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「君たちはどう生きるか」をとおして行われる秘儀

このタイトルにピンとくるか 明確な興味を感じないばあい私の語ることは意味がないであろうとおもう 意味がない理由は秘儀伝承をうける人ではないからである そういうと特殊な霊能者か修行者が語っているかのようであるが 現代はかつてマスターから弟子へと秘密のうちに秘密を伝承してきたのであるが 現代においては多数の人々に知らないうちに秘密を伝達する そのような必要があり 工夫をかさねて日本のアニメーション文化のなかにそれが埋め込まれたのだろうと思う
アニメーション作品のなかで宮崎駿が繰り返し描き語りつづけてきたことのなかに 一部の人が気づかざるを得ないように埋め込まれているものがあった それは多数の人々には 無駄または不出来な部分として無視されてるようなものであり 一種雑味のような印象として残る程度のものであった
そうしてマスクをかけながら彼が繰り返し伝えてきたものがある
そして もう時間がないのである
最後にすべてをつなぎ合わせて この世界に住む国籍や年齢などに関係のない多数の弟子たちに宮崎駿が公然とした秘儀として 映画で公開し伝えてきた秘密がある

この秘密は 宗教的な固定的概念にとらわれている人々には受け取れない
この秘密は 現生的な意味にとらわれている 私たちにとって 近づきがたいものであった
しかし現生的な執着にとらわれ 失望し 苦しみながら生きてきた者たちにとって いかに疎外されても忘れられない 美の世界が必ず 残っている

自然の美への感応は それが残っていることの証明のようなものである

宮崎は(宮崎をとおして何者かが伝えている)のであるが自然の美のなかに そこに深く入っていけばただちに 現生を越えるものに触れることを 伝える

そしてそれはすべてであり 現生的な死を含み 善悪は反故となる 混沌 闇である すべてを含んでいるがゆえに 死を恐れるものは必ず恐怖のあまり避けようとする

美だけが現実をこえる世界へ幻想の世界への道案内人になる

昭和40の「ガリバーの宇宙旅行」からはじまり宮崎駿が作品のなかでくりかえし主張してきたのは善悪ではなく正義でもなく「現実の鎖でしばられた奴隷になっている事実を知れ」「自分で壁をつくりその中に閉じこもっていることを知れ」「制限のない世界を自分で創ることを恐れているが思い出せ 自分は創造者である」

そういった言葉でもとより表現できないものをなんとか伝える術を一生にわたり宮崎駿は探求し続けてきた その帰結として秘儀を伝える作品が生まれつつあると思う 「君たちはどう生きるか」という題名の暗示するものがそれである

言葉では伝えられない全体があり それは宮崎駿に引き付けられ かつ落ち着かない思いをし続けてきた「弟子」すべてに 宮崎駿(をとおして伝えようとする者)からの秘儀伝授である


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