自分を自分で承認してあげること
自己受容と承認欲求
誰でもある。大事な感情。承認欲求。私はきっと人一倍強い気がする。そして、大人になってからは、一番の自分の課題は自分で自分を認めてあげることだ。
病院のカウンセラーさんに言われた言葉で今でも心に残っている。
「まるさんは自己受容出来るようになるのを目指しましょう」
自己受容・・・ありのままの自分を受け入れること。
ありのままの自分をどこか受け入れられないから、人に対して演じて対応して、勝手に疲れての繰り返し。それは相手が悪いわけじゃない。全部自分が相手に嫌われたくなくて、勝手に媚びてるだけにすぎないんだ。もし自己受容が出来るようになったら、今、ここの自分を認めてあげることが出来たら、怖いものなんてないのに。どうして、私は人に認めてもらわないと自分が好きになれないんだろう。何歳になっても自分に自信が持てずにいるのだろう。
カウンセラーさんはどんな話も真剣に聞いてくれて、真剣に受け入れてくれて、向き合ってくれた。仕事だからと言えばそれまでだけど。でも人に本音をあまり言えない私にとって、カウンセリングの場は本当にありがたかった。カウンセリング室にいる時は少しだけ自分のことを好きになれた。
ありのままの自分の話を、目の前の相手が否定せずに聞いてくれることで、少しずつ自己受容できるようになるのかもしれない。そう考えるとやっぱり人が嫌になっても誰かと関わらずにはいられない。人と関わることは毒にもなるし、救いにもなる。私は目の前の人にありのままでいいんだ、て思ってもらえるような人になりたい。そのためにはまず自分の自己受容から出来るようにならないと。
今日も誰かに助けてもらってありのままの自分を受け入れていく。いつか自分だけでそれが出来るようになるといいな。
人と比較すること
人と比べることはさすがに昔よりだいぶ減った。でもそれでも少しばかりは残っている感情。人はきっと人を意識して、比較して成長するものでもあるから。比較感情とはうまく付き合っていかなければいけないね。でも自己受容あっての比較感情じゃないとどうしても斜めの方向にいってしまう気がする。その塩梅が難しい。
自分に優しくすること
休職して、一人の時間が圧倒的に多くなって、それはそれで寂しさもあるけど、周りの雑音は圧倒的に減って、人の顔色を伺うことをしなくてすむし、悪口、愚痴、を聞かされることもなくなって自分にとってここちいいもの、すきな音、空間に身を置くことが出来ているのが本当にありがたいし、最大の治療になっている。
はたから見たらいつまで休んでんだよ、とか、遊んでるだけだろ、って思われるかもしれない。でもその声を拾わないようにするのも自分次第だし、自分がそうじゃない、ゆっくり治療していくんだ、と強く思えれば今はいいと思ってる。いつだって自分の最大の味方は自分自身なのだから。
母から
「一度きりの人生自分の好きなようにやっちゃえばいいんだよ。失敗したってまた頑張ればいいよ」
と電話で激励を受けた。
そうだね。一度きりの人生、自分の好きなように生きていくよ。今noteを書く時間だ、と決めて書いているのも自分の選択だし、休職してまだ休んでるのも自分の選択。ここから復帰してどうなるかわからないけど、全部自分の選択が点でつながって未来になっていく。私にしか出来ないオリジナルの点と線。宇多田ヒカルのDeep Riverという曲の歌詞にそんなような歌詞があったな。
休職した当初よりは自己受容できるようになってるのかな。できるようになっていうと思いたい。
人よりは鈍いかもしれないけど。その分傷ついてる人に寄り添える自分であると思うから。そんな自分は好きだ。
心の中で自分自身にスキボタンをたくさん押していけるようになりたいな。
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