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母、失った自信を取り戻す旅①

2014年4月に仕事を辞めた。自分の限界を超えて働き過ぎて、周りに評価されて幹部候補生だったけど、疲れて辞めた。眠れない、朝起きられない、抑鬱感。結婚が決まっていたのでいいタイミングだと思った。

それから結婚して、すぐに子どもが欲しかったけど、結局1年半かかった。子どもが欲しいから就職活動もしていいのかわからないし、スケジュール通りすぐに妊娠しなかったから、その間は主婦でいて、とても自己肯定感が低くなった。自分に何の価値もないような気がして。私何をしているのか。自分で働いたお金もなく、養われる身。仕事、辞めなければ良かったのか。子どもも何ですぐ出来ないんだろう。ぐるぐるぐるぐる、考えていた。

その後、妊娠し出産。生後1ヶ月の時、子どもが発熱して入院。生後1ヶ月以内に発熱すると、強制的に入院だそうだ。髄膜炎かもと検査のために、子どもは太い針を脊髄にぶっさされた。産後鬱が入った状態でいきなり何が起きているのかわからず、混乱するばかりで。その時、誰も、夫も母親も、夫の親も誰も私をサポートしてはくれなかった。みんな、子どもの方ばかり見ていて。

1歳9ヶ月の時、子どもはまた入院した。急に症状が出て、深夜大学病院をハシゴして、なんとか奇跡が重なって助かった。今は元気に幼稚園に行っている。今も定期的に大学病院に通院しているが、やっぱり病院の通院日が近づくと、当時のことを思い出す。人生急に暗転することを身をもって体験し、自分ではコントロール出来ない運命?宿命?にはどうやって立ち向かえばいいのかわからない。自分の無力さをこれでもかと思い知らされる。このときも、私は1人だった。夫も親も、夫の親も。誰も私をサポートしてくれなかった。私のことは視野に入ってなかった。

母親ならわかると思うけど、子どもが苦しんでいること、自分がそれを変わってあげられないこと、どれほど辛いか。こんな辛くて残酷なことがこの世にあるのだと思った。それから、神様かご先祖様か知らないけど目に見えない存在に対しての怒りが沸いてきて、その怒りはまだくすぶってる。子ども苦しめんなよ。お前ら、仕事しろよ。ふざけるなよ。

子どもが成長するにしたがって、失った自信の取り戻し方は結局大丈夫な日々を積み重ねるしかないのだと感じた。今日も元気に過ごせた。風邪引いたり、病院行ったりはあるけど、少々のことでは体調崩さなくなった。大丈夫。大学病院の通院も行くたび検査があるけど、結果良好、大丈夫。大丈夫な日々の積み重ねしか、自信は取り戻せない。

それでも、まだ働く気にはなれなかった。子どものことが心配なこともあるけど、何より、私自身がボロボロだった。子どもの入院から2年くらい経ってから、強迫観念とか不安感が辛くてさすがに危ないなと自己判断でメンタルクリニックに行った。今現在も抗鬱薬を少しだけ毎日飲んでいる。誰も私の異変に気づかず、病院行ったらケアを受けたらとは行ってくれなかった。みんな自分のことばかりな人たちが周りにはいた。

夫は人の気持ちがわからない。共感したり、寄り添ったりが出来ない人だ。だから頼れない。見返りを求めても、欲しい言葉や行動はくれない。夫の親も、宇宙人だ。男尊女卑で、女は働き、高学歴エリートな夫を支えるのが私の役割だと思っている。自分たちファーストな団塊の世代だ。

私はアダルトチルドレンだ。母は毒親。私の自己肯定感は母にぶっつぶされて育ってきた。容姿や性格について心ないことを言われ、感情をぶつけられ、父の実家との不和のストレスのサウンドバックにされた。私が結婚して子どもが生まれると、母は関西の実家から私がいる関東へ引っ越してきた。週1回私の家に訪問してくるのが苦痛で仕方なかった。母が来ると空気が緊張し、私自身の身体もこわばる。母が亡くなるまであと数回くらい会えればそれでいいと本気で思っている。距離を置きたいのだ。かまってちゃんで、自己評価が高く他者に厳しい。文句ばかり言っている。恩着せがましい。だから、私が一番苦しい時も、ほったらかしだった。何のために近くに引っ越してきたのか、いるのか、何の役割も果たさない。父もまた宇宙人。人の気持ちがわからない人だ。

世の中の母親がみんな親と仲良しだと思わないでほしい。

主婦がみんな楽して専業主婦やってるとは思わないでほしい。

同じ重さの荷物をもったとしても、各人のその手は、傷だらけだったり、やせ細っていたり、事情はそれぞれ。感じる重さもそれぞれ。


私の自尊心や自己肯定感は、まだ取り戻せずにいた。


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