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「見せて」 ―未来の男女のあり方― 

概念小説です。あらすじはあまりなく場面が移り変わります。今の世界がこういうことで変容したらという実験です。未完成のまま置きなおしていくというやり方でここに公開します。成人向けのような記述もありますがそうともいえないようなものです。この文章の意図自体が成人向けという考えを問う部分もあるのです。(24/3/14)

大学のキャンパスにて
 通りがかった男が女に話しかけた。こんにちは。こんにちは。身体をみせてくれない?少しやりとりがあった。男は女にひかれたと話している。女はそれでじゅうぶんという。近くに女の部屋があったので彼らはいくことにした。彼らは明るい部屋で裸になり一人が横になり一人が身体のいろいろなところを見ていく。そして触れながらどんな感じなのかを聞く。

高校の授業 生命学1
 教師が問いかける。幼児のころとても熱中した遊びはなんだったかな?覚えていることを出してみよう。「虫取りです。追いかけてつかまえるのがわくわくしました。」ふむ。「木登りです。体を動かして木にひっかかる感じ体があっちむいたりこっちむいたりする感じ、手が伸びていく感じ。とにかくギリギリに体を感じていました」「どろんこや川遊びです。どろがからだじゅうにまといついて気持ちよかった」


さっきの男女1
 男は乳首に触れ、それから腹や太もも、お尻の内側と性器のまわりを触れていき女にどんな感じかを聞く。女は見られて触れられるのは緊張するけれどすぐ気持ちは和らいで気持ちもよい。自分の身体の感じそしてどうさわってほしいかがわかる。外のふくらみが不思議にきもちいい。それになぜか右のほうがより気持ちよいとかわかる。
男は、つぎに内側の唇に触れていこうかな。外側の境目のところをさすってみるよ。唇の内側の方をさする。どうかな。
女 不思議だけど外側の方が感じるわね 男 ほんとうに近い場所でも全然違うんだね 女 医者の診察を受けるようなものかと思ったけれどまったく違う 触れられる場所や違い触り方でぜんぜん違う感じがするのは発見だった ソフトなほうがいいと思ってたのにそうでもない


高校の授業 生命学2
 そうだね。私たちが楽しく遊んだのは自分の身体がいろいろな気持ちよさを伝えてくるのをどんどん受け取りたかったからじゃあないかな。身体は自分で身体の各部から来ることを受け取って私はこんな私だと自分が作られていった。
 自分の身体を自分で触ってみたことはあったかな。
「普通でないような気持ちよさがあってびっくりでした」
「ただおちんちんを紙に書いてるだけでじんじんしていました」
男女とも、物心ついたころ、学校に入る前あたりにそんな経験があったことが出される。「そういう気持ちを神秘的なものにふれたわけだ」
遊びも身体の官能、そしてだんだん自分の身体からもそれを見つけていくんだね。

さっきの男女2
男と女は役割をとりかえて女が横たわる男の性器をみて触れていく。睾丸を回しながら時間をかけてふれてみたりする。それから茎の付け根側を触れてみる。 男は触れられる場所で違う感覚があるのが意外で驚く。茎のいろいろな場所を触れ裏返してみる。付け根から上のほうにやさしくしごかれるのはとても気持ちよいのがわかる。…
こうして彼らは時間をかけてお互いの身体を見て触れていく。

高校の授業 生命学3
 虫をつかまえて動くようすに感動して、脚がとれてしまうとか、どうなっているんだろうと思ったよね。うごめくものを捕まえてきては調べただろう?そんな経験があまりないかな。犬や猫はどうだった?私たちは生き物に魅かれているんだね。そして調べたい、どんなものなのか、神秘的なものに魅かれる性質をもっているんだね。

さっきの男女3
 診察みたいで退屈かと思ったのにこうしてお互いをよく見て調べて触れ合い伝えあうことがこんなに楽しくて気持ちいいなんてね。大切にしたいと思うよ。身体に触れるということも大切なことなんだ。だから相手を決めたら責任をもって大事にすることは自分のためなんだ。
 昔はどうなってるのか見たりしらべたりしないまま結婚したらしいよ。教えあうこともなしでね。もったいない感じね。
それでいつまでたっても固い態度のままで、緊張が残るんじゃないかな。自分がどこをどう触れられたらよいのかもわからないままで年老いていったんだよ。
 興奮してセックスしたくなる。けれどもはっきりわかっているのはお互いの探索を許して認め合い受け入れるということで私たちはとても安らかになるということなんだ。性交や射精というのはお互いに責任をもって付き合う、傷つけることをしないと決めてから。それが私たちが決めたことです。
 興奮も高まり上気したがそこで二人は身体を離し服を着て部屋をでていった。とても親しげだがすんなりと別れる。


高校の授業 生命学4

 これまでの授業はどうだったかな。私たちが身体の官能を喜んで感じとりだんだんに関心も変わってきたことがわかったかな。
 自然のものをたっぷりと感じ取って、同時に気持ち良い自分の身体を発見し始めた君たちは、異性の身体を見つけたいと願うようになっている。今まさにそんな感じかな。「そうです」「そうだー」


テレビ
特集 今年をふりかえる
「人の精神・魂の新たな成長段階を支える国家的法律群」が整備されて30年となりました。簡単化して「人間成長法」と呼ばれています。ご存じのようにその体系は「身体に自然的根源的にそなわった諸力の徹底的な肯定」に基づいています。その結果として抑圧の対象であった性的な衝動や欲求を隠したり無視したりすることをやめることから始まりました。

人がお互いに自分の身体を見せたり、また見たり探索したりすることを望んでもそれはお互いを傷つけない限り認められるようになりました。一方で婚姻などとの関連から性的な関係は暴力的支配的要素が含まれないよう厳格な罰則規定が定められてきました。習慣的な性犯罪者はもはやこの国にはいないといって過言ではありません。

一方で男女のオープンなマナーがとても安全でかつ有益で喜ばしく定着してきました。それは特に恋人とか友人とかいうことではなくても、人が他の人の身体を見たり触れたりすることを一定の範囲内で許容する実験の結果、人々の幸福度が増し、攻撃的抑圧的支配的な態度が激減したため、社会全体に広めていこうということになったのです。(番組の録画)町を歩く男性がいま女性に声を掛けました。彼らはお互いに知らなかったようにみえます。男性「見せてくれないか」女性「ちょっとドキッとしたけれど、いいよ」
…このようにお互いの直感で身体の探索を許すというのは通常のマナーとなったのです。ただし性的に感じさせることを目的としたり、性器の交接を行うことは双方が身体的精神的な責任を受け入れる交際状態とならなければ認められません。

このような線引きは100年前の社会では全く考えられなかったことです。おそらく過去の世界の人々は私たちが淫乱だとか、すぐに触ったり見たりしたがり許してしまうのでモラルが低いなどと批判したかもしれません。しかし彼らは心の中に好奇心も異性への知識欲も抑圧してその結果性犯罪が多発しており、犯罪に至らない人々も多くは精神病状態となっていました。夫婦生活も男女の身体の知識という基本中の基本が欠如しているため誤解が生じてうまくいっていませんでした。とても不幸な家庭生活でした。
身体を見たり触れたりする経験をすると飛躍的に異性の理解が高まります。同時に自分のこともわかります。また自分の好奇心が認められ受け入れられるという経験は人々に平安をもたらし交際するときに思いやりをもつようになりました。いわゆる性交などもかつてないほど満足度の高いものとなってきたようです。刹那的ですぐ終わってしまうものではなくなってきたようです。
こういったことは人の感覚的満足にとどまらずさらなる成長を超越を求めるように私たちの態度は根本的に変化してきたようです……


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