まるひろ

北の国にすんでいます。年齢もいっています。書き物は基本的に集中力が保てる2時間以内にで…

まるひろ

北の国にすんでいます。年齢もいっています。書き物は基本的に集中力が保てる2時間以内にできあがる短いものです。小さな物語を上げていきます。むかしからSFが好きだったのでそんな雰囲気に偏ります。しかし人間の出来事も書けたらと願っています。

最近の記事

婦人科への疑問(一般男性の立場から)

 とても長くなりがちな説明をできるだけ短く書きたいと思います。できるだけ読んでいただきたいからです。  私は思春期にそけいヘルニアの手術を受けましたがその時に診察から、剃毛、裸での手術など恐怖と屈辱感からトラウマを持ったようです。言語化できず長い時間がたちました。今それに一番近いことは医療の現場、婦人科現場で今も起きているようで、その意識、人間のとらえ方はどうなのか、手あたり次第本を探し、動画を見てきました。 婦人科医師のニュースレターにもコメントを書いています。下にいく

    • 「君たちはどう生きるか」をとおして行われる秘儀

      このタイトルにピンとくるか 明確な興味を感じないばあい私の語ることは意味がないであろうとおもう 意味がない理由は秘儀伝承をうける人ではないからである そういうと特殊な霊能者か修行者が語っているかのようであるが 現代はかつてマスターから弟子へと秘密のうちに秘密を伝承してきたのであるが 現代においては多数の人々に知らないうちに秘密を伝達する そのような必要があり 工夫をかさねて日本のアニメーション文化のなかにそれが埋め込まれたのだろうと思う アニメーション作品のなかで宮崎駿が繰り

      • たかきたか寓話シリーズ(2) いたずら好き(2006年3月)

        かつてブログに初めて物語風に書き始めたときの記録ですがすべては残っていません。2006~2011年までのものです。記念として残しています。 ------------------------------------------------------------------------------ 全知全能であり全てであるようなもの それを人はいろいろと思い浮かべたりするが もし全知全能ならば すべての性質を持っているのだから 間違いなくいたずら好きに違いない

        • ゼンメルワイスをわが身に重ねる

          2000年ころから、世界は私が思っていたようなものではないと気づいた。同時期に私自身もまた自分が思っていたようなものでないことを知った。それは喜ばしいことであったがその気づきは孤独なものであった。 不思議である、メディアとかえらい人々とか、上司とか、書籍とか、とにかく自分以外の何かの情報が正しいとして人が生きているのを知ったことである。自分だけはかたくなに信じない。権威を探し続けて一生を終えるかのようである。 しかしゼンメルワイス。粗野で文章も書きたがらないこの外科医が参院

        婦人科への疑問(一般男性の立場から)

          たかきたか寓話シリーズ(1) あなたはよくやった(2005年11月)

          かつてブログに初めて物語風に書き始めたときの記録ですがすべては残っていません。2006~2011年までのものです。記念として残しています。 今日突然、あなたは見知らぬところに放り出された。 手には見知らぬ道具を持ち、見知らぬ手と見知らぬ足がそれぞれ見知らぬ本数はえていた。でもなぜかあなたはそれが自分だと思っている。  そしてあなたはその見知らぬ世界で「手が何本でないあなたはちゃんとしていない」といわれ続けた。足はそろえてうごかさなければとんでもないと言われ続けた。あなた

          たかきたか寓話シリーズ(1) あなたはよくやった(2005年11月)

          「見せて」 ―未来の男女のあり方― 

          概念小説です。あらすじはあまりなく場面が移り変わります。今の世界がこういうことで変容したらという実験です。未完成のまま置きなおしていくというやり方でここに公開します。成人向けのような記述もありますがそうともいえないようなものです。この文章の意図自体が成人向けという考えを問う部分もあるのです。(24/3/14) 大学のキャンパスにて  通りがかった男が女に話しかけた。こんにちは。こんにちは。身体をみせてくれない?少しやりとりがあった。男は女にひかれたと話している。女はそれでじ

          「見せて」 ―未来の男女のあり方― 

          トルストイ 小説「クロイツェルソナタ」より

          15章にトルストイが登場人物を使って医者について語らせたセリフを見つけました。現代の流行病対応と同じものを当時の医療の中にトルストイが見ていたようです!現代を見通していたかのようです。 私が医療に感じていることを見事に語ってくれています。特によく語ってくれたところは強調表示しました。 ----------------------- (以下引用 青空文庫より) 『ですが、あなたは医者がお嫌いですね。』彼が医者の話をする度に、その声に特に毒々しそうな響を帯びるのに気がついて、

          トルストイ 小説「クロイツェルソナタ」より

          患者のストライキ

          ほとんどあらすじのない、概念小説です。夜も眠られぬほど頭にきたのでこんな書き方になります。医療の根本的なありかたについて。 --------------------------------------------------------------------------- 日本。医療が進んで進んで…。ほとんど労働運動のなくなった日本でストライキが起きた。しかも労使ではなく患者のストライキだ。患者がすべて医療を拒否した。全国の八割の患者だ。ケーブルをはずし呼吸器を外した。

          患者のストライキ

          「豊穣の森」2010年頃の作品

          まえがき おそらくこの文章は2010年くらいに書いたものです。今からすでに14年も前、、20年くらい前から2011くらいまで私は寓話ともショートストーリーともいえるような文章を当時のブログに書いていました。これを整理のため「たかきたかシリーズ」と名付けます。そのなかからいくつかをこちらに転記して残しておきたいと思います。 この背景も趣旨もあえて触れません。(たかきたかシリーズ) 豊 穣 の 森  -プロローグ- リズミカルな音が聞こえる モシリ、モシリという音が 身体の

          「豊穣の森」2010年頃の作品

          抑圧と不幸をもはや望まない

          私は論文を書けないし、また論文よりも直接的直観的にわかってもらえるような物語の形にして、大好きなSFのような感じにして文章を書きたいがその構想をする前のメモをここにまとめておきたい。 1 セックスの前段階で、感じさせることよりもさらに前段階で、身体を探索しあうことにより意外なことに親しみを深める、心が安らぐことを発見したカップルの動画を見た。抑圧が放たれることによって人が感じる安らぎ、安心感。これだけで男女は平和で信頼できるようになる。 2 婦人科の検診 外陰部を露骨すぎ

          抑圧と不幸をもはや望まない

          言葉が出てくるのです

           最後に…(さいごときめたわけではないけれど)決意として書き話し生きていきたいのは性のことと変わりゆく世界への置きみやげだ。 性については隠してみたり大したことでないと言ってみたり誰でもおんなじだといってみたりして無意識のほうに追いやるわりに全人生そのために曲げていきて人と信頼することさえ投げ捨てたりもしている  かわりゆく世界についてはなにせ全体のことだからみんなで分かち合い和気藹藹で話し合っていくことがらではない。自分1人のことであるけれど面白いから世界を肴にして笑うこと

          言葉が出てくるのです

          窓際のトットちゃんで想起されたこと

          とても長いです9000字以上あります この文章は6回にわたって書いては付け足しできあがったのでくりかえしているところもありますそして未完成です 最後の部分は思春期を乗り越えることでトットちゃんその後になるのかもしれません 3回観て私の視点は最初はヤスアキくんに没入しました 次はトットちゃん最後に観たときは小林先生に入り込んでみていたみたいです  ------------------------------------------------------------- 【1

          窓際のトットちゃんで想起されたこと

          あふれでる蜜

          言葉ではなかなかうまーく言えないことを表現できる人は貴重だと思います。  さて私の子供の時からずっと朝起きる原動力となってきたものはなにかというと、自分の中のワクワクしたものですが、それは自分の中で与えたい与えたいという蜜がもうあふれそうになっていて、その受け壺を探して外に飛び出していったような気がします。また逆に見事な動きをする生き物を追いかけたかったのはそこにきらきら結晶してはじけそうな輝きに魅かれるしかないからです。何があるのか開いてみたい、味わってみたい。五感は蜜や

          あふれでる蜜

          15歳の入院と手術の屈辱を書き換える

          以下の文章は物語として書こうとしました。15歳の時にそけいヘルニアの手術を受けましたが、その一連の出来事で私は一生にわたるトラウマを持ったと思います。屈辱感と恐怖のなかで自分の陰部をさらし剃毛され痛かったし、それらをまったく教えられなく受け身に経験したのです。そのトラウマを思い出し追体験したらどうなるだろうか、と思って一度は物語を書きたいと長い間念じていました。ただただ悔しく怖く恥ずかしかった現実の記憶から、途中で出来事を変えて私の中から吐き出すように出てくる願望をキーボード

          15歳の入院と手術の屈辱を書き換える