者フォレスト・カーターは5歳の時両親を失い祖父母のところに引き取られた。祖父母はチェロキー族の血を引くインディアンだった。
「リトル・トリー」は著者が祖父母から授けられたインディアンネーム。「小さな木」という意味。

リトル・トリーが両親を亡くし孤児となった時、その扱いをめぐって親戚の間でひともめあったらしい。しかし祖父母だけは何も言わず、人々の輪から外れてリトル・トリーを見つめていた。

リトル・トリーは人の輪から外れ祖父母の長い脚にしがみついて、誰が引き離そうともけして離れなかった。

幼いながらも、自分の事をめぐってもめている人達の突き刺すように冷たい視線と凍るような空気の中にいる事が耐えられないと感じたのだろう。

その時人の輪には加わらずにいるが、遠くから孫を見守るようにして何も言わず、ただ優しく温かく見つめている祖父の視線を感じ、安心したのだと私は思う。

祖父母の家へ向かう時、歩くのが早い祖父に祖母がリトル・トリーは疲れていると言った。祖父はこう言った

「なにかをなくしちまった時は、へとへとに疲れるのが一番いいんじゃ」

その通りだと思い、あらためて教わった気がした。

それからのリトル・トリーの生き方はまさしくインディアンそのものだった。祖父母からたくさんの事を学び成長していった。

生きている者すべてを優しく包み込む「モ・ノ・ラー」を感じ、動物は必要なだけしか獲らない事、強く立派なのを獲ってはいけない。強い動物は生き残り絶やさず肉を恵んでくれる。だから動物を絶やさないためには弱くて小さい奴しか獲ってはならない。という「チェロキーのおきて」も学び取った。

祖父とリトル・トリーはたまに「きつね狩り」をした。けしてきつねを殺すわけではない。しょっちゅう畑を荒らしに来るきつねをちょいと懲らしめてやろうという考えだった。祖父は何匹かの犬を引き連れていったが、その犬たちを狩りをするのに使ったことなど一度もなかった。

祖父は山のあらゆる動物の考え方から性格すべてを知り尽くしていたから猟犬など必要ではなかった。

ただ純粋な楽しみの為にきつねを犬に追わせていた。
だからこの場合、きつね狩りというよりは、きつね追いと言った方が正しいだろう。
祖父はきつねの性格をよく知っているから、きつねがあまり遊びたくない時を見計らってきつね追いをする。
だからきつねが絶対に犬につかまる事がないのもよく分かっている。
ただ自分の畑を荒らした分だけきつねにいたずらをしてやろうという考えだったのだ。

リトル・トリーは祖父と一緒によく山を歩いてまわった。
そのたびにここにはどんな動物がいるのか、どんな草は毒があるのか、すべらないように歩くにはどうするかとたくさんの事を学び、インディアンとしての誇りを感じ取っていた。

そして祖父母の友人である素晴らしい人々に出会い、また彼らからたくさんの物事を教わった。

最後の方は感動的だった。

親しかった者たちがどんどん死んでいく。
その時のリトル・トリーの言葉では表せない苦しい様子がなんとも言えなかった。

祖父は足が弱り寝たきりになって死んでいった。そして祖母は祖父が眠る遠い山の頂きを、お気に入りの揺り椅子に揺られながら見上げたまま祖父の後を追った。

人間は生きていく上でどのくらいの事を学ぶのだろう。

リトル・トリーはわずか5年程度しか祖父母と暮らさなかったが、普通の人間の倍以上に大切な事を学び取っていた。

人はもっとインディアンに学ぶことがあると思う。
彼らの生き方こそが自然界に属する者として望ましいものだから。
そしてこの話を知ってほしい。
今までにはない感動があるから。
私も学ぼうと思う。
スピリットマインドが「ヒッコリーの実」よりも小さくならないうちに。

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これは今から20数年以上前、私が中学生の時に書いた、読書感想文。

題名は「インディアンから学びたい」

今でも時々、ふと「ヒッコリーの実」の事を思い出す。
今の私のスピリットマインドは「ヒッコリーの実」よりもちいさくなっていないだろうか。




さいごまで読んでいただき感謝の気持ちでいっぱいです(o^―^o)!! 貴重なあなたの時間の一部が、よいものとなりますように✨