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消えてしまいたいと思うこと

消えてしまいたい


長く生きてれば、
そのように思い悲壮感に打ちしがれ落ち込む経験がある人って、
案外多くいるのではないでしょうか。


特に心療内科や精神科につながるような人。

SNSにしてもメンタル部門の記事を読むような人。

幸せで健康な人がメンタル部門の記事を
読むとは思えないし。


消えてしまいたい

というのは、

意識してるにしろ無意識にしろ、
死んでしまいたい。

自分の存在を消したい無にしたいという気持ち。



その年齢に応じて理由は様々だと思います。


若い独身女性なら、
本気で心底愛したと信じきってる人との 
恋愛の破局でそう思うこともあるでしょう。


恋愛で消えてしまいたいくらい傷ついてる人には、
よく言われる陳腐なセリフだけど、


時間の経過とともに傷は必ず癒えるし、
次に愛する人と出逢い、
幸せな恋愛ができれば、

それほど思い詰めた相手ですら、
次第に思い出になり、
そのうち忘れてしまうことすらあります。
80歳くらいまで生きたら、
名前も思い出せなくなるかもしれません。


人生の時々に
ふとしたきっかけで懐かしく過去に愛した人を思い出すことはあっても、

それは甘酸っぱい素敵な思い出。


年を重ねてから若い頃のそういう思い出に時々浸れるのも、
生きてるからこそできる甘美な経験。


これもよく言われることですが、
地球の半分の人間は異性なんです。
出逢いは無限にある。
(最近は愛に性別は関係ないけど)


仕事関係や他にも消えてしまいたいと思うぐらいの、
辛い出来事は人生には定期的に訪れる
ものなのでしょう。


半世紀生きてきて、
わたしが心底消えてしまいたいと思った理由は、

やはり家族のことです。

特に子供達のことです。


減薬断薬が辛い。
離脱症状が辛い。


そんなことで死にたいとか消えたいと思ったことはありません。



ただし、
薬剤性の衝動的な自殺衝動や希死念慮は別です。

それは、
化学物質である薬の作用なだけであって、
そこに深い思いも何もない。
情緒がそこには存在しないのです。


向精神薬を服薬してる時、
わたしはとても感情的で不安定でした。


精神科に通院して、
精神病名も与えられてたので、

子供達にしたら、
精神病の母親がいるということになります。


誤解しないでいただきたいのは、
精神病の母親は子供達にとって存在する価値のない人間である、

みたいな一般論ではありません。

各家庭の数だけいろんなパターンがあり、
他の家庭のことなどわたしにはわかりません。


自分の想いと、
自分の家庭に限っての想いです。


わたしが勝手に思ってたことは、

あの状態の母親であるわたしは、
子供達にはマイナスの存在だと思ってました。


息子と娘を不幸にする存在
になってたと自分は思ってました。



向精神薬を服薬中は、
感情のコントロールもできず、
コントロールというか、
思考回路や思考が変になってました。
自分中心で被害妄想的な、
いわゆる精神病的気質です。


自分の存在が子供達を不幸にしてる。
己が子供達を幸せにする存在ではない。



感じた時。

しみじみと消えてしまいたい。


思いました。


死んでしまったお母さんとの楽しい思い出。

思い出の方が、
ずっと生きて存在してる精神病のお母さんより、
よほど子供達の為なんじゃないかと
考えました。
(あくまでわたしの思考です)


でも、
身体は健康なわけですから、
癌の末期患者のように待ってれば
嫌でも数年内に死ぬということはない。


消えるには、
自死するしかない。


こういう思いを自分の母親には何度も何度も訴えました。


母親は、
自分の母が自死するほど子供を傷つけることはない。
どんな母親でも自死してはいけない。


私に言いました。


どちらが子供達の未来に良いのかは、
今でも自分の中では答えはでません。


精神病名を受け入れて精神病患者で向精神薬を
服薬していた3,4年前のわたし。


今でもその私のままで、
これからもずっーとそんな私。

そんな母親がずっーと存在してたら、
子供達はどうなってたのか?
どうなるのか?


残念ながら想像もつきません。


世の中にはいろんな母親がいます。


最近では幼い我が子より、
他人である恋愛相手の男性を重要視して、
我が子を虐待したり、
中には殺すような母親もいます。


極端なパーソナリティの人間は別として、

一般的な母親は、

我が子が幸せに育ってほしいと思ってると信じたいものです。

子供の年齢にもよりますが、

少なくとも成人して、
心身ともに独り立ちできるまでは、
親の愛とサポートは大切なのではないでしょうか。


よく、
まずは自分自身。
自分を大切にできない人は、
子供も大切にできないし愛せない。

という言葉がありますが、
これは違うと思ってます。
この言葉を都合よく自己弁護のために使うべきではないと思ってます。


自分をある程度は犠牲にしないとできないのが
育児です。

野生動物をみればわかることです。


特に母親は育児中は、
自分の命すら犠牲にするレベルで育児をします。

熊でも、
子供を殺そうとする自分より身体の大きい雄ぐまと母親熊は死闘に望みます。


単純に言えば動物に課された最大のミッションは、

遺伝子を残せ!!

ですから。


人間をそこに当てはめるのは無理が少しはありますが(笑)


子育て中の恋愛も悪くはない。
でも、
やはり子供を優先して欲しいものだと思います。

我が子にとってマイナスの存在である恋愛相手なら、諦めるくらいの母性を持ってれば、
最近多発する悲惨な事件は少なくなるのに。


子供が巣立てば、
自由な時間はたくさん残されてるものです。


何が言いたいのか分からなくなりましたが、


消えてしまいたいと思うこと。


わたしの場合は、
自分が子供達を幸せにできない、
むしろ、
不幸にしてる。




思った時が、
本当に辛く「消えてしまいたい」と思いました。


その辛さに比べれば、
減薬断薬も、
心身に降りかかってくる激しい離脱症状も
大した事ないと思えました。


正確には大したことではありますが(笑)

辛さの質が違う。


離脱症状は例えは悪いですが、
単純に身体が痛い!辛い!

みたいな辛さ。


一方
例え、
身体は楽でも、
自分の存在が子供達を不幸にしてる、
幸せにできない、

という精神的な辛さの方が自分はこたえました。


今現在
減薬断薬や、
離脱症状に耐えてる人達は存在します。


なかには、
天涯孤独で恋人もいないような人もいるでしょう。


でも、
大切な家族や人間が存在する人も多いと思います。


自分の大切な人のためと思えば人間は強くなれるものらしいです。


自分のためには頑張れなくても、
家族のためには頑張れる。


わたしは女であり母親なので、

ついその目線で考えてしまいますが、

子供がいる母親ってのは、
1番強くなれるものだとも信じてます。


野生動物でも、
子連れの雌が1番怖いのですから(笑)


そして、
消えてしまう
死んでしまう


私達はいつか必ずそうなる運命です。

いやでもそうなります。

人間の一生なんて本当にあっという間の
短い時間なんです。


消えてしまいたい
死んでしまいたい



思うくらいどん底に落ちたなら、
あとは這い上がるだけ。


だから、
消えないで少しずつ這い上がって生きていて欲しいと思います。


そして、
やはり自死はダメです。


想像してみたんです。

もし、
子供達がわたしを残して自死したら?

って。

親は再起不能なくらいの悲しみとダメージをうけると思います。



いつかは必ず私たちは消えてなくなるのですから、
それまでは、
四苦八苦しながら存在してればいいんだと思います。

屋久島の森の王者 縄文杉

往復10時間のトレッキングしてきました!
価値あります!
感動します。
5年に1度くらいは行きたい場所です!

自分の悩みも辛さもちっぽけに感じる

紀元杉。

手を伸ばして触れてきました。
パワーをありがとうございます。

縄文杉が見つかる前までは、
屋久島最大の屋久杉だった「大王杉」

ウィルソン株

屋久島に行ってきました!
数千年間の樹齢の屋久杉。

気が遠くなるような悠久な時の流れの中、

風や雪や雨やさまざまなことを受け入れ、
そこに存在してる命。

樹齢数千年の屋久杉に触れて、
そんなことを想い、
パワーとエネルギーをいただきました。
(残念ながら縄文杉は触れません)

また
縄文杉トレッキングなる登山ブログ書きます!

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