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元広報ウーマンで今は子鉄のママです。全てのこととゆるく距離を取りながら生きていくことが…

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元広報ウーマンで今は子鉄のママです。全てのこととゆるく距離を取りながら生きていくことが今年の目標です。好きなゆるキャラはひこにゃん一筋です。

最近の記事

母、失った自信を取り戻す旅①

2014年4月に仕事を辞めた。自分の限界を超えて働き過ぎて、周りに評価されて幹部候補生だったけど、疲れて辞めた。眠れない、朝起きられない、抑鬱感。結婚が決まっていたのでいいタイミングだと思った。 それから結婚して、すぐに子どもが欲しかったけど、結局1年半かかった。子どもが欲しいから就職活動もしていいのかわからないし、スケジュール通りすぐに妊娠しなかったから、その間は主婦でいて、とても自己肯定感が低くなった。自分に何の価値もないような気がして。私何をしているのか。自分で働いた

    • 腎血管性高血圧症の経過③

      こんばんは。4歳の息子が1歳9ヵ月のときに発覚した症状である、腎血管性高血圧症の経過について、これまで書いてきました。 今回は、急性期後から現在までを端的に振り返ります。 ■思い返してみて、腎血管性高血圧症が発覚するまでの日常での気づき ・症状が出て入院するまでの日常で、母親のカン的におかしいなと思っていたことは、  ①食べない ②寝ない(寝付きが悪い) ③歩くのが遅い  ・この食べないというところが1番つらく、どんなに工夫しても食べが悪くて、体重の増えも悪く、どこか問題

      • 心がささくれ立ったそんな日は

        今年の1月から起業を目指して、県内のとある起業支援拠点に出入りしています。そこには、経営者・士業・エンジニアなどスタートアップにおいて支援してくれる専門家が在籍していて、月額料金はかかりますが、その施設利用と専門家であるサポーターに相談が出来る仕組になっています。 私は、息子の入院生活の経験から、子どもに関わる仕事に就きたいと考え、家庭と両立しながら息子の側で仕事をするにはどうしたらいいかと悩んだ末、起業することを選択しました。 その起業支援拠点を、去ることにしました。そ

        • 腎血管性高血圧症の経過2.5

          こんばんは。たくさんの方に読んでいただき、ありがとうございます。記憶を辿りながら書いていましたが、息子が入院した際の資料や書いたメモをファイリングしていたものを引っ張りだしてきました。見ると少ししんどくなってしまうのですが、それでも、正確に書くべきだと思い、詳細を書いていきます(前回から時間が進んでなくてすみません)。カテーテル手術をしてから数日だけメモをとっていたので、その内容を記録として書きます。 █入院時の急性期(症状が激しく出ていたとき) 2018年4月16日 数

        母、失った自信を取り戻す旅①

          腎血管性高血圧症の経過②

          こんばんは。昨日に引き続き、息子が1歳9ヵ月の時診断された、腎血管性高血圧症のこれまでの経過をここに記録として書きます。 ■入院から退院までの日々 ・大学病院分院でのカテーテル手術後、全身麻酔のため人工呼吸にしている管を抜いたところで、教授がいた元の大学病院へまた移送。 ・その大学病院は、小児の腎臓と神経の専門科があり、第三次救急まである病院だった。 ・主治医は私と年の変わらなそうな30代の女性と、その上にベテラン医師がついた。 ・大学病院に戻ってきたとき気づいたが、原因

          腎血管性高血圧症の経過②

          腎血管性高血圧症の経過①

          こんばんは。 以前こちらのnoteでも書きましたが、私の息子は1歳9ヵ月のとき、急に入院し、腎血管性高血圧症と診断されました。左の腎動脈が生まれつきか狭く、高血圧・腎機能の異常・高血圧脳症・心筋が厚くなる、といった症状が身体の各所に出て、一次は、間に合わなければ腎臓を摘出する、とまで医者に言われました。 結果、血管は完全に狭窄していた訳ではなかったので、カテーテルで広げ、そこからはみるみる回復しました。それでも、血管自体は完全に広がらず、広げようとしたけど硬くて広がらず、

          腎血管性高血圧症の経過①

          「モノクロの光」

          第5章 現像する  山にいった翌年の夏、レンゲショウマを撮った。バルナックライ カで撮ったレンゲショウマのモノクロ写真はその年の新人写真家の 登竜門で賞を取った。賞の授賞式でカエデ先生は、私に抱きつきマ スカラが落ちて目を真っ黒にさせながらわんわん泣いた。「おかえ り、おかえり」と何度も言いながら。  小さな花を見ると思い出す。「その帽子、かわいいね」「ワタス ゲの実を紡いで編んだんだ」「その首飾り素敵だね」「マツカサの 実だよ。大きくなったらこれで鎧を作るんだ」何気なくした

          「モノクロの光」

          「モノクロの光」

          第4章 シャッターを押す  対話の末、こびとは森の奥深く、5m以上あるユズリハの木の前 まで私を案内した。葉や実の多くが影になり黒い。いつの間にかこ びとは消え、ユズリハが静かに問いかけ始めた。「人との争いや不 条理なこと、努力では乗り越えられないことがある世界になぜ戻り たい」「そういう世界の生きた光を写真で切り取りたい。世界は暗 闇ではないと、表現を通じて希望を示したい、そういう思いで写真 家になった。それを貫きたい」「最後に1つ実現してほしい。光が 届かない私に光の写真

          「モノクロの光」

          「モノクロの光」

          第3章 被写体を切り取る  「この呼吸を感じられない世界は私のモノクロ写真そのもの。こ んなところにいたくない」そう訴えても、こびとは冷ややかな表情。 「さっきどうしてドクウツギは写真に吸い込まれたと思う?」  カエデの写真には、山の麓の川で遊ぶ子供達。午後の日差しに照 らされた水面に反射する光や、子供達が水を掛け合う一粒一粒の水 に宿る艶やかな光。まばゆく柔らかな光が存在している。モノクロ の世界、写っている全てのものに生命が感じられる。「サクラの写 真には、生きた光がない

          「モノクロの光」

          「モノクロの光」

          第2章 構図を決める  山だがそこはモノクロの世界。時間が止まったように聞こえてい た風や水の音、鳥の鳴き声も聞こえない。血の気が引く。すると胸 元から声し、見るとカメラのレンズに小さな人形がのっている。  先程花弁に乗っていた人形である。「!?」「僕レンゲショウマ のこびと。名前なあに?」「サクラ…」「ここ仮死の世界。飛ばさ れちゃったね」「仮死の世界?」「現実とあの世の間。僕は現実と 仮死の世界を行き来できるの」「仮死…私死にそうなの?」混乱し ていろいろ質問してものらり

          「モノクロの光」

          「モノクロの光」

          第1章 構える  スタジオに響き渡る笑い声。2020年7月、数字の2と0の風船を 持ちながら嬉しそうに記念撮影する家族達。彼らの気分を盛り上げ ながら撮影しているのが私、カメラマンのサクラだ。  帰宅すると、1通の葉書が届いていた。師匠のカエデからだった。 大学を卒業後、写真表現の巨匠である師匠のアシスタントで8年い た。葉書の裏には大学時代よく撮影した山の写真が焼き付けてある。  もう2年、先生には会っていない。情熱を傾けていたフィルム写 真も撮っていない。ふと、祖父が使

          「モノクロの光」

          そうだ、物語を書こう

          世の中が不安定で不確定な今日この頃。 自分の気持ちもざわざわして落ち着かない毎日。 そんな時は、物語を書こう。 今日から小分けに、自分で書いたストーリーを投稿していきます。 ほっほ〜〜

          そうだ、物語を書こう

          タンク車

          タンク車

          境界の彼方

          こんばんは なんか、すっごい久しぶりの記事になります。 昨日の貴景勝の鶴竜戦はしびれました〜勝ったら飛び上がって喜んでたら息子が母ちゃん、何してんねん、ぽかーんと。今日は白鵬に負けて、惜しかったーと床に突っ伏して悔しがってたら、息子がこの人大丈夫やろか、つんつんと。 いつか相撲見に行こう。貴景勝か高安か宇良に抱っこしてもらおう。 今月は、また息子の定期検診がありました。毎回血液検査と尿検査をします。身体は健康そのものでしたが、花粉症か?みたいな数値が出てまして、実際少

          境界の彼方

          今日も見るか、空を

          今日も見るか、空を

          ならなければ何者かに

          こんばんは。 春は自分が生まれた季節、桜・暖かい・誕生日と、好きだな〜と子供の時から思ってましたが大人になると、花粉・自律神経の不調・メンタルの不安定・桜すぐ散るなぁと、あんまりいい季節じゃないなと感じます 普段は息子と向き合う日々、夫は帰りが遅い日もあり、気づくと今日1日子供以外に会話してない、なんて日もあります この前、夫が少し早めに帰り息子とお風呂入って寝かしつけて、夕飯食べていた時、 私「何かおもしろい話してや」 夫「え〜急には思いつかないよ」 私「私は今日大

          ならなければ何者かに