摂食障害ってどんな病気?
はじめに
私は高校1年生で、ダイエットを初めてからダイエッターになり20kgの減量後に摂食障害になりました。
今、摂食障害という病気が良い意味では認知度が高まり悪い意味では無知が故に偏見や差別が先行していると私的に感じています。
当事者であった私が、摂食障害について簡単な説明と、どんな病気なのかを経験談を交えて書いていくnoteです。
誰でもなる病気
10代から20代の女性に多く見られる病気ですが、30代以降にも見られますし、男性にもみられます(男性1:女性10)。引用:同上
つまり、誰でもなる病気です。また、精神疾患の中でも死亡率が高い命に関わる病気であります。
発症のきっかけ
私の経験談になりますが、簡単に言えば「ダイエット」がきっかけであります。が、その先の理由として「ダイエットを何故したのか?」ここが本当のきっかけだと考えています。
容姿への執着は、生活の中で感じる不安や自己嫌悪感を「見た目」を変化させて自信を付属させようという気持ちであり、自己評価や他人評価の「基準」として「容姿=痩せる事が美学」の変換になった経緯があると思います。近年の痩せ文化やルッキズムも影響があると思いますが、自分から選択した事には変わりはありません。
ダイエットに夢中になる事が「悪い事ではない」むしろ「努力」として捉えられる事が大きな誤解であり偏見で、私もその偏見を持ってしまった一人ではあります。
自覚が持てない
皆さん、今自分の健康という当たり前の中にある習慣は「無意識」の中で行う事もあると思います。何も意識せずに理由もないけど食べている物や気をつけている事などです。
それがもし、「間違えているor過剰な言動」だとするならどこで気が付くと思いますか?
良かれと思って気を遣っているはず、努力として目標を立てて行っている事、周りの人もやっている事。だから、「悪い事ではないから大丈夫」ってなりませんか?
そこが、盲点であり自覚が持てない摂食障害"発症初期"の段階です。
ただの「ダイエット」ただの「健康維持」ただ「好きなように生きているだけ」
それが、段々と歯止めが効かず、生活の水準をそこに傾かせていく様には、他人の判断も介入できないし、本人が「良い事をしている"つもり"」でいるので、気付いて自覚した時には「症状の悪化」(手遅れ)になっているのが、摂食障害の恐ろしい、そして簡単に人に憑依する理由でもあります。
SOSが出せない
自覚がない事と重複しますが、周囲の人間に「痩せた?大丈夫?」と心配されても本人は望んでいた結果であったり、その言葉に「喜び」を感じてしまいます。
更に、痩せへの幸福感を感じて痩せを加速させてしまう。「痩せ依存」とも表現できます。
また、過食症の方の体型変化には他人が「容姿批判」する事を恐れて外に出る事や人と話す事さえできずに引きこもりになる方もおられます。
痩せても、大きくなっても他人は他人の容姿に過剰な反応を示します。摂食障害に関係なく他人への影響は大きいので、摂食障害への偏見にも当事者は恐れて恥じてしまう事もあります。
なので、単なる「ダイエット」なのか?あるいはストレスによる一時的な「むちゃ食い」なのか?他人が判断する事も難しいのです。
「助けて」の言葉が言い出せない環境を作り出さない事を、一人一人が意識しなければならない社会問題として私は訴え続けていきます。
人格が変わる
細かく分類すれば、沢山の種類の症状に分けられますがここでは分かりやすいように「痩せ型」「過食型」と表現させてください。
人格が変わるというのは、摂食障害は容姿の変化に目線が集まる為「体の病気」とも見受けられてしまいがちなのですが、摂食障害は「精神疾患」で「心の病気」なので認識として、知って頂きたく「人格の変化」と表現しています。
自ら、望んで選択肢した行動であったとしてもそれが次第に「無意識」の領域に変化して本人が苦しくても、辞めたくても「元に戻る方法が分からない」と、コントロールのできない状態にあります。
また、それを正当化しようと自らの負担を背負ってしまうのでこれまでの自分(本音)とは「異なる考え方」を「本当の気持ちで本音」だと主張していく傾向もあります。
摂食障害をお化けと表現するなら、自分という人間にお化けが憑依して体を乗っ取られてしまっているようなイメージを浮かべてもらえると分かりやすいかと思います。
摂食障害の治療
減った体重を増やす、増えた体重を減らす。こんな単純な話ではありません。
「なぜ、体重が減ったのか?」「なぜ、体重が増えたのか?」その心の"背景"
に目を向けて、本人が向き合わなければなりません。
例えば、心が「健康になりたい」と願ったとしましょう。では、次に行動に移して「食べる」事をしなければ、体は元気にはなりません。ですが、それまで食べる事ができなかった理由が、行動を制御しようと心を揺さぶり「恐怖感や不安感」を抱かせます。
例えば、体が「回復(健康的)」になったとしましょう。でも、その変化した自分の容姿や心の問題、ストレスの解決方法を知らないままでは「再発」というまた同じ道を辿って自分の心を守る行動を選択してしまう心が、ある訳です。
願っただけでは、健康にはなれません。体が健康になっただけでは、心の凹み(生き辛さ)の解決にはなっていません。
もっと分かりやすく説明するなら、皆さんがこれまでお仕事で稼いできた「お金」ありますよね?
「お金を手放せ」と言われたらどう思いますか?お金の使い道や目的によっては、出費(犠牲)も仕方ないと割り切れるかもしれませんが「理由が不明」なのに、これまでの貯金をどこかに渡せますか?また、お金を使ったところで報酬や見返りに「保証」がない訳です。怖いですよね。
摂食障害さんは、これまで自分の心を守るために貯金してきた「努力」を手放して「健康」を取り戻していきます。その理由に納得できなければ、例え努力を手放して健康が取り戻せても、その生活に不安を強く感じます。
また手放す前の「覚悟」や「勇気」も、見えない分からない先への投資なので準備時間や行動に移すまでに時間がかかります。その際に、「このままでいいや」となる人もいれば「このままでは嫌だ」と回復に心を向けるか否かが別れます。
回復へ心を向けるには「痩せていなきゃいけない理由」や「健康でなければならない理由」など本人が"納得"できる理由をそれぞれが感じていかなければなりません。
まず、健康の手前にある「心の原因」から向き合っていく事。回復を誰もが決心できる訳ではありません。納得できる理由が見つかると、体の回復にも進む事ができると考えています。
勿論、体のダメージによる思考の偏りもあります。健康になれば自然と感情や考え方が穏やかになる事もあります。命の危険が伴う重症であれば入院して体の治療を優先する場合もあります。
ただ、やはり根本の心の問題と向き合う事が摂食障害を超えて生き辛さと向き合い、体の変化にも対応できる回復へ向かえると考えています。
最後に
少しでも「痩せ・食・容姿に対して敏感」だと自覚があって、自分を苦しめているのなら勇気を出してSOSを送って欲しいと思います。
X@mgmgpai では匿名で質問が送れるリンクを貼ってありますので頼って頂けたら嬉しいです。
また、苦しんでいる当事者だけの責任ではなく「一人一人の偏見や思考の偏り」「差別的な言葉」が生き辛さを生み出してしまっている自覚を持って皆んなが個性や魅力を引き出せる環境にしていかなければなりません。
その為にも、摂食障害という病気は誰しもがなり得る身近な病気であり、命の危険が伴う事も含めて知って頂けたら嬉しいです。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?