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【音楽バトン】つながる、続き?|音楽と文:國分広年@石垣島|石垣島の奏で vol.5

初めまして。
石垣島で音楽活動をしております、ベーシストの國分広年と申します。

島のとある民謡酒場での強烈な音楽体験を、偶然出会い共有した山口ミキさんからバトンを受け取りました。ご縁をつないで下さりありがとうございます!

人の縁というのは本当に面白いもので、特に音楽の様な特定の狭いジャンルにおいては不思議な出会いや再会がよくあります。このバトンをつないで下さった山口ミキさんともちょっと意外な音楽の先輩とつながっていることが発覚したばかりで「おぉ、まさかそこがつながるとは!」と二人で驚いておりました。

縁の始まり

私は福島県がルーツの両親の元、神奈川県横浜市に生まれました。亡父が仕事で返還前の沖縄に良く行っていたことがきっかけで私もその影響を受け、その後の人生で沖縄に惹かれていくことになります。
思い起こせば子供の頃、父親が沖縄に出張に行く度に様々なお土産を持ち帰って来てくれました。子供の私にとってそのどれもが強烈な南国情緒と風情を感じさせてくれたことを今でも鮮明に覚えています。黒糖、ちんすこう、パイナップル、紅型、アメリカ産の牛肉(当時の内地は牛肉の輸入が禁止されてました)、ハブ酒、そしてハイサイおじさんのドーナツ盤。当時は全く意識していませんでしたが、どうやらこの頃に感じた沖縄の情緒が自分を強く沖縄と結びつける一番最初の、しかもとても太くて強い糸だったのであろう、と振り返ってみてしみじみ思います。

沖縄へ

そんな幼い頃の体験を経て、その後に訪れる父の死までは沖縄について考えることも、思い出すこともなく、ひたすら東京での音楽活動に没頭する日々でした。そんな折、父親の急逝をきっかけに心の引き出しの奥底に眠っていた沖縄を何故か突如として思い出し「そうか、オレ沖縄に行ったことあるんだよな。幼い頃に一度だけ行ったあの沖縄をもう一度感じてみたい!」という気持ちが湧き上がって来ました。そうなるともう居ても立っても居られない様になり、そこからは本当に足繁く、狂った様に沖縄に通い出しました。いわゆる「沖縄病」ですね。この頃はただの観光客だったので沖縄に住むことなど夢想だにしていませんでしたが、これまた不思議なご縁で数年後の2012年、まさかの沖縄本島での暮らしを始めることになります。

沖縄と音楽と。そして八重山へ

東京での音楽活動に区切りを付け、沖縄本島に引っ越して来てしばらくは音楽と距離がありました。が、子供の頃から好きだった音楽から離れられるはずもなく、島のどこかでベースを弾き始める内にひとつ、またひとつ、と沖縄の音楽家と糸がつながり出し、気が付けばその糸は石垣島まで伸びていきました。

沖縄本島での音楽活動は内地でのそれとは違った魅力があり、マイペースながらも様々な音楽に触れ、ライブやレコーディング、ミュージカルなど、いろんな活動をしましたが、観光客としても大好きだった八重山がどうしても気になって仕方ありませんでした。
「八重山が好きだ。やっぱり八重山で暮らしたい!」という気持ちの高まりを痛いほど感じていたその頃、人生で一番大きな分岐点が訪れます。それはとても重大な決断を要する難しい出来事でしたが、何とかそれを乗り越えると、それまでモヤモヤして収まりがつかなかった様々なことがスーッと整理され始め、道が開けてきた様に感じられました。「そうか、今なんだな。今だ。」と思い立ち、いよいよ石垣島で暮らしていく決意をします。

時は2018年11月。「誰かに導かれるように石垣に来てしまったけど、これも何かの縁なんだろうなー」と夕方の飛行機で石垣空港に降り立った時のことを今でもよく覚えています。

ちょっと不思議なのですが、石垣島に引っ越してきてすぐ、父親がこう言っていたことを突然思い出しました。
「自分が人生でするべき仕事を終えたら、竹富島で畑仕事をして暮らしていきたい」と。
「あれ?何でこんなこと思い出すんだろう?」と自分でもビックリしました。そうか、そういえば昔そんなこと言ってたな。というか父親が竹富島に行っていたということはもちろん石垣島の地も踏んでるということか・・・。ふと「続き?」という言葉が脳裏に浮かびました。私には霊感の様なものは無いので偶然だと思うんですけどね・・・。

音楽の島

沖縄本島、石垣島、それぞれ島に来る最初のきっかけは音楽ではありませんでしたが、ありがたいことに公私共々、素晴らしいお仲間の皆さまに恵まれ、今日もこの美しい島で暮らしています。石垣島で生活する様になって6年目ですが、音楽を中心として島の内外問わず、様々な音楽家の皆さまと音楽をすることが出来ております。日本の西の端にある島ながら、こと音楽に関しては信じられないほどの魅力と実力を湛えた素晴らしい島なんだと感じて止みません。この島で、この島から音を奏でることを本当にありがたく思いますし、また誇りにも思います。

これまでがそうであったように、これからも新たなるご縁に恵まれることと思います。まだ見ぬ素晴らしい出会いがどんな喜びを与えてくれるのか、そこからどんな音楽が生まれるのか、楽しみで仕方がありません。

次のご縁は…

竹富島にルーツをもつ、クールで熱いトランペット奏者の玉盛邦則さんにバトンを渡したいと思います。
音楽への深い愛と情熱が溢れるナイスガイです!


この記事を書いた人

國分広年(こくぶん ひろとし)
1971年1月 神奈川県横浜市生まれ。
小学生の頃に親戚のお兄さんから聴かされたYMOに衝撃を受け、音楽の虜に。2000年代に東京で演奏の仕事を開始、2012年に活動の場を沖縄に移す。現在は2023年に結成した昭和歌謡バンドでの活動を中心にベーシストとして活動中。ライフワークとして八重山古典民謡を勉強中。作曲活動も始めました。

國分広年@音楽民族
https://www.ongakuminzoku.org/ongaku-minzoku/kokubun/


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