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ゼンメルワイスをわが身に重ねる

2000年ころから、世界は私が思っていたようなものではないと気づいた。同時期に私自身もまた自分が思っていたようなものでないことを知った。それは喜ばしいことであったがその気づきは孤独なものであった。

不思議である、メディアとかえらい人々とか、上司とか、書籍とか、とにかく自分以外の何かの情報が正しいとして人が生きているのを知ったことである。自分だけはかたくなに信じない。権威を探し続けて一生を終えるかのようである。
しかしゼンメルワイス。粗野で文章も書きたがらないこの外科医が参院に勤めたとき、彼は若い女性が、母親が死んでいくのがとても嫌であった。10人が出産に来たら1人が死んでいた!この病院一つで一年間に何千人も若い女性が死ぬ!

彼は嫌だったが粗野な態度で仕事をつづけていた。やめなかった。
男性の外科医が出産にあたるのだが、恥ずかしさによって身体を炒めるのではないか?坊主が鈴を鳴らしながら廊下を歩いていくので、その恐怖によって死ぬのではないか。何十も原因となりそうなことを考えたがみなあたらなかった。


この場面に衝撃と怒り


そのうち彼の親しい医師が、誤って刃物で身体を傷つけ死んでしまう。産褥と同じような症状で!長い経緯があったが、彼は午前中の解剖をして手を洗わず妊婦たちへと悪いものを運んでいたことが原因であったことに気づく。
天啓のひらめきのように。

かれはこの事実を知り、病院で手洗いを徹底して、妊婦の死亡率を10分の1以下に減少させた。明白な証拠も示した。
しかしながら病院の上司も、そしてヨーロッパ中が彼の説を認めなかった。
何故だ、何故だ。医学の既成概念に反していたからと言えるが、一方医師たちは今やっていることが殺人であると言われて怒りに襲われたかもしれない。とにかく彼は孤軍奮闘になっていった。

この短いエピソードを読んで、医学の性質のいったんがわかった。今は違うといえるような理由がないのである。既成概念に執着するのが医療である。それに自然な身体に危険を持ち込むのが医療である。死亡率うんぬん、どれほど医学は進歩したかという話を聞くたびに私は思う。
50年前までポリオが流行していた。麻痺が起きて手足、時には肺が動かなくなった子供たちが施設に収容された。そこで毎日手術が行われたがそれは実験であった。実験でないとしてもなにか身体に傷を加えてその後の一生に余計な苦痛を追加するようなものであった。
それが全国で行われていたのである。
今「医学的」であることが今後最善でありつづける根拠はない。また医療の苦痛や人を支配している面がどんどん大きくなっている。

コロナウィルスは、人工的なものである。宮沢氏ら世界中の研究者が発表している。これは黙殺されている。明確な反論がない。そこで時々宮沢氏が大声で叫ぶように発言をしているが、ゼンメルワイスのことが過去の良い例ではないか、と思われるのである。
彼は無視されている。もしコロナウィルスが人工的に作られたとしたら、それを防ぐために行ったことはよかったか?何よりも早くワクチンの感染源、すなわち今回の場合は人間であるが、ウィルスを拡散した人間という感染源を撲滅しなければならなかったのではないか。
それに並行して、他の施策が行われたなら多少はわかる。
そしてPCR検査には意味があったか?ワクチンが開発された経緯はどういったものなのか、人工的なウィルスに対するワクチンとは他のワクチンと同じと考えてよいのか。

こういったことを考えることはゼンメルワイス同様にワクチンをすすめた医学界全体、ウィルス学会全体、そして政府とWHOなどに問いかけなければならなくなる。そしてゼンメルワイスのときと違うのは、人為的な災害で人が傷つけられたということであり学術的に認めるかどうかということをこえて地球全体規模で理解も、思考も、行動も変化していかねばならないことを意味する。
メディアや権威を情報源とすることは少なくても止めて、事実から直接自分が知ることが生きる基本になるよう、戻っていかねばならない。
それは恐ろしいことで、今書いていても恐ろしいが、ゼンメルワイスのように本当にまっとうに苦しんだ人々がいたことは励ましとなる。

誰も認めない、嫌がらせを受けるということも、さらに大きな困難もあるとしても、もはや曲げることができない。知ったことは曲げられない。嘘はつくかもしれないが、私の中では曲げることはできない。自分ではどうしようもない。

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